平和で、でも世界の中心部と呼ばれる巨大な都市。この国には「皇帝」と呼ばれるものがいた。
民衆の前に立つことはあるが、見張り役がいて顔を見ることはかなわない。
そんな国で滉斗は暮らしていた。
村育ち、現在27さい。
仕事は親のブティックを次いで、そこそこの腕前。
美形といううわさもあって、もてるそう。
この日、滉斗は焦っていた。食い逃げならぬ、切り逃げにあったからだ。
だから覚えていなかった。
皇帝が、皇帝自身の兄である者のところから帰還する日だということを。
もちろん、滉斗も新聞でチェック済みではあった。皇帝が通る道はたくさんの人がいて、通行規制されていることも。
でも、相手は犯罪者。通行規制なんぞ気にするものか。滉斗は犯人に向かって、思い切り叫んだ。
「おい!お前!逃がさないぞ!」
しかし、犯人は走り続け一向に追いつくことができない。その時、滉斗は誰かにぶつかる感触があった。
パン屋のおばちゃんだろうか、新聞配達のお兄さんだろうか。
そんなことをもんもんと数秒の間に考えていたが、顔を上げた瞬間この世の終わりのような思いをした。
そこには、やけに豪華な着物のような、袴のような平安時代の貴族が着るような。
そんな恰好をした人が滉斗の目の前にいた。それがぶつかった人だとわかるのに時間はかからなかった
そして、ぶつかった人の前には”大名駕籠”が。そうだ、こんな噂も耳にしたことがある。
『皇帝様は今時に似つかわしくない異国のものが
好きなんですって』
『たとえば、着物、でしったっけ、あと下駄とか』
『移動するときは馬車ではなく、
大名駕籠(だいみょうかご)とかなんとか』
『やっぱり変わった方なのかしらねぇ』
悶々と考えているうちに自分がしたことの重大さが明らかになってきた。
はやく謝らねば、滉斗には謝る資格があるのかどうかすらも怪しい。
そう思い、謝罪の言葉を口にしようとしたそのとき。皇帝の隣に立っていた少し糸がほつれている着物を着た男が口を開いた。
場所的に側近となるのだろうか。
「おいお前、名乗れ」
「ぁ、えっと、若井、滉斗です……」
滉斗は震えながらに返答した。もう自分の命も今日でおさらばかもしれない。
最期くらいは正直に従おうと思ったのだ。
「そうか、若井殿か、そこで待機していろ」
そう側近が言うとなにやら皇帝と話しているみたいだった。もしかして滉斗の処罰のしかたについて?
首をちょん切るか、異国から仕入れた毒ガスで殺すか、凍え死ぬか、なんてことを考えているのか?
「若井殿、光栄なことに皇帝様がお言葉をくださった。宮廷についてこい」
どうやら滉斗は皇帝に謝ることも処罰のしかたについても、この掴めない側近を通してしかできないらしい。でもよく考えてみれば当たり前だ。皇帝にぶつかり、滉斗の位は一般人以下に下がっているに違いない。
歩くことは許されているが、側近や見張り役、武器を持った武士のような者からの視線が刺さる。
何か一つでも変な行動をすれば世界の全員が敵になるに違いない。
そう思うと、滉斗はいつも以上に背筋を伸ばして歩くことしかできなくなった。
ドンッ
大名駕籠に乗ろうとしたその時、肩のあたりにぶつかる感触があった。顔をちらりと見ると一般人のようだ。
それにいち早く気付いた側近は叱るような態度で一般人に詰め寄る。そんなにしなくてもよいものを…。
だが一応皇帝という立場ではあるので口を慎む。すると側近の者が声をかけてきた。
「皇帝様、先ほどの者、若井というのですがどう処分いたしましょう」
「……処分?」
皇帝、元貴は耳を疑った。わざわざ処分することでもなかろう。さすがにやりすぎではないか。
「処分しなくていいよ、
とりあえず宮廷についてきて」
「ですが皇帝様…!」
この側近、信頼はしている、仕事も良くできる、だが。皇帝である元貴にとっては有能すぎる。
もうすこし緩くいきたいというのに。すこし側近をにらみつけると唇をかみ、若井に報告したらしい。
やっと大名駕籠に乗り込んだ元貴は、窓から見える微かな景色を眺めていた。
いつものように顔も名前もわからないような護衛が山程いて若井の姿は見えない。
そしてそもそも一般人を宮廷に入れるのとはない。若井が例外なのだ。それはなぜと問われると…、
自分でもよくわからない。
だが元貴には、若井が皇帝という異質なものではなくてただひとりの人間として。
そんなふうに扱ってくれているように、
見えたのだ。
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