十に月二十八日。
私は仕事が終わるとすぐに会社を飛び出して、大樹達が待つダイニングバーへ大急ぎで向かっている。
本来仕事納めは二十五日なのだけれど、若生屋さんの件が揉めに揉めて、休日出勤をすることになった。
工場に無理を言って作ってもらった商品を受け取り、その足で茨城の若生屋さんに納品を済ませ、会社に戻り事務作業をなんとか終えた。
本当にハードな一日だった。とくに毒舌須藤さんとのドライブはかなり大変で、往復約三時間以上、嫌みや愚痴を聞かされた。
以前とは違い、あまり気にせず聞き流しているけれど。
ダイニングバーには私と同じく年内最終勤務の大樹と、沙希と美野里それから井口君が居て、私が到着すると大樹の隣を開けて迎えてくれた。
「お疲れさま、須藤さんとのドライブどうだった?」
席に着いた途端沙希がからかう様に言う。
沙希は今日休みだから、疲れなんて全然無い艶々した顔をしていてとても綺麗。
「嫌な事言われなかった?」
同じく休みだった美野里もすっきりした顔をしている。
「結構言われたけど言い返したから大丈夫」
「そうなの?」
美野里が目を丸くする。沙希はおかしそうに笑い声をあげた。
「最近の須藤さんと花乃っていい感じだよね。須藤さん花乃に言い返されっぱなしでそれでいて結構楽しそうにしていて……あの人意外と責められるの好きなMだったのかもね?」
「ええ? 止めてよ」
それじゃあまるで私がSみたいじゃない。
しかもあの須藤さんを責めるなんてドSだよね?有りえない。
沙希をじろりと睨んでドリンクメニューを開く。
毎回カシスオレンジだと決まっているのに、一応メニューを見たくなるのはなぜだろう。
さらっとメニューを確認してウエイターを呼ぼうとしたとき、大樹が一段低い声ですっごく不満そうに言った。
「気に入らない」
「……え?」
恐る恐る隣に目を向けると、いつものニコニコ笑顔の大樹ではなくひんやり冷酷バージョンの大樹になってしまっている。
な、何でいきなり?
「花乃、そんなドM男は相手にするなよ?」
「え……ドM男って須藤さん?」
「名前なんてどうでもいい。とにかくそいつには近寄るなよ、話しかけられても無視しろ」
無視って……それはいくらなんでも無理だよね?
一応同僚なんだし。
私が呆気に取られていると、大樹の右斜め前に座っていた井口君がククッと笑う。
「嫉妬深いのもいい加減にしないと花乃ちゃんに捨てられるぞ」
大樹はギロリと井口君を睨みつける。
「お前には関係ないだろ? それから馴れ馴れしく花乃ちゃんって呼ぶなよ」
イケメンの大樹の怒った顔はかなり迫力なんだけど、井口君は怯むどころか笑いを堪えられないといった様子でブハッと噴き出した。
「おいおい、そんなに嫉妬してたら花乃ちゃん外に出られないじゃん」
「呼ぶなって言ったろ?」
大樹が更に苛立ったその時、沙希が井口君の肩に手を置いて身を乗り出す。
「花乃でいいんじゃない? だって青山さんじゃ結婚した時に面倒でしょ?」
「え?」
大樹がピクリと片眉を上げる。
「神楽君と神楽さんじゃ分かりづらいものね」
沙希は妙に色っぽい流し目をして続けた。
うっかり見とれてしまいそうになったけど、いや、それより変なこと言わないように訴えないと。
まだ付き合ったばかりなのに結婚なんて言われたら大樹も困るだろうから。
ところが彼は私が口を開くより早く頷いた。
「それもそうか」
え……納得しちゃうの?
「花乃ちゃん、諦めて結婚してやったら?」
戸惑う私に、井口君が言う。
「まさか花乃が一番に結婚するなんてね」
沙希が感慨深気にため息を吐き、それまで黙ってやり取りを見ていた美野里が追い打ちをかける。
「神楽君ね、冬休み本当は出勤予定だったんだけど、休んで花乃と過ごすためにこの一週間早出残業で必死に頑張ったんだって」
「え……そうなの?」
だからずっと忙しそうにしていたの?
大樹は私に、クラッとする様な甘い甘い笑みを向けた。
「もう離さないから覚悟して?」
「か、覚悟って……」
カアッと顔が熱くなる。絶対に見られない程真っ赤になっている。
でも……今すごく幸せ。
だからもういちいち気にして隠そうとするのはやめよう。
私だって自信を持っていいんだと思わせてくれたのは大樹だよ。
だから大樹も覚悟していてね。私も絶対離してあげないから。
心の中で呟いて、テーブルの下で大樹の手をそっと握った。
END
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