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ちょっと今回グロ表現あるかもです
苦手な方はご回覧をお控えください
あれは確か5年前…
小学3年生だった俺は、父さんと買い物をしに少し遠出をしていた。
その帰り道。
幼少期のyan
yanの父親
幼少期のyan
そんな他愛のない会話をしていた時だった。
キキーッ
そんな高い音が背後から聞こえた。
後ろを振り向くと、猛スピードでトラックがこっちに向けて走ってきた。
yanの父親
グシャッ
そう言い残し父さんは俺を助けるために車に轢かれた。
俺は直ぐに父さんの元へ駆け寄ったが、車に物凄い速さでぶつかられたのか
その体はなんとか原形をとどめていたが、ぼろぼろで血まみれだった。
幼少期のyan
当時の俺にその光景はキツかったのか意識を失ってしまった。
気付いたら、俺は病院のベットの上だった。
母さんから父さんが死んだことを言われた瞬間、急にこの世界から色が消えた、そんな気がした。
後に調べたら分かったことだが、事故の原因は突っ込んで来たトラックを所有していた運送会社の整備不良で、ブレーキが効かなかったらしい。
数日後、通夜と葬式が行われ、父さんの体は焼かれた。
しかし轢かれた衝撃で骨が粉々になっていたのか、焼いたらほとんど何も残らなかった。
それから家庭環境はガラッと変わった。
今まで金持ちとまでは言えなかったがそれなりに経済力があり、家族も賑やかだったが
父さんがいなくなってから母親は毎朝俺が起きるより早く家を出ていき、帰りは俺が寝てからだ。
もちろん家からにぎやかさなんか消えた。
しかしそんな生活に限界が来たのか
小学4年生の終業式の日、俺が家に帰ると母親は首を吊って死んでいた。
俺は直ぐに119番通報をした。
机の上には母親の遺書らしき物があった。
そこには父親が死んでからの辛かった日々のことや、ほとんど言葉を交わすことのなかった俺への謝罪などが綴ってあった。
泣きながら書いていたのか、綺麗に万年筆で執筆された文字列の所々が滲んでいた。
最後に、ママの分まで生きてね。と書いてあった。
それを読んで思わず涙を流していたら、救急車のサイレンの音がした。
それからしばらくして救急隊員が来て、その場で死亡が確認された。
両親を失い行く当てを無くした俺は親戚に引き取られることになった。
親戚の夫婦は子供が欲しかったらしいが、作りたくても作れなかったらしい。
なので俺を本当の息子のように可愛がってくれた。
テニスをやりたいと言った時もラケットを買ってくれて、テニススクールにも通わせてくれた。
さらに高校受験の為に塾にも通わせてくれた。
親戚のお陰で今の俺があると言っても過言ではない。