玄関のドアがバタンと音を立てて閉まる。
「もう帰る」
その言葉を残して、彼女は傘も差さずに外へ飛び出していった。
薄暗い部屋に雨の音だけが響く。
彼は壁に拳を軽くぶつけると、ため息をひとつ、ベッドに体を投げ出した。
この季節はただでさえ鬱陶しい。
空気は重く、雨は途切れず、街も心もじめじめしている。
それに加えて、二人の会話もいつも湿っていた。
原因なんて、たぶんどうでもよかったのだ。
きっかけはほんの小さなこと。冷蔵庫に入っていたプリンをどちらが食べたか、みたいな話だ。
でも、そんな些細なことが、いつもどこかに溜まっていた苛立ちを刺激する。
言い合いはあっという間に感情の嵐になる。
梅雨の雨みたいに、終わりの見えない喧嘩。
「まただよ…」
彼は寝返りを打って天井を睨む。
彼女はきっと、少し離れた駅前のコンビニか、傘立てのないバス停で雨に打たれている。
「どうして、ああなるんだろうな」
わかっている。彼も彼女も、お互いまだまだ子供なんだ。
次の日の朝、何事もなかったように彼女は戻ってきた。
濡れた服を洗濯機に放り込み、冷たい目で彼を見て、
「おはよう」
その一言だけ。彼はうつむいて、
「ごめん」と三度つぶやいた。
その言葉で彼女はようやく口角を少しだけ上げる。
まるで魔法みたいだった。
ほんの束の間でも、許された気がしてしまう。
けれど彼は知っている。それはまやかしだ。
ごめんを繰り返すたび、少しずつ何かが削れている。
それでも、自分から折れることしかできない彼には、ほかに術がなかった。
「雨、やまないね」
彼女が言った。
彼は答えなかった。
それから数日後、また喧嘩になった。
声を荒げ、言葉は鋭くなっていく。
「もう別れようか」
その言葉が喉までせり上がってきた。
でも、どちらも口には出さない。
「もう帰る」
その日、彼女は傘を差して帰っていった。
夕食はレトルトのカレー。
テレビをつけても、内容は頭に入らない。
彼はただベッドに潜り込み、同じ天井を見つめた。
彼女は、きっとまた戻ってくる。
そう信じていたし、そうでしかない日々が続いてきた。
お互い、甘えていたのだ。
「いつかまた、笑い合える」と、都合のいい未来に期待して。
苦い思い出と、些細な喜び。
その繰り返しに一喜一憂して、また「好きだ」の言葉で距離を戻して。
それも全部、まやかしだとわかっているのに。
「嫌いって言えば、終わるのかな」
そう呟いたのは、どちらだったか覚えていない。
でも、終わらなかった。
終わらせなかった。
愛してるのか、ただ慣れているだけなのか。
もう自分でもわからない。
今日も雨が降っている。
ベランダの雨粒が、カンカンと小さな音を立てていた。
ごめん、ごめん、ごめん。
それを何度も繰り返して、また明日を迎える。
そしてきっと、
梅雨は、終わらない。
きょむ
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