「劇団員アクター?」
ボロボロになったウサギのヌイグルミを前にして、思わず俺の手が止まる。
「……本当に?」
半信半疑、という状態がここまで適切に当てはまることも少ないと思う。
だって劇団員アクターというモンスターの話を最初に聞いてから、わずかに数度しか経っていない。
日本中にモンスターを生み出していて、今回のモンスターには小さい世界を譲っていて、そんなモンスターが、こんなボロボロのヌイグルミと言われても……すぐには信じられない。
だけら、俺は小さく聞いてしまった。
『本当も本当! ボクが劇団員アクターさ! まぁ、この身体は電話みたいなものだけどね!』
「…………?」
『つまりね。このヌイグルミを殺してもボクは死なないってこと! まァ、ボクも君たちを殺せないけどね! アハハ!』
何が面白いのか、劇団員アクターは甲高いキンキンとした声で笑う。
『電話』という単語に寄せられるように俺は目を凝らしてみたが、ヌイグルミに『導糸シルベイト』は付いていない。
もし遠距離から連絡を取るのであれば『導糸シルベイト』を伸ばし、人形と繋ぐのが一般的な魔法だろう。
つまり、見ている限りで劇団員アクターは魔法を何も使っていない。
だが『導糸シルベイト』を使わない魔法というのは存在する。
俺の知らない……それこそ、遠くの場所と連絡を取り合うような魔法があって、それを劇団員アクターが使っている可能性は否めない。
「……何でここにいるの」
『ボクが君たちの前に現れた理由? 決まってるよね! 決まってるよね!! お・話・だ・よ・!』
ウサギのヌイグルミはくるくると片足で周りながらそう叫んだ。
喋り方と良い、立ち振舞といい、こちらを小馬鹿にしているとしか思えない。
だが、そんな劇団員アクターは下手な回転をやめると、柔らかそうな腕を俺に向けた。
『君が如月イツキでしょ? あのね、あのね! ボクたちの邪魔をしないで欲しいんだ』
「邪魔なんてしてないけど」
思わず名指しで呼ばれて、身体が強こわばる。
強ばるが、それでもヌイグルミから視線を放すことなく俺は告げた。
『良いや、邪魔さ! ボクたちの考えた最高にスマイルな計画を邪魔したよね! ここにいたやつを殺したよね! ボクは子どもたちのスマイルがみたいだけなのに』
「……遊園地の子どもたちを誘拐して、何がスマイルなの」
『君は子どもだから分かんないだろうけど、大人になるって辛いことなんだよ。だから、子どものままで居られる場所が必要なの。そうしたらみんなスマイル! にぱーっ!』
ウサギのヌイグルミは2本足で立ち上がると、前足を器用に駆使して口角を持ち上げた。笑顔でも作っているかのような異様な光景に、思わず俺は口ごもる。
『ボクだって邪魔されたら怒っちゃうけどさ。でもね、でもね。君は老人を若返らせる薬をばらまいてた廃工場のやつらを祓ってくれたよね、殺してくれたよね! だから、貸し一つ。いざ交渉と参まいったわけさ。こりゃあ参っちゃうね。アハハ!』
「…………」
『おおっと、これじゃあ貸しの説明不足だね。ボクは大人が大嫌いだけど、子どもは大好き食べちゃいたい。だからね、大人を子どもにするなんて反吐ヘドが出るのさ! 殺してやりたいくらいにね! だから殺してやろうと思ってたんだけど、君が代わりに殺してくれた! 感謝もひとしお。ボクはごましお』
歌うように語る劇団員アクターはそう言いながら、身体を前後左右に揺らした。
そんな劇団員アクターを見ていると、まるで悪い夢でも見ているかのように、身体がふらつく幻覚に陥る。
でも、俺の隣にいるニーナちゃんはずっと俺の手を握ってくれている。
その感覚を頼りに俺は一度、深呼吸を挟むと問い返した。
「邪魔っていうのは、劇団員アクターの生み出したモンスターを祓わないこと?」
『半分はそう。もう半分はスマイルな計画を邪魔しないこと』
なんだよそれ。
だが、いちいち突っ込んでいたら会話が進まない。
まずは知りたいことを解決しよう。
「……邪魔しなかったら、劇団員アクターは何か僕に良いことをしてくれるわけ?」
『もちろんだよ! もちろんさ。交渉ごとにはメリットデメリットが欠かせない。ボクが君にプレゼントするのはね。スマイルだよ』
「…………」
また意味の分からないことを言い出したな、と思いながらも続きを待つ。
『何があったって、何が起きたって最高のスマイルを浮かべられるようにしてあげる。いつでもどこでもスマイル! 幸せだね。最高だね。人生あがっちゃうね!』
「……あんまり良くなさそう」
『うわーっ!? どうして!? スマイル嫌いなの???』
思わず漏れた俺の本音が意外だったのか、劇団員アクターはひっくり返った。
いや、なんで『いつでもどこでも笑顔を浮かべられる』と『モンスターを祓わない』が並ぶんだ。どう考えても釣り合わないだろ。
なんて、そんな言葉はぐっと堪こらえて飲み込んでから、俺は逆に劇団員アクターに対してメリットを告げる。
「スマイルはいらない。その代わり、これ以上モンスターを増やさないんだったら考えてあげても良いけど」
『うーん。うーーん。いまの数だと計画には足りないしなぁ。うん。無理かな。その話は聞け無いね。アハハ!』
「……そう。じゃあ、無理だよ」
『残念無念』
それでもヌイグルミはくるくると回って、笑った。
夕暮れ。沈んでいく太陽が地平線の向こうへと消えていく。
その光が、俺たち影をどこまでも遠くに伸ばしていく。ウサギのヌイグルミの影もまた、どこまでも伸びていく。
ウサギは何かを諦めるかのように、がっくりと肩を落とす。
落としたまま、1回転。2回転。そして、3回転目の途中で立ち止まってから口を開いた。
『じゃあ、しょうがないからここで殺すね』
「ッ!」
その言葉が俺の耳に届いた瞬間、俺は『導糸シルベイト』を放った。
威力を高めるために細く練り込んだ『導糸シルベイト』は『属性変化:水』によって生み出される水流を『属性変化:風』による圧縮空気によって押し出す。
その技の名前を、『天穿アマウガチ』と呼ぶ。
突然の出来事が故の無詠唱だが、威力は折り紙付き。
パァン!!!
と、空気が張り裂けたような音が俺の耳に届くと同時に、ヌイグルミの身体が衝撃で爆ぜた。中の綿が飛び出し、ウサギの首が宙を舞う。
『アハハ! 無駄だよ! ボクが君たちを殺せないように、君たちもボクを殺せない』
ウサギの首が地面に落ちて、跳ねた。
『君たちを殺すのはボクじゃない。最初からここにいたボクの友達だよ。じゃあ、後、よろしく! スマイルを忘れないでね。にぱーっ!!』
そして、もう一度ウサギの首が地面に落ちた時には、ただのヌイグルミになっていた。
「い、イツキ! 殺すって!! モンスターが来るって!」
「大丈夫だよ、ニーナちゃん。落ち着いて」
その瞬間、太陽が完全に沈んだ。
さっきまであった夕暮れの光が消えて、夜が来る。
ニーナちゃんの俺の手を握る強さが強くなる。
夜の闇に乗じるようにして、モンスターが2体。
影から飛び出してきたのが分かった。
どうして分かったのか。
決まっている。
俺たちに向かって『導糸シルベイト』が伸びているからだ。
魔法の糸は、闇の中では良く見える。
「もう祓ってるから」
俺の言葉に合わせるように、影から見ていたモンスターが俺の魔法で黒い霧になった。
いわゆる、後の先というやつだ。
普通の『導糸シルベイト』の魔法より、早撃ちクイックショットの方が早い。
見えているなら、俺の魔法の方が早いのだ。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!