レイが部屋を出て行った後、部屋の中には静寂だけが残った。
けれど、その静けさが逆に落ち着かなかった。
「……狙われてる、か」
俺はベッドに腰掛け、レイに渡した金属片の冷たい感触を思い出す。
呪刻符――レイはそう言っていた。呪いの道具。
だとすれば、誰が、何のために?
「俺が……この『カイル』が邪魔だから?」
もし、カイルとしての存在が何か重要な意味を持つなら――
……俺、入れ替わってるけどさ……。カイルはこんな大事なポジションだったのか?
「わからん……」
俺はベッドで丸まっているリリウムに触れる。
「なあ、お前はどう思う?」
声をかけてみたが、リリウムはすやすやと眠ったままだった。
俺がここで目覚めて二日……情報が少なすぎてどうしようもない。
そもそもの話、このカイルの素性すら俺は詳しくは知らない。
「奥様、失礼いたします」
溜息を吐いたと同時に再び扉がノックされ、エミリーが部屋に入ってきた。
彼女の顔には少し疲労の色が見えるが、いつものように柔らかな笑みを浮かべている。
「旦那様が屋敷内の安全を確認されました。ですが、本日はお部屋でお過ごしいただくよう、ご指示を受けております」
「そっか……」
俺が納得したように頷くと、エミリーは小さく微笑んだ。
「旦那様は、奥様の安全を何よりも優先されておりますから」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
俺のことを守る――そう誓ってくれたレイの顔が浮かぶ。
「……ねえ、エミリー」
ふと、俺は彼女に尋ねた。
「馬車の事故……やっぱり、俺――カイルが狙われてたのかな?」
エミリーは一瞬だけ動きを止めた。
だがすぐに穏やかな表情に戻り、静かに口を開く。
「……あの事故の原因が不自然であることは確かです。それに――」
彼女は一度、廊下を振り返り、扉がきちんと閉まっていることを確認した。
その仕草に、俺は息を呑む。
「ここだけの話、旦那様が心配されているのは、屋敷内に内通者がいる可能性です」
「内通者……?」
声が思わず裏返る。
「そうです。誰かが、外部の者と繋がり、奥様――いえ、旦那様の周囲に危害を加えようとしていると……」
俺の背筋がぞわりと凍る。
「レイの周囲……」
呟きながら、俺ははっとした。
俺がここに来る前の「カイル」が、もし何か特別な立場にあったのだとしたら――
そして、それをよく思わない誰かがいるのだとしたら。
「だから、レイがあんなに俺を守ろうとしているのか……?」
レイは俺のため――いや、カイルのためにここまで必死になってくれている。
だけど、その「カイル」は俺じゃないんだよな……。心苦しさは半端ない。
……俺じゃなくてカイル本人がここにいたら、レイはもっと安心できただろうに。
結局、その日は部屋の中で過ごした。
甲斐甲斐しくエミリーが世話をしてくれて、申し訳ないやら有難いやら……。
リリウムがたまに起きては俺の癒しとなってくれる。
気が付けば外はすっかり闇に包まれていた。
屋敷中が厳重に警備されていると聞いたが、逆にその静けさが不気味に感じる。
「はぁ……寝られない」
ベッドに横になっても、頭の中がぐるぐると回り続ける。
侵入者、呪刻符、事故……そして、レイの「誓い」。
「……守るって、あんな真剣に言われたら……」
布団を抱え込んで顔を埋める。何度思い返しても、レイの言葉が頭から離れない。
――俺の命に代えても、お前を守る。
彼は、本当に真っ直ぐなんだ。俺なんかを、こんなにも大事にしてくれるなんて……。
成り代わりの社畜で本当に申し訳ないわ……。
その時、不意に扉の向こうからノックが聞こえた。
「……カイル、起きているか?」
「レイ……?」
ガチャッと扉が開き、レイが静かに入ってくる。
手にはランプが握られていて、その明かりが彼の顔を薄っすらと照らしている。
夜の静寂と微かな灯りが、いつもよりもレイを神秘的に見えた。かっこよ……。
スチル‼それスチルに残したい!スクリーンショット機能はどこだ……!いや、ねぇよ!
……やばい、無駄にオタク魂が騒ぐ。
「えっと、どうしたの?」
冷静を装いながらも俺が問いかけると、レイはベッドの傍らまで歩み寄り、ランプをサイドテーブルの上に置いた。
「……お前の顔が見たくなった」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出る。顔が見たくなった……って、どういうことだ?
「お前の安全を確認しなければ、落ち着いて眠れそうにない」
ああ!そういう……!
「……そんな、心配性な……」
俺の心臓が妙に高鳴るのを感じる。
レイはベッドの傍に腰を下ろし、俺の顔をじっと見つめる。その視線はいつも以上に優しさを含んでいる気がした。
うおあああ……推しのこんな顔、もう反則だ。
「お前は、大丈夫か?」
「えっ?」
そう言われて、レイの指が俺の手にそっと触れた。
確かに、手のひらが少し汗ばんでいるのが分かる。はははは、無駄に興奮しているからな!今な!
「今日は、怖かっただろう」
レイはそう言いながら、俺の手を自分の両手で包み込んだ。その手は温かくて、心地良い。
「……うん、まぁ……少し」
嘘だ。すみません。ちょっと色々と忘れて騒いでました。心の中がソーラン節でした。
落ち着け落ち着け……。
「……お前がこうして無事でいてくれるなら、それでいい」
レイの声は優しく、そしてどこか切ない響きを持っていた。
俺はその言葉に少しだけ胸が詰まる。俺が俺じゃないことへの罪悪感を思い出す。
「……レイ」
気づけば、俺は彼の名前を呼んでいた。
「なんだ?」
「その……ありがとう。レイがいてくれるから、俺は……大丈夫だと思う」
それだけ言うのがやっとだった。
彼は微笑むとゆっくりと手を離し、今度は俺の頬に触れた。
「……お前が俺のことを信じてくれるなら、それでいい」
そう言って、レイの顔が近づいてくる――。
「ま、待って、ちょっと!」
焦って声を上げるが、遅かった。
レイの唇が、俺の額にそっと触れる。
「……これで安心して眠れるだろう」
「っ……!」
顔が一瞬で熱くなるのが分かる。
額に触れたレイの唇は柔らかくて、温かくて――触れたのは一瞬だったのに、心臓が爆発しそうだ。まあ、もっと濃厚なのもしちゃったけどね!
「なんで……」
俺が顔を真っ赤にしながら呟くと、レイは微かに笑った。
「お前が愛おしいからだ」
レイの声はどこまでも静かで、それでいて熱を孕んでいる。
「俺にとって、お前がどう思っていようと関係ない」
「え……?」
「お前が俺の伴侶である事実は、何も変わらない……愛おしいことも」
――その顔は反則なんだわ……!
何も言い返せなくなった俺を見つめながら、レイは立ち上がった。
「今夜はもう休め。何かあれば、すぐに俺を呼べ」
「……うん」
俺が小さく頷くと、レイはランプを持ち上げ、扉の方へと向かう。
最後にもう一度振り返り、
「……本当は、お前を抱きしめたまま眠りたいが……」
静かに言いながらレイは目を伏せる。ランプの明かりが彼の頬を仄かに照らした。
「今のお前には負担がかかるだろうから、やめておく。無理をさせたくないからな」
そう言って部屋を出て行ったレイの背中が扉の向こうに消えると、俺は崩れるようにベッドに倒れ込んだ。
俺の動きで睡眠を邪魔されたリリウムが、恨みがましそうにこちらを眺めたがそれどころじゃない。ごめん、リリウム。
「……無理、死ぬ……今死ぬ……」
枕に顔を埋めながら、俺は赤くなった顔を必死に冷まそうとする。
これが推し――いや、レイ=エヴァンスだ。
真剣に、こんな俺のことを守ろうとしてくれて――そして、こんなにも優しい。
カイルだけどね!いや、知ってる分かってる!感情を向けられているのはカイルだけど!
「……なんなんだよ、もう……」
額に残る微かな感触に、胸が高鳴って止まらなかった。
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