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こちらの神サン
30
ありんす
1,095
#コメディ
アオイ
101
新暦1046年、秋。
大崩壊から始まった気候変動とそれに伴う社会構造の崩壊は、人類からあらゆるものを奪い去った。大陸の形すら変えたその震災により、旧文明のデジタル記録は消失し、今や我々が「二十一世紀」と呼ぶ時代のことは、ほとんど闇の中にある。
千年前に「東京湾岸」と呼ばれていた地域は、今では果ての見えない砂漠の一部になっていた。大崩壊以前の文明が築いた高層ビル群の残骸が、風蝕を受けて白骨のように立ち並ぶその一角で、砂嵐のあとに地表から顔を出したものがあった。
発掘隊の若い隊員が、ブラシで慎重に砂を払いながら、思わず声を上げた。
「班長、これ——文字です。文字が読めます」
「千年前の紙の文献……崩壊した旧文明の建物が砂中に埋まったことで無酸素状態になり、酸化反応が停止して紙の加水分解や酸化を極端に遅らせたのか……あるいは砂嵐に含まれる鉱物成分とインクが化学反応を起こした化石化現象か……ともかく、これは奇跡だ」
白色に劣化した薄片状の物体。手のひらに乗るほどの大きさに砕かれているが、そこに確かに印刷文字が残っていた。大崩壊によってデジタル記録のほぼすべてが失われた現代において、紙に印刷された物理情報こそが、旧文明を知るほぼ唯一の手がかりだった。
発見の報は、砂漠の熱波に乗ってたちまち世界を駆け巡った。
——それから数ヶ月後
中央歴史研究所の地下、最も厳重に管理された解析室に、世界から七人の専門家が集められた。天井の高い石造りの部屋には、中央の長テーブルに発掘物が並べられ、頭上の照明が白々とそれらを照らし出している。
樹脂製のカプセルに収められた彩色された小像。そして——紙の書物の断片。
研究所所長のヘルメス・タカミヤが、白髪混じりの長髪を後ろで束ね直しながら、静かに口を開いた。彼の声は、石造りの部屋に粘りを持って響いた。
「諸君、集まってもらったのは他でもない。今回発掘された一連の遺物は、旧暦二十一世紀初頭、すなわち大崩壊の直前にあたる時期のものと推定される。放射性炭素年代測定と地層の分析から、おおよそ千年以上前のものだ」
タカミヤはテーブルの上を、枯れた木の指のような手で指さした。
「ここにある断片だけでも、実に七十三葉が確認されている。保存状態は極めて悪いが、画像解析技術によって相当量の文字が復元された。本日はその内容について、各分野の専門家の見解を聞きたい」
考古学分野の権威であるソフィア・エンドーが、黒縁の眼鏡を光らせながら端末を操作した。彼女の指は、事務的な正確さでホログラムを展開する。
「まず、もっとも重要な記述を紹介する。これらの書物は、当時の文献名と思しき名称が断片的に残っている。『週刊少年——』後半は欠損しているが、何らかの技術マニュアル、あるいは戦記記録である可能性が高い」
瘦せぎすの中年男性——機械工学史のユーリ・カミンスキーが、鋭い目つきでソフィアを見た。彼の声は、金属が軋むように低かった。
「なぜそう判断する」
「記述内容だ。まず、こちらを見てほしい」
ソフィアが投影した復元テキストを、七人の専門家が息を呑んで見つめた。
***
「——第一の記録。人体エネルギー操作技術に関する記述だ」
ソフィアは、事実を羅列するような抑揚のない声で説明を続けた。
「多数の絵画から、当時の戦士たちが『気』『チャクラ』『呼吸』『オーラ』などと呼ばれる体内エネルギーを操作し、身体能力を飛躍的に高め、手のひらや武器から光線を放つ技術が広く普及していたことが確認された。戦闘前には『戦闘力』を測定する習慣があり、数値化された強さで社会階層が決まっていた可能性がある」
生体人類学のミナ・オザキが、端末の画像に顔を近づけた。巻き髪が揺れる。彼女の大きな瞳が、ホログラムの少年の姿に釘付けになっている。そこには、幼さの残る少年が、武道着と思しき衣装を着て、光の球を手のひらに浮かべている姿があった。
「この子……いくつに見える?」
「十歳前後、あるいはそれ以下だ」
ミナの声が、明らかに震えていた。
「そんな小さな子が……この光球は、どれほどのエネルギー密度があるの?」
「換算すると、旧文明の主力火器に匹敵する出力だ。絵画の効果線と周囲の地形破壊の描写から判断して、単発で戦車級の装甲を貫通する威力があったと推定される」
「子供の手で……?」
ユーリが、画像を拡大して眉をひそめた。彼の指は、まるで欠陥を探すように画面を這わせる。
「待ってくれ。ここに描かれているのは、単なる戦闘記録ではない。この少年は、明らかに人間社会の外縁に位置する存在だ。他の絵画では、額に金属板の防具をつけた少年が、巨大な獣を体内に封じた状態で戦っている。さらにこちらには、家族を殺された少年が刀を持って夜の街を徘徊している記録もある」
ミナが次々と映し出される画像に目を泳がせた。彼女の頬が紅潮し、唇がわずかに震えている。
「みんな……みんな子供じゃない……」
ソフィアが、冷静に頷いた。
「ここが最も衝撃的な部分だ。こうした人体エネルギー操作技術の適性は、成人した肉体ではなく、未発達な神経系と可塑性の高い筋骨に最適化されていたらしい。記録の至る所に——『資質』『血統』『宿命』といった単語が出現する。つまり、特定の遺伝的素因を持つ子供たちだけが、極限の戦闘力を発揮できた」
「子供を……兵器として選別していたのか」
「さらに重要なのはこの記述だ」
ソフィアが別の断片を投影した。そこには、観衆で埋め尽くされた円形の闘技場が描かれ、幼い戦士たちが殺し合うように見える構図があった。
「全国から選ばれた少年少女が集まり、互いの戦闘力を競う祭典の記録だ。複数の文献からこういった祭典の様子が確認されているのを鑑みるに、この祭典は全国各地で定期的に行われていたと考えられる」
「祭典……?」
「旧文明の人々は、子供同士の死闘を『娯楽』として観賞していた。観客席の描写を見ろ。何万人もの大人が、血を吐く子供たちを見て歓声を上げている。これは国家規模の儀式だった」
部屋が沈黙に包まれた。
タカミヤ所長が低く、重苦しい声で呟く。
「十歳前後の子供が、国家代表として戦わされ、民衆はそれを観戦していた……深刻な人口減少期にあって、大人の兵力が枯渇した結果、マインドコントロールしやすく限界突破しやすい子供たちに国の防衛を依存せざるを得なかったのかもしれない。過酷な時代だ……」
タカミヤは寂しげに目を細め、自身の古い記憶をなぞるように言葉を継いだ。
「……我々の先祖も、大崩壊直後の極限的な人手不足の時代、社会を存続させるために子供たちを過酷なインフラ復旧作業や危険な瓦礫撤去に駆り出していたという記録がある。歴史は繰り返されるものなのだな。彼らもまた、そうせざるを得ない窮地に立たされていたのだろう」
ミナが、目元を指の腹で拭った。彼女の声は、涙を堪えるように湿っていた。
「うぅ……かわいそうに……何て過酷な時代だったの……」
ユーリは俯き、静かに拳を握りしめた。
「……」
***
議論が白熱する中、ソフィアが二番目の断片を映し出した。
「第二の記録。こちらはさらに不可解だ」
画面に映し出されたのは、鮮やかな色彩で描かれた少女たちの姿だった。フリルのついた衣装、杖や弓のような武装、そして——身体から発せられる光の効果。
「『魔法少女』と呼ばれる役職の記録が見つかった」
部屋が再びどよめいた。
「十代の少女が変身用の装具を用いて成人の姿に変貌し、杖や弓を使って都市を脅かす怪異を退治していた。敵は人間の負の感情から生まれると記されている」
「こちらも……戦わされていたのは少女なのか……」
「負の感情から生まれる怪異……」
ミナが眉をひそめた。
「これは比喩か、それとも実在の生物種を指しているのか」
「後者と考えている。当時の都市環境には、精神的汚染を引き起こす何らかの有害因子が存在していた。人々の不安や恐怖が触媒となって、実体化する生命体——あるいは病原体の集合体が生まれていたのではないか」
「変身、というのは」
「装具による物理的変化だ。衣装の瞬間的な展開、身体能力の増幅、武器の実体化。これらは高度なナノテクノロジー、あるいはエネルギー物質化技術の実用化を示唆している」
若い物理学者のレオ・ハヤシが、短い黒髪を逆立てるようにして早口で叫んだ。
「なるほど……『変身』、これはナノマシンによるものだな!液体または粒子となったナノマシンが体表を駆け巡り、アーマーを形成して変身しているのだ!衣装の瞬間展開も、身体能力の増幅も、すべてナノテクノロジーの応用だろ!」
レオの隣に座っていた遺伝学者のアヤ・コバヤシが、冷たく鼻を鳴らした。彼女は黒髪をきっちりと三つ編みにし、無表情でレオを見た。
「いいえ。遺伝子操作によるホルモンや神経伝達物質の急速な分泌、および細胞分裂と形態変化です。ナノマシンなどという外部機器に依存すれば、電磁パルス一発で無力化されます。旧文明の技術者がそんな脆弱なシステムを採用するはずがありません」
「何だと!?」
レオが椅子から腰を浮かせた。
「遺伝子操作であれだけの形態変化を起こせば、代謝エネルギーが不足して自壊するだろうが!熱力学の法則を無視できるとでも!?」
「あなた方物理学者は、いつもエネルギー収支で物事を測ろうとする。生物の持つ潜在能力を見誤っているのです」
「潜在能力だと!?」
白熱する二人を見て、ユーリが冷たく口を挟んだ。
「……結構な議論だが、君たちは『ナノマシン』か『遺伝子操作』かという“手段”を争っている。だが、その前提自体が間違っている可能性を考えたことはあるか?そもそも『変身』など物理的にありえない。衣装が瞬時に展開するなど、熱力学の法則に反するのでは?」
レオとアヤは一瞬顔を見合わせ、ユーリに息巻いた。
「……いや、どちらにせよ『不可能』ではない」
「ええ。実現のメカニズムは議論の余地がありますが、熱力学を完全に無視するわけではありません」
タカミヤが、静かに手を挙げて場を制した。
「落ち着いてくれ。議論は有益だが、今は証拠が足りん」
ユーリが腕を組んだ。彼の目は、まるで歯車の噛み合わせを数えるように冷たかった。
「先ほどの『気』を使う少年たちの記録と、この魔法少女の記録が、同じ時代の同じ地域から出土している。超人体術を使う子供たちと、魔法武装で怪異と戦う少女が同時に存在していたのか?」
「それだけではない」
ソフィアが三番目の断片を映し出した。
そこには、全高二十メートルに達する人型二足歩行機械が描かれていた。当時の呼称は『ロボット』、あるいは『モビル——』『——ゲリオン』など、断片的に残っている。そしてその中に座るのは、再び——十四歳前後の少年や少女だった。
「第三の記録。人型二足歩行機械に関する記述だ」
部屋は完全に静まり返った。
タカミヤ所長がゆっくりと口を開いた。
「つまり、同じ時代に——手から光線を放つ超人類の少年少女、変身して怪異と戦う少女、そして巨大人型兵器を操る子供たちが、同時に存在していたと」
「その通りです」
「……同じ文明の中で、これほど異質な技術体系が共存していたというのか?」
誰も答えられなかった。
技術体系の矛盾。それはこの会議最大の謎だった。
***
議論が膠着したその時、ずっと黙って文献を調べていた男が、突然顔を上げた。
文献学のカイ・ムラタだ。太めの体格に似合わず、彼の目は異常に鋭く光っていた。
「所長。書物の配布形態について、重要な発見がある」
「なんだ」
「これらの記録は、週ごと、あるいは月ごとに更新され、民衆に広く配布されていた。各地から同種の書物が大量に出土していることからも、これは一部の特権階級向けではなく、一般市民向けの情報だった」
「週ごとの更新……」
「当時の人々は、この書物をお布施——数百円程度の、現在の価値で換算すると小額の寄付——と引き換えに入手し、来たるべき災厄に備えていたと考えられる。最新の戦術情報、敵の動向、そして新しい戦士や兵器の記録を、毎週更新して全国に配布する。これは事実上の国家級の防災情報ネットワークだったのではないか」
「毎週更新される防災マニュアル、か」
カイは、顔を紅潮させながら続けた。
「そして、ここに『少年』という文字が入る理由も理解できる。戦うのは常に少年少女だ。子供たちが使う『気』の技術、魔法少女の変身、人型二足歩行機械の操縦——いずれも成人の肉体では適合しない。旧文明は、『子供の可能性』こそが最大の兵器だったと信じていたのだ」
「なぜ子供なの……」
ミナが、静かに手を挙げた。彼女の声はまだ涙声の残る優しさだった。
「『気』や『オーラ』の記録を見れば答えは出る。成人の神経系は可塑性を失い、『戦闘力』の上限が決まってしまう。しかし子供は成長する。週刊誌という形で『現在の戦闘力』を公開することで、民衆は子供たちの『成長』を見守り、次週の『強さ』を期待した。子供の成長こそが、旧文明最大の希望だったのだ」
タカミヤが、深く頷いた。
「なるほど……『週刊少年——』という名も納得できる。毎週、少年少女たちがどれだけ強くなったかを確認するための文献。子供たちの死闘を、大人は成長物語として消費していた」
「しかし所長」
ユーリが、険しい表情で口を挟んだ。彼の指が、テーブルを軽く叩く。
「それなら、なぜ巨大二足歩行兵器などを使うのですか。手からビームが出せる人間がいるなら、その人間だけで十分では」
「あるいは魔法少女の変身能力で——」
再び沈黙が落ちた。
ソフィアが推測を口にした。
「もしかすると、脅威の種類に応じて使い分けていたのかもしれない。『気』を使う少年たちは人間同士の戦いや、個人単位の脅威に。魔法少女は都市部の精神的汚染に。そして人型二足歩行機械は——大陸レベルの災厄に。子供たちの能力と、脅威のスケールが対応していたのだ。だからこそ、国家は複数の防衛ラインを敷き、それぞれの戦闘記録を『週刊少年——』という形で共有し、子供たちに心構えと戦術を学ばせていた。実に理にかなっている」
「来たるべき日に備え、幼い子供たちがこのマニュアルを読み耽っていたのか……」
専門家たちは、かつての旧人類が抱えていたであろう、計り知れない絶望と祈りに思いを馳せた。
ユーリが、薄い笑みを浮かべて再び口を開いた。
「所長。私は、もっと根本的な疑問を呈したいのですが」
「何だね」
「人型二足歩行機械のようなものは、これまで出土していません。これまで発見された建物や乗り物の痕跡を見ても、二十一世紀にここまでの技術力があったとは思えません」
ユーリは、ホログラムの人型二足歩行機械の画像を指差した。
「この記録は、創作ではないのですか?つまり、架空の物語——」
「馬鹿な!」
カイが、テーブルを叩いて立ち上がった。彼の太い首の血管が浮き出ている。
「デジタルのデータは脆い!現に当時のデジタルデータの大部分は大崩壊によりすべて水泡に帰した!ゆえに、二十一世紀の人々はデジタルデータの消失に備えて、この緻密な絵画を紙に残したに違いない!」
カイの声は、まるで説教をするように熱に浮かされていた。
「二十一世紀当時は、深刻な資源の枯渇と環境破壊、そして世界的な貧困が極限に達していた時代だという記録がある!大崩壊の災禍からやっとの思いで文明を立て直した我々の現代社会とほぼ変わらないほど資源が逼迫し、人々の困窮が問題になっていたはずだ!」
カイは息を荒くし、さらに声を張り上げた。
「そんな時代に、『娯楽』などという、極めて非生産的で贅沢な目的のために、これほど膨大な紙と多色のインク、そして超高度な印刷技術を浪費する余裕などあるはずがない!そんな無駄遣い、滅びゆく文明の社会システムが許容できるはずがないのだ!これは間違いなく、来たるべき災厄に備えて国中に配布された、事実に基づいた実録、あるいは防災情報マニュアルだ!」
「それに、子供が戦うなんて非人道的すぎるわ」
ミナが、小さな声で抗議した。彼女はカイの激情に圧倒されたように、肩をすくめている。
「こんなに大量に印刷して……子供たちの死闘を、わざわざ色鮮やかに描くなんて……これほど多くの大人が、子供たちが血を吐いて戦う姿を熱狂的に見つめているのよ?これがもし『娯楽』だとしたら、旧人類はただの悪趣味なサディストの集まりになってしまうわ!私たちの先祖が、そんな救いようのない残虐な人間だったとでも言うの?そんなはずがないわ。彼らだって、苦渋の決断の末に子供たちに未来を託し、祈るような気持ちでその成長を見守っていたのよ!」
「そうだ!非人道的だからこそ、彼らはこのようなことを未来で繰り返してはならないと、記録に残したのだ!」
カイは、両手を広げて部屋中を見回した。
「大崩壊直前の旧人類は、絶望的な状況にあった!民衆は、自らの子供たちが最前線で何をしているかを知る権利を持っていた!この書物は、戦士たちの生きた証を残し、国民に現状を伝えるための——」
「いや、違う」
ユーリが、冷たく遮った。彼はカイを見上げるようにして、鋭く言い放った。
「カイ君の主張には根本的な矛盾がある。もしこれが『実録』ならば、なぜ『戦闘力』のような曖昧な数値で社会階層を決める?なぜ闘技場の観客が歓声を上げている?これは記録ではない。民衆を煽動するための——」
「煽動だと!?」
「——プロパガンダ、あるいは創作だ」
ユーリの言葉に、部屋がざわついた。
カイの顔が真っ赤になった。
「プロパガンダだと!?この緻密な絵画が!?この再現性の高い人体構造が!?娯楽のために、ここまでの労力を払うはずがないんだ!」
「旧人類の倫理観は、我々にはわからない」
アヤが、平坦な声で言った。
「もしかすると、彼らは子供を戦わせることに何の躊躇もなかったのかもしれません。そして、その光景を『美しい』と感じていたのかもしれません。旧文明の精神病理は、我々の常識では計り知れません」
「そんな……!」
重苦しい空気の中、ユーリがさらに鋭く追及した。彼の声には、単なる反論ではなく、学者としての冷静な懐疑心が満ちていた。
「百歩譲って精神病理はさておき、物理的な証拠がなさすぎる。我々はこれまで世界中の遺跡から、全高二十メートルを超える人型兵器の金属残骸も、飛行する魔法の杖も、一度として発掘していない。実在したというなら、なぜこれほど大規模な兵器群の物的な痕跡が、何一つ残っていないのか」
カイが言葉に詰まり、部屋に沈黙が戻った。ユーリの理路整然とした指摘は、確かに無視できない説得力を持っていた。
その時、遺伝学者のアヤ・コバヤシが、これまでにない鋭い口調で割って入った。彼女の三つ編みが揺れ、無表情の奥に冷たい光が宿る。
「ユーリ教授、あなたはまた物理的証拠にこだわりすぎです。ですが、もし人型二足歩行機械が『生分解性素材』で作られていたとしたら?」
「……何?」
「当時の旧文明は、環境破壊の反省から、戦時中用兵器ですら可能な限り環境負荷を減らす設計を徹底していた可能性があります。金属ではなく、強化セルロースやキチン由来の複合材料、あるいは微生物で分解される特殊ポリマー——そうした素材で機体を構成していれば、千年もの時間を経て土壌に還り、跡形もなく消え去ることも十分に考えられます」
レオが後ろから飛びつくように叫んだ。
「そうだ!我々のナノマシン理論でも、使い捨て型の生体適合材料を使えば完全分解は可能だ!むしろ、資源が逼迫していたからこそ、使い終わった兵器は再利用か分解して自然に返す設計にしていたと考えるのが合理的だろう!」
ユーリは冷淡な目でレオを見つめ、呆れたように細い息を吐き出した。
「生分解性の人型二足歩行機械だと?馬鹿馬鹿しい。そんな脆弱な素材で、自重数百トンに及ぶ二十メートルの巨体をどうやって支え、戦闘の負荷に耐えさせるというのだ。物理的な強度計算を完全に放棄した妄想だな。もっと現実的な反論をしたまえ」
「くっ、熱力学や材料工学を無視したわけじゃない!当時の超ナノ結晶セルロースがだな……!」
レオがさらに食い下がろうとしたが、テーブルの端で静かに発掘物を見つめていたタカミヤ所長が、ゆっくりと手を挙げてそれを制した。
「まあ落ち着きなさい、二人とも。……ユーリ教授、極端な仮説はともかくとして、この説明はどうするね?」
タカミヤが枯れ枝のような指で示したのは、分析室のトレイに置かれた、もう一つの重要な遺物だった。
樹脂製の透明なカプセル。その中に収められた、数センチメートルほどの彩色された少女の小像だ。
「これは、今回の地層から同時に多数出土した立体像だ。見ての通り、先ほどの『魔法少女』と完全に一致する意匠が施されている。さらに驚くべきは、この精密さだ。髪の毛の一本一本、衣装のひだ、表情の色彩に至るまで、当時の高度な高分子成形技術が惜しみなく注ぎ込まれている」
ユーリが、眼鏡の奥の目を細めて小像を覗き込んだ。
「……確かに、見事な造形です。ですが、これがどうしたというのですか」
「二十一世紀当時は資源の枯渇が極限に達し、我々と同等以上に人々が貧困に喘いでいた。これは我々の共通認識だな?」
「ええ、間違いありません」
「では、問おう」
タカミヤは静かに、しかし威厳を湛えた声で語りかけた。
「もしこれらがすべて君の言う『創作』であり、ただの『娯楽』だったとする。旧人類は、国家存亡の危機、社会が崩壊に向かう極限状態において、実在もしない架空の少女を讃えるためだけに、貴重な石油由来のプラスチック樹脂を投じ、これほど精密な立体像を何百万個も大量生産してカプセルに封入したというのか?この小像に使われているプラスチック樹脂で、何百個の浄水フィルターが作れると思っている。そんな狂気じみた生産資源の浪費を、当時の政府や社会システムが容認すると思うかね?」
ユーリは、言葉を失った。
「彼らがこれほどの社会資本をかけて立体像を製造し、頑丈な個別カプセルに封印してまで全国に流通させていた。これは、彼女たちが実在した『救国の英雄』であり、その生きた証を後世に残すための、国家的な記念碑——あるいは戦死者の魂を慰めるための、宗教的な神体(ドグマ)だったと考える方が、考古学・社会システム工学の観点からは遥かに合理的だ」
タカミヤの推論は、この世界の「資源枯渇」という大前提に基づいた、逆らいがたい説得力を持っていた。
「物理的な兵器の残骸が残っていないのは、大崩壊の地殻変動による超高熱、あるいは戦いの中で完全に消滅したからかもしれない。あるいは——先ほどアヤ君とレオ君の言ったように、環境配慮型の素材だったのかもしれん。しかし、少なくともこの『立体像』という紛れもない物質が存在する以上、我々は当時の人々が残した祈りを、単なる『絵空事』と片付けることはできないのだよ」
ユーリは、しばらくの間、透明なカプセルの中の、フリルのついた衣装を着てポーズを決める少女の像を見つめていた。
やがて、彼はふっと息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いて腕を組んだ。
「……なるほど。物質的・経済的な循環の観点から見れば、私の『すべてが創作である』という説は、当時の資源逼迫状況に対して不自然な『浪費』を要求していますね。滅びゆく文明が、架空の妄想のためだけにこれほど精緻な物資を分配するはずがない……そこは認めます」
ユーリはホログラムの人型二足歩行機械に目を戻した。
「だが、アヤとレオの言うような生分解性の人型二足歩行機械などという戯言を抜きにしても、二十メートルの巨人の残骸が一欠片もないのはやはり物理的に不自然極まりない。……所長、こういう解釈ではどうです」
「聞こう」
「人型二足歩行機械は、やはり実在しなかった。当時の絶望的な状況下で民衆を戦いへと煽動し、あるいは未来への偽りの希望を抱かせるために、国家が予算を投じて捏造した『プロパガンダとしての創作』です。
しかし、この魔法少女の方は——実際に存在した救国の戦士たちだった。だからこそ、彼女たちの精密な立体像が『祈り』として製造され、人々の手元に残された。
ロボットは創作、魔法少女は実在。これなら、物理的な巨大残骸の不在と、この立体像という紛れもない物証の存在、その両方の矛盾を綺麗に解消できます」
タカミヤは、ユーリの言葉に穏やかな笑みを浮かべた。
「ふむ……非常に興味深い妥協案だ。確かに、脅威のスケールに応じて、実在の技術と、民衆を鼓舞するための架空の象徴が混在していたと考えるのは、社会心理学の観点からも極めて合理的だな。歴史の空白を埋める、見事な仮説だ、ユーリ教授」
ユーリは、どこか満足げに眼鏡の位置を直した。
「私の立場としては、『魔法少女は実在、ロボットはプロパガンダによる創作』と結論づけさせてもらいます。これなら、私の懐疑的な理性もなんとか納得できます」
「それで構わない。考古学は確率論だ。巨大ロボットについては君の説に一理ある。……だが、少なくともこの少女たちが、実在した戦士であり、人々に希望を与えた存在だったことは、紛れもない事実だ。この偶像に込められた祈りは、創作などではないと私は信じたい」
「……ええ。魔法少女たちは実在した。そして、人々に愛され、記憶されていた」
ユーリの知的な、そして潔い譲歩に、部屋の緊張がふっと和らいだ。
「では、所長」
ソフィアが眼鏡の位置を戻し、ホログラムの資料を整理し始めた。
「この文献に記された、過酷な子供たちの闘争の歴史を、我々は一つの歴史的事実として解析を進める、ということでよろしいですね」
タカミヤは深く頷き、部屋の全員を見渡した。
「うむ。千年前の子供たちが、何を背負って戦っていたのか。我々にはそれを正しく解き明かし、歴史に刻む義務がある。解析を続けよう、諸君」
ミナが小像を見つめ、そっと胸に抱いた。
「彼女も、この小さな体で戦場に立ち、そして散っていった英雄の一人なのね……。人々は彼女たちの生きた証を、こうして精巧な像として手元に置き、その魂を慰めていたのかもしれないわ」
一同は、その人形の持ち主が、過酷な世界の中でどのような祈りを捧げていたのかを想像し、厳かな気持ちになった。
***
会議の最後に、タカミヤ所長が静かに立ち上がった。
「本日の議論を総括する。旧暦二十一世紀初頭の文明は、我々が想像する以上に高度で、かつ過酷なものであった。少年少女たちは、体内の生命エネルギーを極限まで引き出し、あるいはナノテクノロジーの衣を纏って、人類の存亡をかけて最前線で戦っていた。そして、民衆の士気と希望のために、誇張された巨大人型兵器のイメージが創作され、民衆は毎週配布されるマニュアルを通じてその死闘を見守り、自らの運命に備えていたのだ」
彼はテーブルの上の遺物を順に見渡した。
「これらは単なる歴史的資料ではない。極限状態を生きた古代の人々の祈り、恐怖、そして希望が込められた聖遺物だ」
タカミヤ所長の言葉に、七人の専門家が一斉に立ち上がった。
研究所の職員が、白い手袋をした手で丁寧に遺物を収蔵ケースに移していく。ボロボロの紙の書物の断片。彩色された小像。
一つひとつが、防湿・防菌処理を施された特別なケースに収められ、照明の下に並べられた。
そして——
タカミヤ所長がケースの前に立ち、深く頭を下げた。
七人の専門家がそれに続いた。
千年以上前の、見知らぬ少年少女たちへ。
彼らが駆け抜けた、過酷な青春への、静かな祈り。
解析室には、しばらくの間、深い沈黙が満ちていた。
***
Case.734-A
収蔵番号:Seventh-H-1046-0734
分類:戦時記録・聖遺物級
内容:旧文明末期(推定旧暦21世紀初頭)の戦術文献断片73葉、彩色樹脂像3体
備考:毎週配布された防衛情報マニュアルの一部と推定。当時の少年少女たちの戦いの記録。取扱厳重注意。
***
地下の収蔵庫で、ケースの中の少女の小像は千年の時を超えて変わらぬ微笑みを浮かべていた。その穏やかな笑顔は、白い光に照らされてまるで千年後の人々を慈しむように輝いていた。
フリルのついたドレス。杖の先にきらめく宝石。
かつてどこかの書棚の隅で、あるいは誰かの机の上で、漫画雑誌の誌面で輝いていたその姿を、千年後の人々は「都市を守った戦士の記録」として、永久に保存することになった。
***
議論が終わり、専門家たちが部屋を去ろうとする中、ユーリだけが最後までホログラムの絵画を見つめていた。
(……しかし)
(もし、これらが全て創作だとしたら、旧文明の人々は実に豊かな想像力を持っていた。子供たちが戦う姿を、これほど熱狂的に、そして時に切なく描くとは……)
(明日のパンすら事欠くかもしれない時代に、これほど無駄で、これほど美しいものを創り出せる精神的な余裕……それは、常に生存戦略と効率を強いられる我々の現代社会が、とうの昔に失ったものかもしれない)
彼は初めて、ほのかに笑った。それは皮肉でも嘲笑でもなく、どこか羨むような表情だった。
コメント
1件
ああ、これめっちゃ面白い……! 千年後の人たちが現代の週刊少年漫画を「実在の戦士の記録」とか「国家防災マニュアル」って本気で考察してるの、鳥肌立ったよ。ユーリが最後に「創作だとしたら、よくこんなに美しいものを」ってつぶやくシーン、すごく刺さった。この作品、読み終えたあと、自分が今読んでる漫画の向こう側に、どれだけの人の祈りや想像が詰まってるんだろうって考えちゃった。続き、もっと読みたいな。