お久しぶりです
という程でもないけど...
るなです
報告にまいりました
2月18日午後2時3分
祖母が虹の橋を渡りました
最後にまともな会話が出来たのは
17日のお昼頃でした
電話がかかってきて、体調は大丈夫かと
見舞いに行かなかったので
その心配からでした。
正直に答えてしまうと
気を遣わせてしまうので
今日はバイトが時間早めだから...と
嘘をつきました
3分程の通話の最後、
また明日行くからね、というと
ほんじゃ待ってるわな
そう返してくれました
またあしたね、バイバイ
お互いにそう告げて電話を切りました
そしてその次の日
1時過ぎに家を出るために早めの昼ごはんを食べようとしていた時
母の携帯に電話がかかってきました
祖母の主治医の先生からでした
容態が急変した、すぐに来れないか
要約するとそういった内容でした
お昼のラーメンを放置して
財布と携帯だけカバンに詰めて
父の車に乗り急いで駆けつけました
結果的に死に目には間に合いました
手をぎゅっと握って
ばぁば、〇〇(本名)来たよ
みんなも来てるよ
そう伝えると
ただ一言だけ
どこの〇〇(本名)や?
これが本当に最後の会話でした
その後は会話は成り立つことなく
ただ苦しそうに息をしながら
唸ったり、痛がったり
それだけでした
目の焦点は合っておらず
最後まで目が合う事はありませんでした
最初は120台とかなり高かった心拍は
痛み止めのお陰か酸素マスクのお陰か
70台にまでおちつきましたが
その時には指先が冷たく
血中酸素濃度が測れなくなっていました
その後、急激に50台にまで下がり、
徐々に弱くなり、
そして止まりました
目が合うことは無かったし
会話もままなりませんでした
俺が来ていたと認識していたのかすら分かりません
それでも死亡確認が終わるまで片時も手は離さず、
死亡確認のその時以外はひたすら声をかけ続けていたので
幸せな最後だったんじゃないかなとそう思うようにしています。
亡くなった次の日、19日から
お葬式が始まる時まで
思い返せばずっと雨でした
火葬場に移動する時には止んでいました
旅立ってからお葬式まで
数日ありその間逢えなかったし
冷たく暗い場所で安置されていたので
きっと祖母も寂しかったんじゃないかなと
そして火葬場に着いて火葬が始まり
俺達も1度その場を離れました
お昼時だったのでご飯を食べるために
すると途端に雨が降り始めました
きっと、また離れ離れになったので寂しくなったのだと思っています。
その雨は骨を骨壷に収め、
そして祖父の手に手渡され
車に乗りこみ少し進んだ時まで
ずっと降り続けました
雨が止むのは帰り道の車内で
車窓から見ていました
棺には生前愛用していた靴、服、箸、スプーンと好きだった温かいほうじ茶に氷砂糖、お寿司、お水を入れました
天国で入れた服を着てお寿司を食べお茶を飲みゆっくりしているかな
氷砂糖もたべたかな
お葬式が終わったその日、湯船に浸かる前には無かった髪の毛が浸かり、上がる時は風呂場の床に落ちていたので
入れた靴を履いて会いに来てくれたのかな
黒く少し長めの髪の毛でした
まるで、祖母の髪の毛みたいな
その日は一番風呂、そして俺は茶髪で短髪なのでそう思うようにしています
いつも俺の好きなテレビ番組を録画しておいてくれて、
お小遣いをくれて、何かしら買ってくれて
風呂上がり髪の毛も乾かしてくれる
優しい祖母でした
俺にとって1番の良き理解者です
ばぁば、今までありがとう ずっと大好きだよ
※投稿が遅れたのは思い出す度泣くからです 今はもう落ち着きました。 活動も再開します 今まで通り亀投稿します
コメント
7件
この度は御愁傷様でございます。謹んでお悔やみ申しあげます。 辛い中 . 投稿ありがとうございます。 最後までお祖母さまを看取る姿はとても立派だと思います。 辛いと思いますが . 今までお祖母さまの存在に感謝して . 少しずつ前に進んでいきましょう。