山間を白く煙らせる空気も
湿って香り立つ土の匂いも
春の色を一度灰色に塗り替える空も
バタバタと慌ただしく傘を叩く水音も
決して嫌いではないはずなのに
この日だけは晴れていてほしいと、毎年願う
5月某日
渋谷大
渋谷大
渋谷大
渋谷大
渋谷大
渋谷大
通話を終えたスマートフォンを放り出し
ベッドに向かって体を投げる
渋谷大
渋谷大
渋谷大
まぶたを閉じると、実家である祖父母の家の一室が浮かぶ
部屋を埋めるように咲き誇るのは菊の花だ
そこから自然と下へ視線が移ると、大きな白木の箱が
渋谷大
幻視した視界を振り払うように勢いよく身を起こす
頭蓋骨の内側が、吐き気を催すほどに痛む
まるで頭の中で鐘が鳴らされているようだった
渋谷大
――今日は21回目の、姉ちゃんの命日だ
当時8歳だったが、はっきりと覚えている
固く閉ざされた棺にすがるように泣くばあちゃんと
俺を棺に近付けさせないようにと
じっと後ろから抱き締めてくれるじいちゃん
雨どいから落ちるうるさいくらいの水音や
傘から流れ落ちた雨粒に肩を濡らした参列者
新緑の色もすべて灰色に包まれて
空の色も重い鉛色
誰も彼もが顔色悪く、ゆっくりと香をあげていく
思い出したくもない記憶
ぐるぐると走り回るその光景から目をそらそうにも
その手段さえ分からず、吐き気が加速する
気分が、悪かった
渋谷大
額を押さえたまま立ち上がると、とたんに世界が回った
あ、と声をあげる余裕もない
受け身をとることもできないまま、頬から床に落ちて
無様に頭が揺らされる
たった1メートル足らずの落下ですらこんなに痛いのに
屋上から落ちた姉ちゃんは、どんなに痛かったか
渋谷大
我ながら女々しいし、未練がましい
その上、たぶんシスコンをこじらせてる
だけど姉ちゃんを忘れることなんてできなくて
雨の音と、頭が割れそうな痛みの中
俺はいつの間にか、意識を手放していた
リビングから聞こえる音で目が覚める
雨の音は相変わらずだけど、時計は6時すぎを指していた
今日起きたのは7時のはずだ
しかも体の下にあるのはいつものベッド
頭痛と吐き気も、少なくとも今は感じない
なんだか狐にでも化かされたような気持ちでぼんやりしていると
リビングへの扉がそっと開いた
久留間悟
久留間悟
渋谷大
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
一度リビングに引っ込んだ悟が、すぐにまた顔を出す
薄ガラス越しの冷たい水が、手のひらに気持ちよかった
渋谷大
久留間悟
一口飲むと、喉から胃に向かって水が降りていくのを感じる
体の中にも雨が降ってる
そう思えて、なんだか泣きたかった
渋谷大
渋谷大
渋谷大
久留間悟
久留間悟
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
渋谷大
久留間悟
久留間悟
まじまじと自分の腹を見る悟に、ちょっと笑ってしまう
悟のほうが俺より少しだけ背が高いし
気にするほどの差ではないと思う
だけどやっぱり、運動不足な点は気にしてるっぽい
これで少しでも運動すればいいんだけどな
渋谷大
渋谷大
久留間悟
渋谷大
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
久留間悟
渋谷大
グラスを取り上げられたかと思った途端
音を立てて、ベッドに押し倒される
渋谷大
久留間悟
真上から見下ろす視線は、ちょっとだけ怒ってるように見える
それにとっさに返事することもできず
目を逸らして、言葉を探して、誤魔化そうと思ったのに
勝手に、唇が震えていた
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
久留間悟
久留間悟
久留間悟
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
全部バレてる
そう理解した瞬間、鼻の奥がつんと痛くなる
目元が燃えたように熱くなって
次の瞬間には、ぬるい水がボロボロと目尻からあふれていた
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
俺に覆い被さるように抱きしめて、長い指が髪を撫でる
噛み殺そうと思ってもうまく引っ込んでくれない声が
悟の腕の中でわだかまっては布団にしみこんだ
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
まぶたに
額に
頬に
首筋に
唇に
何度も何度もキスが降る
ぐすぐすと涙が止まらない俺を落ち着けさせるみたいに
ゆっくり頬を撫でながら
久留間悟
久留間悟
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
久留間悟
久留間悟
ベッドから引き起こされるように、痛いくらい抱きしめられる
申し訳なさと、嬉しさと、切ない気持ちがグチャグチャになって
また目元に熱が集まった
外からはまだバタバタと、窓を打つ雨音がする
耳から入り込む苦い記憶が、2度目の頭痛とめまいを起こさせる
だけど、不意に違う記憶が脳裏をよぎる
あの日、火葬を終えて家に帰ったとき
うちの玄関先に座り込んで、こいつは俺を待っていた
姉ちゃんがいなくなって、でも現実感がなくて
泣くこともできず呆然と帰ってきた俺に
傘もささずに駆け寄って抱きしめてくれたんだった
その時やっと、姉ちゃんの死を実感して
力いっぱい泣いたんだ
――あぁ、そうだ
俺はこいつがいると、この日を安心して終えられるんだ
頭痛はまだ残ってる
だけど意識を手放すほどのめまいはない
それが全部、きっと悟が一緒にいるからなんだと気付いて
なんだか、静かに肩の力が抜けた
渋谷大
渋谷大
久留間悟
久留間悟
たぶんこいつは知らないんだ
俺がどれだけこいつに助けられてるか
どれだけこいつの優しさに縛られてるか
雨が土に染み込むように、長い間ずっと優しくされ続けて
土の中に溜まった地下水みたいに
こいつの存在が俺の真ん中にあるのが当たり前になってる
久留間悟
久留間悟
久留間悟
渋谷大
ゆっくり布団に下ろされて、触れるだけのキスが落とされる
その柔らかさもまた涙になって流れたけど
安心感からくる眠気と、雨の音が俺の耳から聴覚を遠ざけたのか
眠りにつく直前、悟が呟いた一言だけは聞こえなかった