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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで

山間を白く煙らせる空気も

湿って香り立つ土の匂いも

春の色を一度灰色に塗り替える空も

バタバタと慌ただしく傘を叩く水音も

決して嫌いではないはずなのに

この日だけは晴れていてほしいと、毎年願う

5月某日

渋谷大

……すんません渋谷です

渋谷大

今日、ちょっと休みます

渋谷大

はい、すんません

渋谷大

緊急の案件あったら連絡ください

渋谷大

はい、お願いします

渋谷大

失礼します

通話を終えたスマートフォンを放り出し

ベッドに向かって体を投げる

渋谷大

なっさけねぇ

渋谷大

この日の雨だけは、なんか

渋谷大

……外、出たくないんだよな

まぶたを閉じると、実家である祖父母の家の一室が浮かぶ

部屋を埋めるように咲き誇るのは菊の花だ

そこから自然と下へ視線が移ると、大きな白木の箱が

渋谷大

嫌だ、見たくない!

幻視した視界を振り払うように勢いよく身を起こす

頭蓋骨の内側が、吐き気を催すほどに痛む

まるで頭の中で鐘が鳴らされているようだった

渋谷大

くそっ……!!

――今日は21回目の、姉ちゃんの命日だ

当時8歳だったが、はっきりと覚えている

固く閉ざされた棺にすがるように泣くばあちゃんと

俺を棺に近付けさせないようにと

じっと後ろから抱き締めてくれるじいちゃん

雨どいから落ちるうるさいくらいの水音や

傘から流れ落ちた雨粒に肩を濡らした参列者

新緑の色もすべて灰色に包まれて

空の色も重い鉛色

誰も彼もが顔色悪く、ゆっくりと香をあげていく

思い出したくもない記憶

ぐるぐると走り回るその光景から目をそらそうにも

その手段さえ分からず、吐き気が加速する

気分が、悪かった

渋谷大

水、飲も……

額を押さえたまま立ち上がると、とたんに世界が回った

あ、と声をあげる余裕もない

受け身をとることもできないまま、頬から床に落ちて

無様に頭が揺らされる

たった1メートル足らずの落下ですらこんなに痛いのに

屋上から落ちた姉ちゃんは、どんなに痛かったか

渋谷大

――姉ちゃん

我ながら女々しいし、未練がましい

その上、たぶんシスコンをこじらせてる

だけど姉ちゃんを忘れることなんてできなくて

雨の音と、頭が割れそうな痛みの中

俺はいつの間にか、意識を手放していた

リビングから聞こえる音で目が覚める

雨の音は相変わらずだけど、時計は6時すぎを指していた

今日起きたのは7時のはずだ

しかも体の下にあるのはいつものベッド

頭痛と吐き気も、少なくとも今は感じない

なんだか狐にでも化かされたような気持ちでぼんやりしていると

リビングへの扉がそっと開いた

久留間悟

久留間悟

起きたか?

渋谷大

……悟?

渋谷大

なん……あれ……?

久留間悟

混乱してるな

久留間悟

大丈夫だから、ちょっと水飲め

久留間悟

グラスでいいか?

渋谷大

あ……うん

一度リビングに引っ込んだ悟が、すぐにまた顔を出す

薄ガラス越しの冷たい水が、手のひらに気持ちよかった

渋谷大

……俺、水飲もうとしてたんだった

久留間悟

そりゃよかった

一口飲むと、喉から胃に向かって水が降りていくのを感じる

体の中にも雨が降ってる

そう思えて、なんだか泣きたかった

渋谷大

めっちゃアタマ痛くて、吐き気して

渋谷大

そんで、倒れた気がしたんだけど

渋谷大

気の、せい?

久留間悟

んーん、気のせいじゃないよ

久留間悟

泣きながら気ぃ失ってた

渋谷大

え、じゃあお前がベッドに運んだ?

久留間悟

そだぞー

久留間悟

お前がもうちょっと華奢なら

久留間悟

かなり楽だったと思うけどな

渋谷大

体重70切ってるんだから

渋谷大

お前より軽いだろ

久留間悟

嘘だろ!?

久留間悟

お前、俺より5キロ以上軽いの!?

まじまじと自分の腹を見る悟に、ちょっと笑ってしまう

悟のほうが俺より少しだけ背が高いし

気にするほどの差ではないと思う

だけどやっぱり、運動不足な点は気にしてるっぽい

これで少しでも運動すればいいんだけどな

渋谷大

ていうかさ

渋谷大

なんでここいんの?

久留間悟

心配だったから

渋谷大

じゃなくて

渋谷大

今、定時終わったばっかりじゃ……

久留間悟

あぁ、それか

久留間悟

さっきポストに送ってもらった

久留間悟

電車だと30分くらいかかるからな

渋谷大

え、じゃあポストもいんの?

久留間悟

んーにゃ

久留間悟

あいつはすぐ帰したよ

久留間悟

お前が倒れてるの見て驚いてたし

久留間悟

めちゃくちゃ心配はしてたけどね

渋谷大

悪いことしたなぁ……

久留間悟

それより大ちゃん

渋谷大

ん?――ぅわっ!

グラスを取り上げられたかと思った途端

音を立てて、ベッドに押し倒される

渋谷大

なに、ちょ……!

久留間悟

俺の前でまで、無理して笑うな

真上から見下ろす視線は、ちょっとだけ怒ってるように見える

それにとっさに返事することもできず

目を逸らして、言葉を探して、誤魔化そうと思ったのに

勝手に、唇が震えていた

渋谷大

別、に、無理とか

久留間悟

ハイ嘘

久留間悟

なんで隠そうとしてんの

久留間悟

気絶するくらいしんどかったんだろ

久留間悟

気ぃ失ったまま泣くほど辛かったんだろ

久留間悟

俺が来た程度で、それがなくなるとは思ってないよ

久留間悟

あんまり馬鹿にすんなよ、大ちゃん

久留間悟

どんだけ俺がお前のこと見てきたと思ってんの

久留間悟

今日がなんの日で、あの日がどんな天気だったか

久留間悟

俺が忘れてるわけないだろ

渋谷大

――っっ

全部バレてる

そう理解した瞬間、鼻の奥がつんと痛くなる

目元が燃えたように熱くなって

次の瞬間には、ぬるい水がボロボロと目尻からあふれていた

渋谷大

っ、ふ、ぐぅ……!

久留間悟

やっと泣いたな

久留間悟

一緒にいてやるから大丈夫

久留間悟

雨の音も聞こえなくしてやるから

俺に覆い被さるように抱きしめて、長い指が髪を撫でる

噛み殺そうと思ってもうまく引っ込んでくれない声が

悟の腕の中でわだかまっては布団にしみこんだ

渋谷大

ごめ、俺、きょ、仕事……!

久留間悟

いーのいーのそんなこと

久留間悟

じっちゃんもちゃんと分かってくれてるし

久留間悟

お前のこれは一種のPTSDだ

久留間悟

そう簡単に治るモンじゃないの

渋谷大

ごめん……ッ!

久留間悟

だから謝んなっつってんのに、馬鹿だなお前

久留間悟

今日はお前をいじめに来たんじゃないんだって

久留間悟

甘やかしてやりたいの

渋谷大

ん……っ

まぶたに

額に

頬に

首筋に

唇に

何度も何度もキスが降る

ぐすぐすと涙が止まらない俺を落ち着けさせるみたいに

ゆっくり頬を撫でながら

久留間悟

今日はシャワー、やめような

久留間悟

風呂張ってやるから

渋谷大

……ん

久留間悟

じっちゃんから見舞金も預かってきたし

久留間悟

今日は外に出るの、辛いだろ

久留間悟

なんか出前でうまい物でも取ろうか

渋谷大

……うん

久留間悟

少し落ち着いたら、線香だけ焚こう

久留間悟

いくら泣いたっていいし

久留間悟

また気ぃ失っても介抱してやる

渋谷大

うん、……うん……っ

久留間悟

俺はお前に、本音隠されたりとかさ

久留間悟

部外者扱いされるのが、一番イヤだよ

ベッドから引き起こされるように、痛いくらい抱きしめられる

申し訳なさと、嬉しさと、切ない気持ちがグチャグチャになって

また目元に熱が集まった

外からはまだバタバタと、窓を打つ雨音がする

耳から入り込む苦い記憶が、2度目の頭痛とめまいを起こさせる

だけど、不意に違う記憶が脳裏をよぎる

あの日、火葬を終えて家に帰ったとき

うちの玄関先に座り込んで、こいつは俺を待っていた

姉ちゃんがいなくなって、でも現実感がなくて

泣くこともできず呆然と帰ってきた俺に

傘もささずに駆け寄って抱きしめてくれたんだった

その時やっと、姉ちゃんの死を実感して

力いっぱい泣いたんだ

――あぁ、そうだ

俺はこいつがいると、この日を安心して終えられるんだ

頭痛はまだ残ってる

だけど意識を手放すほどのめまいはない

それが全部、きっと悟が一緒にいるからなんだと気付いて

なんだか、静かに肩の力が抜けた

渋谷大

……悟くん

渋谷大

いつも、ありがとな

久留間悟

気にすんな

久留間悟

これくらいなんでもないよ

たぶんこいつは知らないんだ

俺がどれだけこいつに助けられてるか

どれだけこいつの優しさに縛られてるか

雨が土に染み込むように、長い間ずっと優しくされ続けて

土の中に溜まった地下水みたいに

こいつの存在が俺の真ん中にあるのが当たり前になってる

久留間悟

少しおやすみ、大ちゃん

久留間悟

次に目が覚めたらさ

久留間悟

メシも風呂も用意しとくよ

渋谷大

うん

ゆっくり布団に下ろされて、触れるだけのキスが落とされる

その柔らかさもまた涙になって流れたけど

安心感からくる眠気と、雨の音が俺の耳から聴覚を遠ざけたのか

眠りにつく直前、悟が呟いた一言だけは聞こえなかった

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