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天智天皇(中大兄皇子)は38代天皇、中臣鎌足は飛鳥時代の貴族。
協力して有力豪族の蘇我氏を滅ぼし、『大化の改新』と呼ばれる改革を行いました。
国外では663年に唐(中国)と、シルラ(朝鮮半島の国)の連合軍に挑戦で大敗(白村江の戦い)。
その後は法令や戸籍づくりに取り組み、国内の制度を固めました。
聖徳太子の死後蘇我氏は、ますます大きな権力を持った!
天智天皇
645年 中臣鎌足と中大兄皇子は入鹿を殺害した。
入鹿の死を知った蝦夷は、屋敷に火をつけ自害した
中臣鎌足
天智天皇
天智天皇
中臣鎌足
天智天皇
村人
中臣鎌足
中臣鎌足
蘇我氏を滅ぼし天皇中心の体制を作り上げようとした
一連の政治改革を『大化の改新』と呼ぶ。
中大兄皇子と中臣鎌足は自分たちの改革の邪魔になりそうな人達を次々に殺害していった。
その頃、朝鮮半島では日本の友好国の百済が唐(中国)と新羅に滅ぼされた
だが唐と新羅の連合軍に日本は大敗北
天智天皇
中大兄皇子は各地に堤防や城を築き、防人に北九州を守らせた
その後、中大兄皇子は都を近江の大津宮に移し、天智天皇になった
そして、中臣鎌足と共に戸籍作りや法の整備に取り組んだ💦
中臣鎌足
669年 中臣鎌足、死亡😭 死ぬ直前に藤原の姓が与えられた
天智天皇
以後、中臣鎌足の子孫は朝廷内で大きな力を持つようになる💪💪💪