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船長は船をいったんアイドリング状態した。
イルカも、あらためて水面から顔を出し、タクヤに語りかけた。
《オイラ、こんなことになるなんてビックリだお。なんか目に入っちゃったお。痛すっぱいお》
《なんだよ、痛すっぱい、って》
《人間はゲロが目に入ったら痛すっぱくならないのか?》
《さあ。やったことないからわからない。それにしても、イルカも大変だねぇ》
《いいってことよ、べつに服は汚れなかったから》
通勤途中のサラリーマンみたいな言い方。
《おまえイルカのくせにユーモアの才能あるな》
《まあオイラはこれで食ってるからな》
《芸人かよ》
《オイラを育ててくれた人間がテレビ好きでさ。水槽にテレビ向けてれば退屈しないと思っていたんだな。おかげでいろいろ学んだよ。でも、なかなか人間はわかってくれなくて。やっとわかってくれたと思ったらさえない少年だ。不幸だお》
《やっぱ、おまえ、失礼なやつだな》
《しらんがな、おまえが言葉わかるから悪いんだろ》
《そーいう問題じゃあねえよ》
小型船がゆっくりと進みはじめた。
イルカは《宿題やれよ》と言い残して、水中に消えた。
なんなんだあいつ……
タクヤは、純粋にむかついていたが、船上の雰囲気はちがっていた。
スタッフが全員、驚愕の表情でタクヤを見つめている。
タクヤは、ライン特佐に質問した。
「僕、何か悪いコトしました? なんか、みんな怒ってません?」
「いいえ、逆です。さすがタクヤ様、と。イルカと話せるなんて。神話のストーリが、今、まさに目の前で展開されたのです」
「はあ? あんたもそれを言うのかよ。僕たち、めっちゃくだらないことしか話してないんですけど」
「いえいえ、イルカはスーサリアの古くからの守り神。イルカと心を通わせることができることこそが、なによりも偉大な王家の証」
「はあ……まあいいけど……」
◆ ◆ ◆
ゼンとミルシードは、船室の隅でひそひそと情報交換を始めていた。
スーサリア王室の置かれた状況について。
「ワタクシは、タカコ派、完全な身方よ」
「知ってる」
「どんな死も乗り越えてみせる。政治力だって、つかうときはつかう。でも、たとえあなたの言うとおり売国奴を根絶やしにできたとしても、冷静さを欠いた今のスーサリアではベルベスを守り通せない、とも思う」
「それこそが、奴ら、連邦のねらいさ」
「私にできることはある?」
ミルシードの真摯な問い。
ゼンは肩をすくめた。
「今は、性急にならないことだ。出方を観察しよう。なんだかんだでこの国の秘密は簡単に持ちされるものではない。現代の科学でも解明されていないくらいだ。あわてずに最善をつくすべき、と、オレは思う」
「まあ、それはそうだけど、戦いの狼煙は上がってしまったのよ。春におきた切り裂き事件とはわけがちがう」
「オレは、最悪、海上王宮の破壊もありうる、と思ってる」
「ええっ?」
ミルシードが驚きの声を上げると、ゼンはたしなめた。
「ばか、大声出すな」
「ごめん、でも、そんなことしたら、この国の未来はどうなるの」
「船にすべてが積まれているわけじゃない。生き残る人がいれば、つながるものは、つながる」
「それはそうだけど……ねえ、あなたの後ろに何があるの?」
「それは知らない方が身のためだ」
「そう、”なにか”は、いるのね?」
ミルシードは目を光らせた。
ゼンは否定も肯定もしなかった。
「タクヤは……あいつは、バカだけど、純粋だ。そこがオレは好きだ。どんな下々の涙にも共感する敏感さを持っている。何よりあいつの演奏には、”愛”が表現されている。そんなやつが、王になるのは、悪くない」
「演奏って?」
「バイオリンだ。おまえ、知らねえのか?」
「たしかに、弾くことはあったと思う。でも、そんなにうまかったかしら……」
「いつか、聞いてみろ。完璧演奏というのとはちがう。しかし『この人なら任せられる』と実感するはずだ」
それを聞いて、ミルシードは意外そうな顔をした。
「あなたって、案外、温かい一面もあるのね?」
「オレはただ、本当のことを言っているだけだ」
「あなたのことは信頼してあげるわ。結末がどうなるかは、わからないけど」
「おまえに信頼されても嬉しくねえ」
「むきー! その言葉づかいだけは永久に納得いきませんけど。まあ、いいわ。いろいろ聞かせてくれたこと、感謝します。スーサリアの未来のために」
ミルシードが手を差し出す。
ゼンは首を振った。
「やれてくれ。その言葉を言って握手した人は、たいがい死ぬ。嫌なんだ」
「言っとくけど、私は、たいがいの人よりは強いわよ。強い女はお嫌い?」
「好みじゃない。……が、尊敬はする」
「あ・り・が・と」
◆ ◆ ◆
タクヤとユリは、船腹によりかかり、風を受けていた。
破壊された王宮をながめながらタクヤは言った。
「最初実感なかったけど、もう去るのが寂しくなってる」
「目覚めたのは昨日だものね」
「きっと僕が思い出せないいろんなことが、あそこにはあるんだろうな」
「昨日はあんなだったけど、もともとは素敵なこととか、楽しいこととか、美しいことがいっぱいあるところだよ」
「もう少し時間があればよかった」
「大丈夫、また帰ってくればいいだけ、そうでしょ?」
ユリに顔をのぞかれ、タクヤはあわてて「そりゃそうさ」とうなずいた。
ユリは笑顔を浮かべた。すでに吐くものは吐いてしまったので、なんとか平常心をとりもどしていた。
「イルカさんには、悪いことしたな」
「あいつ、船酔いって言ってもわからなくて、病気だと思ったみたい」
「私、まさかそこにイルカさんがいるとは思わなくて。でも、どうしてもこみ上げてくるものを止められなかったの」
「いいんだよ。シロも言ってたよ。服は汚れなかったから、って。ただ『目が痛すっぱい』って言ってた」
「え、本当にそう言ったの? 君が作ってない?」
「ほんとうさ。あいつ、そういうイルカなんだ。イルカって、みんなあんなやつなのかな」
「それは、ちがうかも。たぶん、人間と同じだよ。気難しい人や、寂しがりの人や、酒好きの人がいるように」
「さすがに酒好きのイルカはいなさそう」
「だね」
ユリは楽しそうに笑った。しかし気を許すとまた吐き気がよみがえってくる。
「とにかく、これに懲りずに、私たちの旅、ついてきてくれるといいな」
「シロが? でもさあ、これから乗りかえる船は、だいぶ速い速船なんだろ?」
「連邦のタロータまで2日と言ってたね、普通の船の2倍くらい速い。でも、シロならきっと余裕よ」
「いや、でも、そこが目的地じゃないんだろ……どこだっけ?」
「これからむかうのは連邦の港湾都市タロータ。連邦のいちばんこちら側の都市。そこからは大陸の向こう側の首都まで空路だって言ってたけど、クックラ海峡を通れば首都まで直通できるの。イルカさんならね」
「しかし、そんなとこまでくるかなぁ」
「くるよ。だって、私たち、心がつながっているもの」
「そういう問題っすか?」
「そういう問題なのでーす!」
ユリはヤケクソ気味におどけた。
タクヤはめちゃくちゃまぶしいものを見たかのように苦笑した。
「あいつ、見た目は普通のイルカだけど、しゃべってみるとオヤジっぽかったぜ」
「いいもーん。オヤジイルカさんでも。私、オヤジ趣味だもーん」
苦し紛れにおどけるユリと、そんなユリを見つめるタクヤ、二人のもとにライン特佐が近寄ってきた。
「ユリさん、大丈夫ですか?」
「すみません、私のためにお手数をおかけしてしまい」
「ご心配には及びません。ほら、見えてきました。あの高速船に移れば、もう大丈夫です」
「確かにスピード出そう」
タクヤはその優美なフォルムに目を奪われた。
ラインは頷いた。
「そうです。この先は急ぎます。急がねばならないのです」
「なぜ?」
タクヤは、あえてつっかかるように質問した。
ラインは細く整えられた眉を上げた。
「それはもちろん、あなたのお父さまがお待ちですから」
タクヤは『お父さま』という言葉を聞くと頭痛が襲ってきた。
なんのこと?
聞いてねーよ。
お父さまって、誰よ。
そこに雷鳴のような音が海上に響きわたり、戦闘機が三機、頭上を過ぎていった。
「我が国の空軍です」
とラインが説明した。
ユリが、正直に疑問を口にした。
「ラインさん、これは、すでに『戦争』なのでしょうか?」
ラインは少し考えてから、かみしめるように語った。
「戦争かどうかはわかりません。しかし、我が国が小国だからといって、いいなりになるつもりはない。それがたとえマーサ連邦のような世界大国だったとしても」
まもなく目の前に白く美しい船が近づいてきた。
海軍の高速船キャンベル号だった。