壱田 征
高校3年生。風冷えする、秋のこと。 風速1m/sの風が吹くと、体感温度は1度下がるらしい。彼のその言葉は、カッターシャツ一枚で冷えきった僕の体を凍りつかせた。
壱田 征
口を開こうとするけど、うまく力が入らない。シャツの上にベストを着てくればよかった。山の高台にあるこの学校の気温なんか、思い出す余裕すらなかった。
昼田 愁
ヒキコモリの定義は、“6ヶ月以上、外との交流を避けて家にいる”こと。ああ、彼のなじりは合っている。返す言葉もない。 教室中の人たちが、僕を見ていた。 ひそひそ話もこれだけ静まり返っていれば、容赦なく聞こえてくる。
クラスメイト
クラスメイト
クラスメイト
クラスメイト
クラスメイト
絶滅くん。 それが、僕のあだ名。
壱田 征
バンッ。しびれを切らした壱田が僕の机を叩いた。置いてあった一枚の紙を、壱田が乱暴に拾い上げる。 さっき校長室で手渡された僕の“特別推薦書”だった。それを受け取るために、僕は学校に呼び出された。 『特筆すべき文化・スポーツ活動』の欄には、こう書いている。
環境科学研究発表 文部科学大臣特別賞 『絶滅危惧種の生息域外保全』 中学三年生 昼田 愁(ひるだ しゅう)
大学生と高校生のグループを抜いて、中学生の受賞は前代未聞だったらしい。その発表レポートは、目まいと過呼吸を起こして学校に行けなくなった日から、黙って作りはじめたものだった。 新聞にも載ったし、テレビでも少し紹介された。うちの学校名と一緒に。だから校長先生はすごく嬉しそうだった。僕の出席日数が、推薦条件にギリギリ足りていることも。
壱田 征
そのせいで壱田は怒っている。当然だ。壱田はサッカー部のエースだった。いつも大勢でつるんで、うるさくて派手だけど、テストの成績もトップ常連。 すべては、うちの学区からだと推薦枠でしか入学できない堀庭高校に進学を希望していた、壱田の努力だ。
昼田 愁
昼田 愁
昼田 愁
壱田 征
昼田 愁
壱田 征
昼田 愁
壱田の怒りをわかっていながら、どうしても譲れなかった。 壱田が僕の胸ぐらを掴もうとしたとき、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、先生が教室に入ってくる。
壱田 征
舌打ちをして、壱田は僕に背を向ける。
壱田 征
吐き捨てて、壱田は席に戻っていった。 うつむいて、握りしめた手で、壱田が目を何度かこすっているのが見える。壱田に同情した同級生からの、視線が刺さる。 ダンクルオステウス。 植物プランクトンの群れに酸素を奪われて、窒息して滅びたデポン紀の魚。 人と関わることが苦手で、すぐにうまく呼吸ができなくなる僕は、本当に間もなく絶滅するべきなんだろう。
昼田 愁
過呼吸が押し寄せる恐怖で、すぐさま目を閉じた。ダンクルオステウスの体を覆う、硬い骨の手触りをひたすら想像した。 絶滅動物のことを考えている時だけは、落ち着いて呼吸をしていられた。静かに滅びゆく姿と自分が重なると、とても悲しくて、それなのにどこか諦められた。
昼田 愁
絶滅を望まれている僕。 図鑑に載ることもない。 どう考えたって、いいあだ名じゃないことは確かだ。 推薦の面接試験は来月、東京で。 それから卒業までの間、僕は海の底みたいなここで息をひそめて、どうにか生き延びなければならない。
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