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翌朝、忙しそうにイベントの準備をしているメンバーの中から、渡辺を引き寄せ耳打ちした。
「ナベ。効果音なんだけど……」
渡辺は篠崎に寄せた耳をピクピクと動かした。
「あ、大丈夫です。篠崎さん。効果音なしで!」
「は?」
「そんなスピードじゃないんで!」
「……スピード?」
篠崎が眉を潜ませると、牧村が事務所のドアを開けた。
「セゾンさんたち遅い!もうメーカー運び込んでるっすよ!」
「あ、ごめんごめん!」
渡辺が慌ててかけていく。
新谷と金子と細越も交互に事務所に入ってきてはカタログやら景品やらを持ってかけていく。
篠崎は開け放った窓から、管理棟の前に設けられたエコキュートの看板を眺めた。
「…………」
連日の雪が嘘のように晴れ上がった空だった。
澄み切った空気の中でエコキュートを模した風船が風に揺れている。
笑い声が聞こえる。
牧村と新谷と渡辺の声だ。
「…………」
篠崎はそれを見て、わずかに微笑むと、小さく息を吐いて、管理棟に向けて踏み出した。
管理棟の多目的ホールには、入りきらないほどの客が訪れた。
もちろんエコキュート1台が当たる抽選会目当てではあるのだが、寸劇を披露するキャストは緊張しているだろう。
篠崎はファミリーシェルターで牧村に突っかかっていた先輩二人と、客席の誘導をしていた。
板倉から何かを聞いたのか、2人はあからさまにこちらと目を合わせないようにこそこそと立ち振る舞っている。
(……ほんと、つまんねぇ奴らだな)
篠崎が呆れて口を開けたそのとき、開演のベルが鳴った。
◆◇◆◇◆
ステージに新谷がスーツのまま出てきた。
(あれ、あいつ。ママ役じゃなかったか?)
新谷の手にはつり革が握られている。
それを上に持つと、新谷は左右に揺れて見せた。
『あー、今日は疲れたなー』
パイプ椅子に、ファミリーシェルターの新人が座っている。
新谷は立ちながら居眠りをはじめ、その2人に倒れ込んだ。
会場から小さく笑いが起こる。
『こんな時は、帰ったらすぐ!温かいお風呂に入りたいなー』
言いながら携帯電話を取り出す。
『そうだ!愛しの奥さんにメールしとこっと!』
新谷が携帯電話を操作する真似をする。
と舞台の左側から子供役の金子と細谷が出てきた。
『出たな!ダークフォース四天王の一人!ゴールドチャイルド!』
細越が叫びながら剣を構える。
『今日こそはお前を倒してやる!スマートウエスト!』
金子が剣で応戦する。
「おいおい。ネーミングよ……」
篠崎は呆れて口の端で笑った。
と――――。
『うっせぇな!家の中でチャンバラやめろって言ってんだろうがっ!』
舞台袖から、形だけエプロンを締め、頭に某家族アニメのお魚加えたどら猫を追いかける女主人公に似せたかつらを被った牧村が登場した。
男らしい容姿にアンバランスな髪型と服装、そしてわずかに施した化粧が面白く、会場からは笑いが起こった。
『今度障子に穴開けたら承知しねぇぞ、こら!』
おおよそママとは思えない巻き舌と太い声で劇は続いていく。
ママはその後も忙しそうに、息子たちのランドセルから臭そうな体育着を発見したり、鍋のふき零しを拭いたりとてんてこ舞いだ。
ピロロロン。
鳴るメールの着信音。
ママが慌てて中身を見る。
と、
『お風呂沸かしててくれない?』
新谷の声が聞こえてくる。
牧村が会場を振り返る。
『リアルに死んでほしい……』
言いながら、おもちゃの包丁を掲げて見せる。
会場からまた笑いが起こる。
ステージにはパパが帰ってきた。
『ただいまー!お風呂湧いてるー?』
『湧いてるわよ』
ママが陰で舌打ちしながら答える。
パパは喜んで衣服を脱ぐふりをし、風呂のドアを開けた。
しかしそこには膝下までくらいの水位しかない。
今度はパパが会場を振り返る。
『明日……市役所行って離婚届もらってこよう』
その暗い顔に会場からまた笑いが起こる。
『こんなとき、エコキュートアプリがあったなら?』
どこからともなく渡辺の声が響き、2人は巻き戻しのように、逆に動き始めた。
「おお…」
そのリアルな動きに、会場の反応と同じく、篠崎も思わず声を出した。
『あー、疲れたなー』
電車の中でパパが全く同じ体勢で言う。
『こう疲れた日は、帰ったらすぐ!温かいお風呂に入りたいよな』
パパは、携帯電話を取り出した。
『そうだ!こんな時こそ!エコキュートアプリだ!!』
座席に座っていた乗客がプラカートを持ち、急に説明をしだす。
『エコキュートアプリがあれば、時刻を設定して、自動でお湯張りをすることができます!』
『また、タンクの残量を見ながら、沸き増しもできますし、追い炊きをすることもできます』
説明が終わると、パパは家の中に入って行った。
『ただいま』
『お帰りっ!あなたん!!』
さっきとは打って変わって優しく迎えたママは、笑顔で夫を出迎えた。
『あ、ごめん。お風呂の準備まだなのよ。今日はスポ少だったから』
『あ、いいよいいよ』
パパが微笑む。
『もう自分でやっといたからさ』
言いながら得意げにアプリ画面をみせる。
『パパー!僕も一緒にお風呂に入りたい!』
金子が言う。
『俺も俺も!』
細越も言う。
と――――、
『ママも一緒に入っちゃおうかな……』
とても女とは思えないハスキーな太い声を出しながら、ママが腰をくねらせる。
『え、それは勘弁してください…』
パパが固まったところで、ラストの音楽が鳴った。
◇◆◇◆◇
ホールは惜しみない拍手に包まれた。
「なんだよ、せっかくセゾンちゃんのエプロン姿、再び!って思ったのに」
横でファミリーシェルターの男が口を開いた。
そうか。なるほど。
嘘か本気か、先輩達が新谷を狙っているような発言をしたため、直前でパパとママのキャストを入れ替えたらしい。
篠崎はカーテンコールとして、並びながら客席にお辞儀をする牧村と新谷を交互に見つめた。
2人は顔を見合わせて笑っている。
そこには一点の違和感もない。
自分なんかとよりよっぽど、新谷の隣には牧村の方が似合っている。
今はそう思えなくても、きっと新谷にもわかる日が来る。
牧村も新谷のことを同情ではなく友情でもなく、本気で意識する日が来る。
2人が出会うのは必然だった。
仲良くなったのもあの一夜を過ごしたのも、全ては2人が互いに引き合わせたからだ。
そこに自分のいるべき場所はない。
篠崎は手が痛くなるほど、2人に拍手を送った。
それは今日の晴れ上がった空のように、自分でも意外に思うほどに清々しい拍手だった。
イベントの後片付けが終わったところで、由樹の携帯電話が鳴った。
『新谷君、今、大丈夫?』
秋山からだった。
『昨日もらった返事、柴田部長がものすごく喜んでさ、すぐにでも契約を結びたいって言うんだけど、どうかな?』
「あ、僕は良いですけど」
新谷は事務所の灯りを見つめながら言った。
「まだこのこと、篠崎さんに言ってなくて……」
言うと、
『なんでー?言う必要ないでしょう。支部長判断なんだから!』
秋山は少し不機嫌になりながら言った。
『正式に決定してからの事後報告でいいんだよ!』
「え、あ、そう言うもんですかね?」
事務所の窓に人影が見える。
曇りガラスだから定かではないが、どうやら篠崎の影のようだ。
『じゃあ、明日、柴田さんこっちに来るそうだから』
「え、明日、ですか?」
急な話に目の前がクラクラする。
『何か問題ある?』
「な、ない……です」
『じゃあ、天賀谷9時集合ね!以上~』
電話は唐突に切れた。
「……明日、か」
由樹は展示場を見上げ、そのあと、屋根の上まで視線を上げた。
「……わぁ!」
そこには億千万の星たちが、由樹に優しく瞬いていた。