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玲伊さんへの叶わない想いと、とうとう撮影がはじまるという緊張でほぼ眠れないまま、月曜日の朝になった。
午前10時に指定された4階のドレスレンタルショップに行くと、すでに、玲伊さんと岩崎さん、そしてKALENの紀田さんとカメラマンのSHIHOさんという女性が待っていた。
「とうとう今日からだね」
と言ってから、玲伊さんはわたしの顔を見て、うーんと一言。
「よく眠れなかっただろう。目の下にクマができてる」
「わ、目立ちますか?」
「ちょっとね」
玲伊さんは岩崎さんに「俺のメイク道具、持ってきてくれる」と頼み、それから、わたしの頬を両手で包んだ。
驚いて顔を上げると、彼はむにむにとわたしの頬をマッサージした。
「見てわかるぐらいひきつってる。そんなに緊張しなくても大丈夫だって」
人前で平気でそんなことをする玲伊さん。
彼にはどうしてもわたしが小さい子供に見えるらしい。
そのことが少しずつ、わたしの心に傷を増やしてゆく。
わたしは彼の手から逃れて、ちょっと強い口調で言った。
「でも、わたしにとっては、雑誌に載るなんて人生の一大事ですから。緊張するなっていうほうが無理です」
玲伊さんがぷっと吹き出す。
「ずいぶん大げさだな」
「いえ、このビルにこんなに頻繁に来ること自体、わたしにとっては、すでに特別な出来事ですから」
「そうだったな。今まで、どれだけ誘っても来てくれなかったもんな」と、ちょっと恨みがましい目を向けられる。
「そうでしたっけ」
わたしの態度がこの前の夜とはまったく違うと気づいたのか、玲伊さんは少し眉を寄せてこっちを見た。
でも、他の人の手前もあるからか、それ以上何も言わなかった。
眠れなかった昨日の夜、わたしは玲伊さんに対して、心のなかに防御線を引くことを決心していた。
もう、これ以上、好きにならないように。
そうでもしなければ、これからの数カ月間、きっと耐えられない。
そんなわたしたちの前に、白いカットソーに黒いパンツ姿の紀田さんが微笑みながら、歩み寄ってきた。
「加藤さん。これから、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、お願いいたします」とわたしも頭を下げた。
「オーナー、お持ちしました」
岩崎さんからメイク道具を受け取ると、玲伊さんはわたしにさっとメイクを施した。
点検するように眺め、そしてひとつ頷くとわたしに手鏡を渡した。
「すごい。クマ、なくなってますね」
「今度、コンシーラーの使い方、レクチャーするよ。じゃ、俺は行くから」
「れい……、あ、香坂さん、わざわざありがとうございました」
彼は片手を少し上げて答えると、部屋から出ていった。
わたしは内心、ほっとした。
彼の前で撮影されるのは、めちゃくちゃ恥ずかしいと思っていたから。
「じゃあ、さっそくですが」と、岩崎さんに更衣室に案内された。
「優紀さん。これに着替えてくださいね」
手渡されたのは、体型がまるわかりになる、黒のフィットネスウエア。
施術前の姿を撮っておくということだろう。
どこぞのフィットネスクラブの体験者たちが、ビフォーアフターで着ているようなものだ。
でも、お腹の出るデザインじゃなかったのでほっとした。
もしそうなら、それこそ雑誌に載せてはいけないレベルだ。
それにしても……
鏡に映る自分を見て、あらためて思う。
本当に2,3カ月で、雑誌の記事にふさわしいほど変われるんだろうか、と。
でももう、プロジェクトは走りはじめた。
いまさら引き返すことはできない。
とにかく、言われたことを誠心誠意こなすしかない。
着替えを終えて、パーテーションから出ていくと、控えていた別の美容師さんにさっとメイクをされ、それが終わるとSHIHOさんが「じゃあ、ここに立ってください」と声をかけてきた。
わたしは撮影用の白布の前に立った。
「はい、もう二歩ほど下がってもらえますか。そこでオッケーです」
SHIHOさんがカメラを構えながら、わたしに指示を出す。
「無理に笑おうとしなくていいですよ。普通にしていてくださいね」
そう言われても、まったく慣れていない状況にまたまた顔がひきつってしまう。
カシャカシャとシャッター音がした。
「ちょっとそのままで待っててください」
写真をチェックしながら、SHIHOさんはまだ納得いかない様子だ。
「そうだ。加藤さん。大きく口を動かして『あいうえお』って言ってもらえますか?」
言われた通り、あいうえおと言って口を閉じた瞬間、カシャっとシャッターが切られた。