___ さあ、迷える子羊達よ
視界が夜の闇のような闇に塗り潰される。
腕が腰に回され、体を抱き寄せられた。その直後、不破に浮遊感が襲う。体験したことのない感覚に、空を飛んだらこんな感じなのだろうかと興奮が滲んだ。が、それも一瞬のことで、直ぐに足がどこかの地面に触れたのが分かった。そして、少し残念に思う不破に新しい道を示すように闇の帳が取り払われた。
「っ、眩し…」
暗さに慣れていた目は、急に入ってきた光に耐えることが出来ずに不破に鈍い痛みを与える。けれどそれは、外の世界を初めて自身の足で踏み締めた不破にとっては取り留めのないことだった。もしかしたら光明に焼かれた自分が見せた幻かもとさえ、思ってしまう。
「さて、どうですか?外へと抜け出すのは」
不破の腰に回していた腕を引きながら、言いつけられていた事を破って、悪い子ですねぇとニヒルに笑う彼。
ああ、そうかもしれない。
今の気持ちは、宛ら家出をした幼子のようだ。新しい一歩への羨望と反抗心に混ざる少しの不安。様々な感情が入り乱れて不破の鼓動を早くする。胸に手を当てると、血の巡りが速いのが分かる。これが、ワクワクなのだろう。生まれて初めてのことに頬が緩む。
「そやなぁ。俺、悪い子になっちゃった」
「ふふ、それは良かった」
例え悪い子でも、虚空は貴方を歓迎しますよ。
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剣持が、不破を連れて来たのは虚空教の本部。
いきなりこんな場所に連れて来て良いのかと驚きはされたが、教祖である僕がルールですので、と剣持は屁理屈で軽く流した。
彼をソファに座らせて淹れた紅茶を手渡せば、あ、とした顔をする不破に、何と呼べばいいのか聞いていなかったと言われる。「何でも良い」と返せば、「もちさん…とか?」と提案される。聞き馴染みのあるその渾名に不可と言うハズもなく、肯く。剣持も不破に渾名を聞き、呼んでやれば、「これで渾名で呼び合う仲やな!」と不破は満面の笑顔でそう言った。
「取り敢えず、ふわっちは着替えましょう。此処でその服で居るのは不味いので」
「んにゃ、そうなん?」
「アンタは……、はァ。…良い?ふわっちは忘れてるようだけど!此処は!敵地!!」
元々敵同士なの僕ら、と言う剣持に不破は首を傾げる。
「だってぇ、俺ともちさんが直接恨みあってる訳やないのに敵なの…?」
元から敵じゃないしもう友達だ、と拗ねる不破に剣持は頭を押さえる。この人純粋がすぎるだろう。あまりにも俗世に触れたことがないのが見え透けていて無垢を超えて痛々しさがある。…本当に外を見たことが無かったのだろう。数十年も。その非道な行いに、教団の奴らの人の心はどうなっているのかと剣持は怒りを通り越して疑問を覚えた。
だが、それとこれとでは別なのだ。剣持は全くもって気にならないが、教団の修道服を着ている不破を信者が見てしまえば、良く思わないことなんて明白だ。見咎められた不破に魔の手が伸びるのは避けたい。
剣持は、自室にあるあまり使っていない服を収納している方のクローゼットを開ける。確か、記憶通りにまだ残っていればここに。
「…お、あった。ふわっち、これ着てみてよ」
取り出した服は、和服然としたものだ。見覚えのない目新しい服に目を輝かせた不破に教えてあげる。これは、剣持の出身の国での伝統的な衣装だ。まあ、動きやすいように少し簡略化はしてあるがと心の中で付け加えておく。
手に取った布地をするりと撫でる。藤の花を思わせる色に染まる生地をベースに、下に行くほど徐々に色濃く鮮やかになっていく色彩。その見事な色を更に際立たせるが如く、細やかなタッチで豪華な薔薇の刺繍があしらわれている。帯はシンプルな黒と白の細めの横縞柄にすることで華美さを控えめにする。うん、我ながら良いコーディネートだと剣持は不破を着付けながら満足に思う。
もう既に二人は、気心の知れた仲のようなテンポで会話を交えていた。そして剣持は、不思議な引力のようなものを不破に感じていた。ふわふわとしていて、掴み所がないけれど安心感がある。実際、最初は警戒心を持っていたが、気付けば彼にこの距離感を許してしまっていた。その人たらしや愛嬌は生まれ持った才能なのだろう。
剣持はそう考えながら、帯を持って不破の背後に立つ。帯を回す位置を調整する為にズラした視線を、ラインの際立つ細い腰から彼の横顔へと滑らせる。
伏せられた長い睫毛、その隙間から透けるアメジスト。美しい造形をしている目鼻立ちには、甘美さがあって目が離せなくなってしまう。
ふと、教会の廊下で見た彼の表情が脳裏に浮かんだ。
今でも何故自分が敵たる教会の司祭長をここまで連れ込んだのか、問われれば説明なんて出来ないだろう。
けれど、あの表情、透明な雫を目尻に溜めて潤んだ紫水晶が鮮明に思い出される。
彼は正しく、迷い子だった。誰か助けてと、母は何処かと、手を引いて道を教えてくれる人を探して、こちらに手を伸ばしていた。その秘めた嘆きをどう扱えば良いのかすら分からずに。あの場で、剣持を動かしたのは、彼の歪な泣き顔だった。
そこまで思い至って、剣持は歓喜に打ち震えた。
___ …ち……さん、……も…さん、
「…もちさん?どうかしたん?俺の顔見つめて」
「ぁ、」
嗚呼、嗚呼。
「そんなに見られたら穴あ、いて、まぅ………っ?」
照れているのか、熟れた林檎のように頬を赤らめる彼の手首を掴まえる。そして流れるように手に持っていた帯で両手を一纏めにして背後から壁に押し付けた。
顔を見なくとも、困惑しているのがありありと伝わってくる。何度も剣持を不安そうに呼ぶ少し舌足らずな声が聞こえる。けれど剣持はそれに応えることなく薄らと口角を上げた。
何という幸福だろう。あの箱庭から飛び立った鳥は、僕の鳥籠に舞い込んで来たのだ。
嗚呼、可哀想に。僕が居るべき場所を示してあげよう。何も彼奴らのように羽根をもいでやる必要は無い。例え手段があったとしても逃げれよう身に、心に、教え込めば良いだけなのだから。
剣持が不破に抱いたモノの正体は、庇護欲であり、独占欲であったのだ。名前の付いたソレは、すとんと剣持の腹に違和感なく収まる。片手で不破の両手首を押さえつけたまま、もう片方の手で肩に触れる。初々しく、びくりと肩を上げて驚く彼を見て、剣持は恍惚に浮かれながら唇を舐める。
やはり、この気持ちは正しい。間違ってなどいない。
「ねぇ、湊」
耳に唇を寄せる。触れるか触れないかの瀬戸際まで。
「ぇ、あ、なまえ…?」
彼は至近距離からの吐息に、耳を赤くして、整わない下手くそな呼吸をしていた。
「僕、気付いちゃったみたいなんです」
「ッ……!な、んっ?」
甘噛みをすれば跳ねる体に充足感を覚える。満たされていく。未だ困惑して目を白黒させているであろう不破の項につうと指を沿わせながら剣持は口を開く。
「貴方のこと ___ 」
ガチャ
「もちさーん!明日の集会のことなんですが」
「……………は?」
剣持はぽかんと大きく開かれた扉の方を見遣るしかなかった。そこに立っていたのは、同じく呆然と此方を見て立ち尽くしている二人組。彼等の瞳に写っているのは、剣持が生娘のように頬を赤らませている不破に無体を強いてる光景。
この夜、虚空教本部から夜闇をつんざく叫び声が上がった。
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久しぶりに書いたので書き方が前話と違うかもしれませんが、お許しください🙇🏻♀️՞
今回は、束縛グッズに触発されて、ヤバいスイッチの入ったknmcさんを書きたくて…。
些か展開が早いかもと今更💧
一体、最後の二人は誰なんでしょうか?
答え合わせはまた次回に。
next → ♡×2500(ぐらい?)
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