テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
モノクロナツキ
987
60
#オリジナル
モノクロナツキ
505
モノクロナツキ
654
洸くんの破壊力抜群な「可愛いおねむ写真」が送られてきた日から二日後。僕は意気揚々と、蜷川家のインターホンを押し込んでいた。
「こんにちは、空くん。本日もよろしくお願いします!」
「こんにちは、新くん。こちらこそよろしくお願いします」
玄関でニッコリと挨拶を返してくれたのは、見違えるほど元気になった空くんだ。
ついこの間までは、彼を刺激しないように気遣いながらこっそり家に上がり、すべての家事をこなしていた。
朝方まで働き疲れた身体を奮い立たせ、休みの日にここへ通うのは、正直、体力的にもかなりきつかった。最初は空くんへの同情から、何となく「お手伝いします」なんて提案してしまった自分を、お隣の天使と奇跡の再会を果たすまでは、少し後悔したこともあったくらいだ。
「……え、すごい。お洗濯、もう終わったんですね?」
買ってきたスーパーの食材をテーブルに置き、ふと目線をやると、薄いレースのカーテンが春風にひらひらと揺れていた。その隙間から、きっちりハンガーにかけられた洋服たちが気持ち良さそうに覗いている。
「うん。今日は早く目が覚めたから、掃除も終わらせた。後は新くんが作ってくれるお昼ご飯を食べるだけやで?」
にこやかに微笑む空くんを見て、素直に「良かったなぁ」と嬉しく思った。
けれど、次の瞬間、現実に引き戻された。
……待って。それってつまり……お手伝いさんとしての僕の役目、もう終わったってことやんな。
……もう、ここにいる必要がないって事やんな。
洸くんがメッセージをくれたり甘えてくれたりしていたのは、空くんのお手伝いとして現れた僕を怪しんで、監視していたからや。一応、友達宣言はしてくれたけど、お隣の空くんと関わりのなくなった僕には、もう興味なんて持ってくれへんかもしれん。
「……じゃあ、僕はもう、卒業ってことですね?」
少しでも明るく言おうと努めたけれど、最後は情けないくらい声が震えた。洸くんのこともあるけれど、僕の知らないうちにこんなに元気になってくれた空くんと、大した関わりも持てないままここで離れてしまうのは、純粋に寂しかった。
そんな風に、一人で密かに絶望の淵に沈んでいた僕を引き留めてくれたのは、他ならぬ空くんだった。
「ううん。まだ言うても、目を見て、人と関わるのには、俺自身ちょっと心配があるから。新くんとはまだ全然ゆっくり時間を過ごせてへんし……。もう普通に話せるようになった弦や洸くん以外の人との、リハビリとして、付き合ってほしいと思ってる。……それに、俺、新くんのお料理好きやから。新くんに作り方教わりたい。そしていつか、弦や洸くん、秀太さん、親分と……もちろん新くんにも、お礼として俺の料理を振る舞いたいねん。……新くんが良かったら、やねんけど」
キラキラした純粋な目で見つめられ、そう懇願された瞬間、僕は心の中で弦くん仕込みのガッツポーズを激しくキメていた。と同時に、空くんの健気さに深く感動する。
──ん? でも待てよ。空くん、さっきからそんなに関わりのなかった僕に対して、弦さんたちと同じようにめちゃくちゃ自然に話せてるやん。……うん。これは、気づいてへんフリをするのが、もう少し長く、お手伝いとして、生存できる手立てやな。
「……勿論です! 僕でお役に立てるなら、喜んで!」
「新くん、ありがとう! あ、でも敬語はナシにしよう? 俺、新くんとお友達になりたいねん」
「わかりま……った」
「……わかりまった?」
ぷふっ、と楽しそうに吹き出した空くんにつられて、僕のガチガチだった緊張も一気にほぐれていく。
「わかっ……た。……よろしく……ね? 空くん」
「あはは、なんか日本語覚えたての人みたい」
お互いに顔を見合わせて笑い合い、こうして僕たちの『友達&お料理教室大作戦』は幕を開けた。
それから始まった週2日のお料理教室は、いつの間にか僕たちの日常になっていった。
最初は包丁を握る手元もおぼつかなかった空くんだけど、「大好きな人たちに美味しいものを食べてもらいたい」というモチベーションがとにかく凄まじい。
「弦はストイックやから、これって決めたらそれしか食べへんねん。筋肉に良いものをもっと美味しく味付けできひんかなぁ」
ノートを片手に熱心に質問してくる姿は、眩しすぎて目を細めてしまう。みんなのためと言いつつ、結局行き着く先は全部「弦さん」なのが最高にブレなくて素晴らしい。その一途な愛が、彼の原動力になっているのだ。
「弦さんもそうやけど、皆さんをお招きするなら、ローストビーフや丸ごとのローストチキン、あとは……アクアパッツァなんてどうやろ。 見た目も派手で食卓が華やかになるし」
「うわあ、全部作ってみたい! ……因みに、兄貴からの食費の予算ってどのくらい……?」
「あ、それなら心配いらんかな。後払い請求やから、実質『無限』やねん。陸さんからは『空くんが喜ぶことなら何でもしてあげて』って言われてるから」
僕がそう伝えると、空くんは少しだけ目をうるませて、小さく鼻をすすった。
「俺……兄貴にも、何か作ってあげたいな。帰ってくるまでには、家事も仕事もできるようになって、ちょっとでも成長したところを見せたい」
「……うん、頑張ろう。でも、頑張りすぎるのもあかんで?」
「うん。その時は、新くんが教えてな?」
ほんの数日、数時間一緒にいただけなのに、僕たちの間には、長い間同じ屋根の下で過ごしてきた不思議な一体感が生まれていた。僕自身、弦さんや洸くんのように、どん底の淵にいた空くんを直接救い出すことはできなかったかもしれない。でも、こうして僕のことを必要としてくれる空くんが、今はたまらなく愛おしくて可愛い。
さっそく2人でスーパーへ向かい、牛モモの塊肉やニンニク、我が家にはない調味料を急いでカゴへと放り込んでいく。ほんの数分の買い物すら、今の空くんにとってはちょっとした「大冒険」で、ドタバタと家に駆け込んだ後、2人でその焦りようを思い出して大笑いした。
「うまっ……! ローストビーフって、家でこんなに美味しく作れるねんな!」
焼き上がったお肉を試食して、空くんが感激の声をあげる。
「うん、美味しい! ……料理って難しそうに見えても、案外、少ない材料でできたりするねん。でも、よく『料理は愛情』って言うやろ? 僕、あれって『下処理にしっかり時間をかけること』を愛情っていう言葉で表してると思うねん」
「下処理……?」
「そう。例えばこのローストビーフも、冷蔵庫から出してすぐに焼きたくなるけど、そこを一時間グッと我慢して常温に戻す。そうするだけで、中まで綺麗に均一に火が通る。味付けの前にお肉の水分をしっかり拭き取るとか、火を止めてから余熱でじっくり寝かせるとか。その『面倒くさいひと手間の愛』が、料理を劇的に美味しくさせるねん」
「……奥深いわぁ。新くん、思ってたより全然プロやった」
空くんが腕を組んで、感心したようにケラケラと笑う。
からかい半分ではあるけれど、普段自分が何気なくこだわっている事を認めてもらえたみたいで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
それにしても、空くんのポテンシャルには驚かされる。僕が横から少し説明するだけで、お肉の焼き加減も味付けも、ソースの火加減も、一回で完璧にこなしてしまった。これはもう、紛れもない才能や。きっとあのお兄さんにして、元々は勉強も何でもできる、自慢の弟さんだったんやろうな。
「これは洸くんが好きそう」「親分は何が好きかな」「秀太さん、喜んでくれるかな」
そうやって2人で笑い合いながら過ごすキッチンは、穏やかで、本当に幸福な時間だった。
僕たちの関係は料理を通じて、金銭が繋いでいた関係から、お互いを心から信頼し合う「本物の友達」へと、確実に変わっていった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!