テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夜の空気は、何処かまとわりつく様に重かった。 駅前の明かりはやけに白くて、行き交う人の笑い声や足音が混ざり合いながら、現実感の薄い騒めきを作っている。 店の中も同じで、明るくて、軽くて、誰もが楽しそうにしているはずなのに、その中にいる自分だけが少しだけ浮いている様な感覚が抜けなかった。 夢主はグラスを持ったまま、視線だけを落とす。 目の前では会話が続いている。名前を呼ばれて、適当に返して、また笑う。 その一連の流れをこなしているだけで、本当に楽しんでいるのかどうか、自分でも分からない。
友達
隣の友達がそう言って、肩を軽く叩いてくる。
夢主
そう答えながらも、胸の奥には小さな引っかかりが残る。 来た理由は分かっている。ただ頼まれただけ。それ以上でもそれ以下でもないはずなのに、この場にいる事自体が、何処か落ち着かない。 向かいの男が笑いながら話し掛けてくる。 少し距離が近い。 自然の流れの中で詰められるその距離を、強く拒む理由はない。でも、ほんの少しだけ違和感があって、無意識に視線を逸らしてしまう。 ふとスマホに目を落とす。 通知は来ていない。 何もない画面を見て、それでも確認した事に安心する様な、逆に少しだけ不安になる様な、曖昧な感覚が残る。 たっつんには、言っていない。 その事実が、じわじわと重くなる。
男
軽く投げられた言葉に、一瞬思考が止まる。
夢主
口から出た言葉は曖昧だった。 完全な嘘ではない。 でも、何かを誤魔化している感覚だけが、ハッキリ残る。 その違和感が、小さく胸に引っかかり続ける。
帰り道。 さっきまでの騒がしさが嘘みたいに消えて、夜の静けさだけが残る。 足音がやけに響く。 歩く度に、胸の奥が少しずつ重くなる。 言っていない事。 隠している事。 それが形になって、後ろから追いかけてくるみたいに感じる。どうして言えなかったのか。 分かっている。 どう思われるか、想像出来たから。 でも、それを避けた結果、もっと悪い形になっている気がして、息が少しだけ詰まる。
家の前に立つ。 一瞬だけ、足が止まる。 帰りたくない訳じゃない。 ただ、このドアの向こうにある空気を想像してしまうだけ。 深く息を吸って、ドアを開ける。
夢主
部屋の明かりはついている。
たっつん
返ってきた声は、普段と同じ様で。 でも、確実に温度が違う。 リビングに入ると、たっつんがソファに座っていた。スマホを持っているのに、視線はそこに落ちていない。 目が合う。 一瞬だけ。 直ぐに逸らされる。
たっつん
低く落ちる声。 軽くはない。
夢主
曖昧に答える。 その瞬間、空気が僅かに張り詰める。
たっつん
短い返事。 それだけなのに、逃げ場がなくなる。 たっつんがゆっくり立ち上がる。 一歩、また一歩と近づいてくる。 距離が縮まる。
たっつん
視線が真っ直ぐ向く。 誤魔化せない。
夢主
足りない答え。 それは、自分でも分かっている。
たっつん
更に近づく。 声が低くなる。
夢主
言葉が出ない。 その沈黙が、全てを示す。 たっつんが小さく息を吐く。
たっつん
逃げ道が完全に塞がれる。
夢主
やっと出た声。
たっつん
短い言葉。
たっつん
それで全部伝わる。
夢主
自然に出る。 それしか言えない。
たっつん
少しだけ強くなる声。
たっつん
正論。
夢主
小さく返す。
たっつん
間を空けずに返ってくる。
たっつん
逃げられない。
夢主
正直に言う。 その瞬間、たっつんの表情が僅かに揺れる。
たっつん
ハッキリと小さく呟く。 胸の奥が締まる。
たっつん
言葉が重なる。
たっつん
一度、言葉が途切れる。 視線が戻る。
たっつん
真っ直ぐに言い切る。 怒りだけじゃない。 ちゃんと感情が混ざっている。
夢主
もう一度言う。 たっつんが近づく。 距離がかなり近づく。 逃げられない位置。
たっつん
低く聞かれる。
夢主
曖昧な答え。
たっつん
鋭く返される。 逃げられない。
夢主
正直に答える。 その瞬間、少しだけ空気が緩む。 たっつんが視線を逸らす。
たっつん
ぽつりと落ちる。 命令じゃない。でも、確実に重い。
夢主
小さく頷く。 視線が落ちる。 けれど、その沈黙がさっきまでとは違う。 まだ少しだけ張り付いている感情が残っているのに、完全には拒まれていない距離。 その曖昧なままの空気の中で夢主は少しだけ迷ってから、ゆっくりと一歩、踏み出す。 距離を詰める。 たっつんの目が僅かに動く。
たっつん
低く問われる。 その声にはまだ少しだけ硬さが残っている。 答えずに、腕を伸ばす。 触れる。 抱きつく。 ぎこちない動きだった。 勢いもない。 ただ、確かめるみたいに、ソッと。 一瞬、空気が止まる。 たっつんは動かない。 拒まない。 でも、直ぐには応えない。 その"間"が、やけに長く感じる。 夢主は少しだけ力を込める。 逃げられたくなくて。離されたくなくて。
夢主
小さく、もう一度言う。 胸元に顔を埋めたまま。 たっつんの呼吸が、僅かに変わる。 息を吐く音。 ほんの少しだけ、力が抜ける気配。
たっつん
ぽつりと落ちる声。 怒りきれない。 でも、簡単に流される程軽くもない。 その中途半端な感情が、言葉に滲む。 胸が、ゆっくり上がる。 直ぐには触れない。 ほんの少しだけ迷う。 触れていいのか、一瞬だけ考えるみたいに。 それでも、やがて背中に回る。 指先が触れて、少しずつ力が入る。 引き寄せる。 さっきよりも、ちゃんとした距離になる。
たっつん
夢主
低く呟く。
たっつん
――と、言いかけて、少しだけ言葉が止まる。 一瞬だけ、視線が揺れる。 そのまま、少しだけ強く抱き寄せる。
たっつん
低く落ちる声。 さっきまでの怒りが、完全に消えた訳じゃない。でも、その中に混ざる感情は一つだけじゃない。 手の平にこもる力が、少しだけ強くなる。 逃がさないみたいに。 離したくないみたいに。 夢主は小さく頷く。 胸の中で、そのまま動かない。 暫く、何も言葉がない時間が続く。 静かな部屋の中で、互いの呼吸だけが近くにある。少しずつ、張り付いていた緊張が解けていく。 完全に元通りじゃなくても。 さっきまであった距離よりは、ずっと近い。 たっつんの手が、ゆっくりと背中を撫でる。 確かめる様に。 そこにいる事を、離れない事を。 何も言わなくても伝わる距離の中で。 二人の間に残っていた温度が、静かに戻っていった。