40代天皇。 天智天皇の弟で、妻は、41代天皇の持統天皇。
天智天皇の死後、その息子の大友皇子(大海人皇子)との戦い(壬申の乱)に勝利して天皇になると、兄同様、天皇を中心とした政治体制を整えました
『古事記』『日本書紀』といった歴史書の作成を命じたことでも有名です。
天智天皇
天武天皇(大海人皇子)
天武天皇(大海人皇子)
大海人皇子は身の危険を感じ出家して僧になった
671年 天智天皇が死去、翌年天皇の座を巡って戦が起こった
大海人皇子が勝利した
673年 天皇の座につくと
天武天皇(大海人皇子)
後に天武天皇の妻が天皇となる(持統天皇)
新しい身分制度(八色の姓)を作り、皇族たちを支配するとともに、日本のこれまでの歴史を書物にまとめる授業にも取り掛かった。
天皇家による支配の正しさを示すためである。
『天皇』や『日本』という言葉が使われるようになったのは、天武天皇の代だと言われている。
天武天皇(大海人皇子)
686年死去 4年後、天武天皇の妻が次の天皇になった。
持統天皇
ねむ、天皇の明治大歴史書作りは天武天皇8時父天皇の死後に完成した
古事記792年完成。・゚・٩(。>д<。)۶・゚・。
日本書紀720年完成。・゚・٩(。>д<。)۶・゚・。
舎人親王
天武天皇(大海人皇子)
コメント
1件
すごい!!