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たたべ
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#srkn
たたべ
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あおい
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世の中には「二つの性」が存在する。一つ目は、男性か女性かという生物学的な性別。 そして二つ目が、α・β・Ωという先天的な第二の性だ。
簡単に説明すると、αは優秀、βは一般人、Ωは弱者。
αは人口の約20%ほどしか存在しない希少な性で、高い能力とカリスマ性を持つ。さらに、他の性を惹きつけるフェロモンを持ち、Ωを妊娠させることができる。
βは人口の約70%を占める、最も一般的な性だ。特別な体質や能力はなく、いわゆる「普通の人間」である。
そしてΩ。
Ωは人口のわずか10%しか存在しない希少な性で、定期的に強い発情期が訪れる。そして社会から冷遇されており、Ωを隠す人がほとんどだ。さらに、男女を問わず妊娠できるという、あまりにも特殊な体質を持っている。そのため、αやβから煙たがれている。
……まぁ、お察しの通り。
僕、風楽奏斗。20歳、男。
その「Ω」ってやつなんだ。
……いや、意味が分からない!!
正確に言えば、元α、現Ω。
二週間前までは、自分がΩになるなんて夢にも思っていなかった。
あの日、突然身体中が熱くなった。
「風邪でも引いたかな」と軽く考えて夜間病院へ向かった。そこで告げられた一言が、僕の人生を大きく変えた。
『……風楽さん。落ち着いて聞いてくださいね』
『……はい』
『貴方の第二の性が、突然変異を起こしました』
『……は?』
あまりにも突拍子のない話に、開いた口が塞がらなかった。
『ごく稀にあるケースなんです。昔の診断が誤診だった場合か、相性の良いαが長期間そばにいることで、後天的に性が変化することがあります』
『……え』
『風楽さんの場合は、もともとフェロモンの反応が見られていました。おそらく後者でしょうね』
『は、はぁ……』
理解しようとしても、頭がまったく追いつかない。
そんな僕を見て、医師はさらに言葉を続けた。
『それと、風楽さん。ご本人は気づいていないようですが、現在発情期に入っています』
『え”っ!?』
思わず変な声が出た。
『私は慣れていますから問題ありませんが、この状態で無事に病院まで来られたのは奇跡ですよ。今までは別の性だったので戸惑うでしょうが、これからは慣れていかなければなりません。そうでないと、身の安全を守れません』
『今日は抑制剤の処方がまだできませんので、応急処置として注射を打っておきます。今日はなるべく早く帰宅してください』
『わ、分かりました……』
――そんな出来事があったのは、二週間前。
最初こそ混乱していたけれど、ようやく頭の整理もついてきた。スタッフにも事情は話せたし、やるべきことは一通り終わった。
……だけど、一番の問題はメンバーの三人だ。
面倒なことに、三人ともα。
もともとは全員がαだったから、余計な気を遣う必要もなく、居心地のいい関係だった。
だけど、今は違う。
あいつらのことだから、僕を嫌ったり避けたりすることはないと思う。
……でも、きっと必要以上に気を遣ってくる。
僕だって、できる限り今まで通りでいたい。
だからこそ、自分にできることは頑張るつもりだ。
頑張るけど……
頑張るけどさぁ……
なんで、よりにもよって明日が撮影なんだよぉ……
翌日。
寝た時間の割には、いつもより早く目が覚めた。
変に緊張してしまって、ほとんど眠れなかったからだ。
そのせいか、朝になってもまったく食欲が湧かない。
……いや。
正確には、撮影そのものに緊張しているわけじゃない。
怖いのは、あの三人に話すこと。
もし、このことを打ち明けたせいで、今までの関係が壊れてしまったら――。
そんなことばかり考えてしまって、結局朝方まで眠れなかった。
もちろん、あいつらのことは信じてる。
嫌われることなんてないって分かってる。
でも、「分かってる」と「怖くない」は、全然別の話だ。
撮影だって、本当は僕が「もう現場に行けます!」ってスタッフに伝えたから組まれたスケジュールなんだろう。
今さら「やっぱり無理です」なんて言えるわけもない。
……いや、
言えるわけ、ないんだけどさ。
……ちょっと、逃げたくなってきた。
無理ぃぃぃ……
無意識にスマホを手に取り、セラフとのトーク画面を開く。
【車で行く? それなら僕もついでに――】
そこまで打ったところで、指が止まった。
「……あ」
思わずスマホを取り落とす。
カラン、と乾いた音が部屋に響いた。
……完全に癖だ。
今までなら、撮影の日は当たり前のようにメンバーの誰かへ連絡して、一緒に現場へ向かっていた。
何も考えずに。
それが当たり前すぎて、身体が勝手に動いてしまったらしい。
スマホを拾い上げ、打ちかけのメッセージをそっと消す。
「……今日は、やめとこ」
今日はタクシーで行こう。
少しでも距離を取った方が、お互いのためだ。
そう自分に言い聞かせ、配車アプリを開く。
しょうもない覚悟だ。
それでも、今の僕には必要な覚悟だった。
スマホを握る手に、少しだけ力が入る。
待合室へ着く頃には、集合時間の十五分前だった。僕にしては割と早い到着だ。
「おはようございます」
スタッフへ挨拶をすると、いつも通り笑顔で迎えてくれる。
その変わらない空気に少しだけ肩の力が抜けた。
「風楽さん、おはようございます! 今日は体調どうですか?」
「大丈夫です! ご心配おかけしました!」
自然と笑顔を作る。
スタッフにはもう事情を話してある。
だからこそ、余計な心配をかけたくなかった。スタッフはこれからの準備のためにスタジオに行くらしい。待合室には僕だけが残った。
荷物を置き、一度深呼吸をする。
……よし。
あとは三人を待つだけ。
そう思った、その時だった。
「おーい、奏斗!」
聞き慣れた声が待合室の入口から響く。
ビクリ、と肩が跳ねた。
……来た。
雲雀だ。
反射的にそちらへ視線を向ける。
「おはよ、奏斗!」
いつもと変わらない明るい声。
その後ろには、アキラとセラフの姿も見えた。
三人とも、いつも通り笑っている。
その”いつも通り”が、今の僕には少しだけ眩しかった。
「……お、おはよう」
ぎこちなく返すと、雲雀は不思議そうに首を傾げる。
「なんか元気なくね? 朝弱かったっけ?」
「いや、ちょっと寝不足でさ」
とっさにそう誤魔化す。
嘘ではない。
実際、ほとんど眠れていないのだから。
「ふーん。まぁ、無理すんなよ」
あっさりと返される。
それだけなのに、胸が少し痛んだ。
(……やっぱり言えない)
こんな何気ないやり取りが、今日で変わってしまうかもしれない。
そう思うだけで、喉の奥が締め付けられる。
「奏斗」
静かな声がした。
振り向くと、アキラが真っ直ぐこちらを見ていた。
「体調、本当に大丈夫そうですか?」
その一言に、思わず肩が跳ねる。
鋭い。
アキラは昔から、人の小さな変化によく気づく。
「だ、大丈夫だって」
慌てて笑ってみせる。
「そうですか?」
四季凪は少しだけ目を細めたものの、それ以上は何も聞いてこなかった。
「ほら、二人とも。立ち話してないで行くよ」
セラフがいつもの調子で声を掛ける。
「スタッフさん待たせちゃうし」
「あ、そうだった!」
雲雀は笑いながら歩き出す。
その後ろを、四季凪とセラフが続く。
僕も一歩踏み出した。
……この時はまだ。
今日一日が、こんなにも心臓に悪い日になるなんて思ってもいなかった。
「じゃあ、まずはソロカットからお願いしまーす!」
スタッフの声がスタジオに響く。
「はーい!」
なるべく普段通りを装って返事をする。
笑顔も作る。
受け答えもいつも通り。
……の、つもりだった。
「風楽さん、少し肩の力抜きましょうか」
「え?」
「少し表情硬いですよ」
「あっ……すみません」
やっぱり隠しきれていない。
スタッフに言われて初めて、自分が思っている以上に緊張していることに気づいた。
「大丈夫ですか? 無理しなくていいんですからね」
「平気です」
深呼吸を一つ。
よし。
仕事だ。
今だけは余計なことを考えない。
撮影は少しずつ進み、ソロ、ペアと終わっていく。
そして――。
「次、四人でお願いしまーす!」
その一言に、心臓が嫌な音を立てた。
「あ、奏斗こっちな!」
雲雀が手招きをする。
「……う、うん」
逃げるわけにもいかず、その隣へ立つ。
「もうちょい寄ってー!」
カメラマンの指示に合わせ、一歩だけ距離を縮めた。
その瞬間。
雲雀の表情がぴくりと動く。
(……なんだ?)
ふわり、と甘い香りが鼻先を掠めた。
柔軟剤でも香水でもない。
もっと自然で、どこか頭の奥がじんわり熱くなるような、不思議な香り。
思わず隣を見る。
奏斗は何事もないように前を向いている。
(……近づきたい)
一瞬、そんな衝動が胸をよぎる。
「雲雀ー? カメラ!」
「……あ、悪ぃ!」
慌てて意識を引き戻す。
(なんだ今の……)
胸が少しだけ騒ぐ。
理由は分からない。
撮影が進むにつれ、奏斗が近づくたびに同じ香りが漂う。
その度に無意識に視線が向き、気づけば距離を詰めそうになっている自分がいた。
(おかしい)
(今日の俺、どうしたんだ……)
その一方で、奏斗は僅かに距離を取ろうとしている。
目が合えば、すぐ逸らされる。
その度に胸が締め付けられた。
(……避けられてる)
理由なんて分からない。
けれど、離れていく背中が、どうしようもなく苦しかった。
知っているのは、ただ一人。
隣で必死に平静を装う、風楽奏斗だけだった。
「はい、お疲れ様でしたー!」
スタッフの声が響き、ひとまず午前中の撮影が終了した。
「ふぅ……」
小さく息を吐く。
何とか終わった。
大きなミスもなく、無事に乗り切れた。
……そう思ったのも束の間だった。
「奏斗!」
雲雀がこちらへ駆け寄ってくる。
「お昼、一緒に食おうぜ!」
「えっ……」
反射的に一歩後ずさる。
「あ……ご、ごめん! スタッフさんにちょっと呼ばれてるから!」
咄嗟に口から出たのは、苦しい言い訳だった。
「……そっか」
雲雀は笑った。
笑ったはずなのに、その表情はどこか寂しそうだった。
「じゃあ終わったら教えて」
「う、うん……」
奏斗はその場を足早に離れる。
その背中が見えなくなるまで、雲雀はじっと見つめていた。
「……避けられてる」
ぽつりと漏らした声は、自分でも驚くほど小さかった。
「たらい」
後ろからアキラが声を掛ける。
「やっぱり気づきました?」
「……あぁ」
「最近ずっとですよね」
アキラも視線を奏斗が消えた廊下へ向ける。
「私たちと距離を置こうとしてる」
その言葉に、雲雀は苦笑した。
「俺、なんかしたかなって思ってた」
「私も」
そこへセラフも飲み物を片手に近づいてくる。
「二人とも何の話?」
「奏斗のこと」
その一言で、セラフの表情が曇る。
「……やっぱり?」
「セラフも気づいてた?」
「気づくよ」
苦く笑って肩を竦める。
「ここ二週間くらい、連絡も必要最低限だし、対応変だからね」
「前は撮影がある度に『迎えお願い』って言ってきたのに」
その言葉に、三人とも黙り込んだ。
全員、同じことを感じていた。
奏斗が変わった。
いや。
変わろうとしている。
理由は分からない。
それでも、一つだけ確かなことがあった。
三人とも。
風楽奏斗のことが好きだった。
その気持ちは、ずっと昔から変わらない。
けれど、相手は同じα。
この恋に未来なんてない。
そう思って、誰も口にしなかった。
壊したくなかったから。
今の関係が、何より大切だったから。
だからこそ。
今、奏斗が自分たちを避ける理由が分からないことが、苦しかった。
「……今日」
静かに口を開いたのはアキラだった。
「撮影が終わったら、奏斗と一度ちゃんと話しましょう」
「逃がさねぇ」
雲雀が真っ直ぐ前を向く。
「もう、『大丈夫』って笑って誤魔化されるのは嫌だ」
セラも小さく頷いた。
「あいつ、一人で抱え込む癖あるからね」
三人の想いは、一つだった。
──今日は絶対に、奏斗の本音を聞く。
その頃、当の本人は。
人気のない控室で、小さく膝を抱えていた。
「……怖い」
誰にも聞こえないほど小さな声が、静かな部屋に溶けていった。
膝を抱えたまま、ゆっくりと息を吐く。
「はぁ……」
ダメだ。
考えれば考えるほど、悪い方へばかり考えてしまう。
『嫌われるわけないじゃん』
頭では分かっている。
あの三人が、そんなことで僕を嫌う人たちじゃないことくらい。
でも。
“今まで通り”ではいられない。
Ωになった以上、距離を考えなきゃいけない。
僕が勝手に近づいて、もしフェロモンの影響を受けさせてしまったら。
もし発情期が来た時、一緒にいたら。
そんな「もし」が、怖くて仕方なかった。
───コンコン
不意に控室のドアがノックされる。
「……はい?」
「奏斗、いる?」
聞き慣れた声に、心臓が跳ねた。
雲雀だ。
「ちょっと入るぞ」
「あっ──!」
止める間もなく、ドアがゆっくり開く。
「……やっぱここにいた」
雲雀はいつものように笑おうとした。
けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。
「みんな探してたぞ」
「ご、ごめん。ちょっと一人になりたくて……」
「そっか」
沈黙が落ちる。
雲雀は何か言いたそうにしている。
でも、言葉が出てこない。
奏斗も、何を話せばいいのか分からなかった。
「……なぁ」
先に口を開いたのは雲雀だった。
「俺ら、なんかした?」
「え……?」
「最近ずっと避けられてる気がしてさ」
その言葉に、奏斗の肩が小さく震える。
「違っ……!」
反射的に否定する。
「違うよ、そんなことない」
「じゃあ、なんで?」
真っ直ぐな瞳。
昔から変わらない、嘘を見逃さない目。
「車も別」
「連絡も減った」
「今日だって俺が近づいたら、逃げただろ」
一つ一つ事実を並べられ、奏斗は何も言い返せない。
「俺さ」
雲雀は困ったように笑った。
「嫌われたのかと思った」
その一言が、奏斗の胸に深く突き刺さる。
「ち、違う!」
思わず立ち上がる。
「嫌ってなんかないよ!」
「じゃあ何なんだよ!」
雲雀も思わず声を荒げた。
その瞬間。
───ガチャ
控室のドアが再び開く。
「……やっぱりここでしたか」
アキラが静かに中へ入ってくる。
その後ろから、セラフも顔を覗かせた。
「ごめんね、盗み聞きするつもりはなかったんだけど」
三人の視線が、一斉に奏斗へ向く。
逃げ場は、もうなかった。
「奏斗」
アキラが穏やかな声で呼ぶ。
「私たちは、貴方を責めたいわけじゃない」
「ただ、知りたいんだ」
「どうして一人で抱え込もうとするのか」
セラフもゆっくり頷く。
「俺たちじゃ頼りない?」
その一言で、奏斗の中で張り詰めていた糸が、大きく揺らいだ。
言わなきゃ。
もう隠せない。
でも──
言ったら。
全部、変わってしまうかもしれない。
その恐怖で、唇が震えた。
何度も開こうとして、結局閉じる。
言わなきゃ。
そう思うのに、喉の奥が詰まったように声が出ない。
「……奏斗」
四季凪が一歩だけ近づく。
その動きに、奏斗は反射的に後ずさった。
「っ、来ないで!」
ビクッ、と三人の肩が揺れる。
「ご、ごめ……」
すぐに後悔した。
そんな言い方をしたかったわけじゃない。
「ごめん……」
小さく謝る奏斗を見て、三人は何も言わない。
責めることも、怒ることもなく、ただ黙って待っていた。
その沈黙が、逆に優しかった。
「……違うんだ」
奏斗は俯いたまま、小さく呟く。
「みんなが嫌いになったとか、そういうんじゃない」
「むしろ、その逆で……」
拳をぎゅっと握り締める。
「大事だから」
「大事だからこそ、近づいちゃダメなんだ」
「奏斗……?」
雲雀が戸惑ったように名前を呼ぶ。
奏斗はゆっくり息を吸い、覚悟を決めるように目を閉じた。
「……二週間前」
「病院に行ったんだ」
「急に熱が出て、身体がおかしくなって」
「そこで言われた」
部屋が静まり返る。
「僕の第二の性が……変わったって」
三人の表情が固まる。
「僕……」
震える声を無理やり押し出す。
「僕、Ωになった」
その一言が、静かな控室に落ちた。
誰も、すぐには言葉を返せない。
驚きで固まっている三人を見て、奏斗は苦しそうに笑う。
「……ほら」
「やっぱり驚くよね」
「僕だって意味分かんなかったもん」
笑おうとしているのに、声が震える。
「だから避けてた」
「みんなαだから」
「もしフェロモンの影響が出たらって」
「もし発情期になったらって」
「もし僕のせいで迷惑かけたらって」
一つ話し始めると、もう止まらなかった。
「今までみたいに隣にいたらダメだって思った」
「車も、一緒に乗らない方がいいって」
「なるべく近づかない方がいいって」
「それなのに……」
奏斗は唇を噛む。
「みんな優しいから」
「普通に話しかけてくれるから」
「余計につらかった……」
ぽろり、と一粒の涙が床へ落ちた。
「ごめん……」
「黙ってて、ごめん」
「怖かったんだ」
「嫌われるのが」
「今までの関係が壊れるのが……」
それだけ言うと、奏斗は顔を覆った。
静かな嗚咽だけが、控室に響く。
三人は何も言えなかった。
衝撃が大きすぎたからじゃない。
目の前で、一人で全部を抱え込んでいた奏斗が泣いている。
その事実が、胸を締め付けていたからだった。
そして雲雀は、奏斗から微かに漂う甘い香りの正体を、ようやく理解した。
(……だから、あの匂い)
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
諦めたはずの恋が、静かに動き出そうとしていた。
けれど今は、そんなことを考えている場合じゃない。
今、一番大切なのは――
目の前で震えている、大好きな人を安心させることだった。
控室には、奏斗の小さな嗚咽だけが響いていた。
誰もすぐには口を開けない。
それぞれが、奏斗の言葉を噛み締めていた。
二週間。
たった一人で抱え込み、笑って、仕事をして、自分たちには何も言わなかった。
その事実が、苦しかった。
最初に動いたのは、雲雀だった。
「……奏斗」
ゆっくりと名前を呼ぶ。
だが、一歩踏み出したところで足を止めた。
今近づけば、奏斗はまた怯えてしまう。
そう思ったからだ。
「……一つだけ、聞いてもいいか?」
奏斗は涙で濡れた目のまま、小さく頷く。
「俺らを避けてたのって」
雲雀は真っ直ぐ奏斗を見つめる。
「俺らが嫌いになったからじゃなくて」
「俺らを守ろうとしてたから……なんだよな?」
その問いに、奏斗は目を見開いた。
数秒後。
こくり、と小さく頷く。
「……うん」
その瞬間。
雲雀は困ったように笑った。
「バカじゃねぇの…」
「……え?」
「なんで一人で抱え込むんだよ」
その声は責めるものではなく、どこまでも優しかった。
「俺ら、そんな頼りなかった?」
「ち、違……」
「違わない」
今度はアキラが口を開く。
「奏斗はいつもそうですよね」
「自分が傷つく方を選ぶ」
「私たちが心配するくらいなら、自分一人で抱え込めばいいって思う」
図星だった。
奏斗は何も言えない。
「でも、それは違いますよ」
アキラは柔らかく微笑む。
「私たちは、貴方の負担を分け合いたい」
「それが仲間だから」
「……っ」
また涙が溢れる。
「それにさ」
セラフが苦笑しながら口を開いた。
「嫌われるかもって思ってたんでしょ?」
「……」
「そんなわけないじゃん」
あまりにも即答だった。
「αとかΩとか」
「そんなので奏斗を見るような俺たちに見える?」
奏斗はゆっくりと首を横に振る。
見えない。
見えないからこそ、怖かった。
「でも……」
「僕、Ωなんだよ……」
震える声でそう言うと、雲雀は少しだけ眉を下げた。
「だから?」
「……え?」
「Ωだから何」
「奏斗は奏斗だろ」
その一言に、奏斗は息を呑む。
「昨日までの奏斗と、今日の奏斗」
「何が違う?」
「……」
「俺には分かんねぇ」
雲雀は困ったように笑った。
「俺が好きな風楽奏斗は、昔からずっと風楽奏斗だから」
──しまった。
言った瞬間、自分で気づいた。
「……あ」
思わず口元を押さえる。
控室が静まり返る。
「ひ、雲雀……今……」
奏斗が涙も忘れて見つめる。
「…………」
雲雀は数秒固まったあと、大きく頭を抱えた。
「……やっべ」
「違ぇ!」
「いや、違わねぇけど!」
「どっちなの?」
セラが呆れたように笑う。
雲雀は大きく息を吐き、照れくさそうに笑った。
「……隠しても仕方ねぇか」
「昔から好きだった」
「でも、お互いαだったから諦めてた」
「今の関係を壊したくなくて、何も言えなかった」
「だから今日、お前に避けられて……嫌われたんだと思って、正直きつかった」
奏斗は何も言えない。
その場に静かな沈黙が流れる。
やがてアキラが小さく笑った。
「……たらいだけに格好つけさせるのも癪ですね」
雲雀が「は?」と振り向く。
アキラは眼鏡を押し上げ、小さく息を吐いた。
「私は今日、言うつもりはありませんでした」
「奏斗も混乱していますし、今は恋愛の話をする場ではないと思っていましたから」
奏斗が驚いて顔を上げる。
「ですが」
「雲雀だけに言わせるのは、不公平ですね」
少しだけ照れたように目を伏せる。
「……私も、貴方が好きです」
「ずっと前から」
雲雀が思わず目を丸くする。
「お、お前まで……」
セラフは苦笑して肩をすくめた。
「……ここまで来たら、俺だけ黙ってる方が不自然か」
「本当は俺も同じ」
「奏斗のことが好き」
「でも返事は今いらない」
「むしろ、今は考えなくていい」
「今日は奏斗が一人で抱え込まなくていいって、それだけ伝われば十分だから」
三人の視線が優しく奏斗へ向く。
そこにあるのは、返事を急かす気持ちではなかった。
何年も胸の奥にしまってきた想いと、
『これからは一人にしない』
という静かな決意だけだった。
奏斗は口をぱくぱくと動かし、しばらく固まる。
そして数秒後。
「…………えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
控室いっぱいに絶叫が響いた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「僕、Ωになったって話をしに来たんだよ!?」
「なんで三人から告白されてるの!?」
「情報量が多すぎるよ!!」
その必死な様子に、三人は顔を見合わせる。
そして同時に吹き出した。
「……ふふ」
「…あはは!」
「ははっ」
「なんで笑うの!?」
「いや」
セラフは笑いながら首を振る。
「その慌て方、久しぶりに見たから」
「今の奏斗の方が、いつもの奏斗ですよ」
アキラも柔らかく微笑む。
「……っ」
胸が熱くなる。
三人は。
怒っていない。
嫌ってもいない。
それどころか、いつもの自分に戻れたことを喜んでくれている。
そう思った瞬間、張り詰めていたものが少しだけほどけた。
「……でも」
奏斗は小さく首を横に振る。
「だからってダメだよ」
笑顔は消え、真剣な表情になる。
「僕はもうΩなんだ」
「それに、みんなはα」
「今までみたいに近くにいたら、何が起こるか分からない」
「病院でも言われた」
『相性の良いαが近くにいることで、性が変化することがあります』
医師の言葉が脳裏をよぎる。
「発情期だってある」
「フェロモンだってある」
「もし僕が我慢できなくなったら」
「もし、みんなに迷惑かけたら」
「そんなの嫌なんだ」
奏斗は三人を見つめる。
「だから……」
「今まで通りなんて、できないよ」
その言葉を聞いた雲雀は、小さく息を吐いた。
「奏斗」
「……?」
「一つ勘違いしてる」
「え?」
雲雀は真っ直ぐ奏斗を見る。
「俺らが怖いのは」
「奏斗がΩだからじゃねぇ」
「また、一人でいなくなること」
その言葉に続くように、アキラも口を開く。
「貴方は『迷惑をかける』って言うけど」
「私たちは、一度も迷惑なんて思ってません」
「むしろ」
「頼ってもらえなかったことの方が、ずっと悲しかった」
「……」
セラフもゆっくり頷く。
「発情期があるなら、一人で耐えようとしないで」
「抑制剤が必要なら一緒に病院行く」
「体調悪いなら仕事だって調整する」
「それくらい、当たり前」
「だって」
セラフは優しく笑った。
「俺たち、家族みたいなもんでしょ?」
その一言に、奏斗の目からまた涙が零れた。
家族。
仲間。
その言葉だけで十分だった。
「……っ、ごめ」
「ごめん、みんな……」
「謝らなくていい」
アキラが穏やかに遮る。
「一つだけ約束して」
「今度からは、一人で決めないこと」
「私たちにも、一緒に悩ませてください」
奏斗は涙を拭いながら、小さく頷いた。
「……うん」
その返事に、三人はようやく安堵したように笑う。
けれど。
その笑顔の裏で。
三人とも同じことを考えていた。
(……もう、諦める理由はなくなった)
誰にも気づかれないように交わされた視線。
そこには、長年胸の奥へ押し込めてきた想いと、静かな決意が宿っていた。
「──よし、」
雲雀がパン、と軽く手を叩く。
「この話、一旦終わり!」
「え?」
奏斗がきょとんと顔を上げる。
「だって、午後の撮影あるだろ?」
「あ……」
すっかり忘れていた。
時計を見ると、休憩終了まであと十分。
「やばっ!弁当まだ食べてない!!」
慌てて立ち上がる奏斗を見て、三人は思わず笑う。
「ほら、やっぱその奏斗だ」
セラフが笑えば、
「さっきまで泣いてた人とは思えないですね」
アキラも小さく笑う。
「お黙り!!」
頬を膨らませる奏斗に、控室の空気はようやくいつもの温度へ戻っていた。
いや、
“戻った”わけではない。
四人の中で、確かに何かが変わっていた。
午後の撮影。
「じゃあ、次はこちらのセットでお願いしまーす!」
スタッフの指示に従い、四人はスタジオ中央へ向かう。
奏斗は一瞬だけ足を止めた。
(……普通に)
(普通に接するんだ)
そう決めたばかりなのに。
「奏斗」
「っ!」
すぐ隣に雲雀が並ぶ。
以前なら何も思わなかった距離。
なのに今は、心臓がうるさい。
「緊張してる?」
「……ちょっとだけ」
「大丈夫」
雲雀は以前と変わらない笑顔を向ける。
「俺ら、どこにも行かねぇから」
その一言だけで、少しだけ肩の力が抜けた。
「……うん」
カメラマンがファインダーを覗く。
「じゃあ、みんなもう少し寄ってくださーい!」
以前なら自然に肩が触れるくらいまで近づいていた。
だが奏斗は、無意識に半歩引く。
その動きに、三人は気づいた。
「奏斗」
アキラが小さく名前を呼ぶ。
「無理はしなくていいんですよ」
「え?」
「貴方が安心できる距離でいい」
その言葉に、スタッフが首を傾げる。
「えーっと……?」
「すみません」
セラフが自然に前へ出る。
「ちょっとだけ立ち位置変えてもいいですか?」
「もちろんです!」
スタッフは快く頷く。
セラは何事もないように位置を調整し、奏斗との間にほんの少しだけ余裕を作った。
誰にも気づかれない程度の、本当にわずかな距離。
「これなら大丈夫?」
小さな声で尋ねられ、奏斗はこくりと頷く。
「……ありがとう」
その笑顔を見た三人は、それだけで十分だった。
(焦るな)
雲雀は自分に言い聞かせる。
(今日気持ちを伝えたのだって、事故みたいなもんだ)
(今欲しいのは返事じゃねぇ)
(奏斗がまた笑ってくれること)
そう思う一方で、隣に立つ奏斗から微かに漂う甘い香りに胸が熱くなる。
(……ダメだ)
(意識すんな)
必死に自分へ言い聞かせても、視線は自然と奏斗へ向いてしまう。
それは雲雀だけではなかった。
アキラも
セラフも
二人とも何気ない表情を装いながら、無意識に奏斗を目で追っていた。
そんな三人の視線に、奏斗はまだ気づかない。
「はい、オッケーです!」
最後のシャッター音が鳴り、撮影が終了した。
「お疲れ様でしたー!」
スタッフの声に、四人そろって頭を下げる。
「お疲れ様です!」
スタジオを出る途中。
奏斗はふと足を止めた。
三人が不思議そうに振り返る。
「……みんな」
少し照れくさそうに笑う。
「今日は、本当にありがとう」
その一言に、三人は一瞬目を丸くした。
すぐに雲雀が照れ隠しのように笑う。
「急に改まるなって」
「そうですよ」
アキラも柔らかく微笑む。
「礼を言われるようなことは何もしていません」
「いや、したよ」
奏斗は少しだけ目を潤ませながら首を振る。
「僕、一人だったらきっとまだ怖かった」
「でも」
「みんながいてくれたから、大丈夫って思えた」
その笑顔は、朝とは違っていた。
無理に作った笑顔ではない。
心から安心した、いつもの風楽奏斗の笑顔だった。
その笑顔を見て、三人も自然と笑う。
誰も返事を急かさない。
誰も距離を縮めようとはしない。
けれど、その距離はもう以前とは違っていた。
四人は並んでスタジオを後にする。
まだ何も始まってはいない。
けれど、確かに今日。
止まっていた時間が、少しだけ動き始めたのだった。
それはきっと、四人にとって新しい”始まり”だった。
────Fin
コメント
1件
もう……めちゃくちゃ良い話だった……! 主人公がΩになったことを一人で抱え込んで距離を置こうとする心情が痛いほど伝わってきて、胸が締め付けられました。特に「大事だからこそ近づいちゃダメ」って台詞が切なすぎる。でも三人のメンバーが「奏斗は奏斗だろ」って言ってくれたシーンで涙腺が崩壊しました。αとかΩとか関係なく、ただ仲間を想う気持ちがまっすぐで、まさに尊さの塊。告白連発の後の慌てふためく奏斗にも思わず笑顔になりました。続きが気になりすぎます!