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「今、亮介のこと思い出してたでしょう?」
刹那だったと思われたが夏帆はだいぶ無言だったらしい。真希に声を掛けられ夏帆は我に返った。
「あ……うん。仕方ないよ。別れてから時間も経ってないしね」
「でもさ、電話で別れ話を済ませるってナシだよね。浮気した亮介は直接責められることもないから苦痛がないよね。でも、夏帆はもっと言いたいことあったんじゃない? あまりにもあっさり別れすぎだったと思う」
真希がフンと鼻息を吐きハンドルを強気に握りながらそう言った。そんな親友に夏帆は頼もしいと思う。しかし、夏帆は悔しい思いを閉じ込めても穏便に亮介と別れたかった。
「私が振られたんだから」
「誠くんママが浮気相手だったんでしょう?」
「亮介に問い詰めたら『夏帆よりカスミのほうが俺を愛してる』って言われたんだよ? その時点で亮介も誠くんママに熱上げてる感じだったし」
はっきり亮介から別れを切り出されたわけではなかった。でも、亮介の恋のベクトルは夏帆ではなく誠くんママにだったのは確かだった。
そして、誠くんママも幸せそうだった。それならば真相を話して話をこじらせるより、夏帆が静かにフェードアウトしたほうが穏便だと考えたからだ。なにより、二人が上手くいって誠くんとママの幸せにつながるならと思ったら夏帆は潔く身を引けた。
「園でも誠くんママと気持ちよく顔を会わせることができているしね」
夏帆はそんな風に自分を納得させていた。
「まあ、ね。仕事で毎日会うからトラブルはないほうがいいけどさ。でも浮気した奴より夏帆が苦しむってのも腹が立つ話よね!」
夏帆の代わりに真希が怒ってくれた。その時、赤信号になり真希が急ブレーキを踏んだ。その勢いに思わず二人ともつんのめってしまった。「あわわ」となりながらわも二人は目を合わせ笑った。
「腹立ててたら赤信号、見えてなかったわ~」
真希は冗談ぽく額の汗を拭きとる仕草をする。
「過ぎたことはもういいの。真希、心配してくれてありがとうね」
「夏帆はお人よしすぎる。それじゃ損してばかりになるよ」
「うん……。でも、しばらくはいいかな」
少し弱気になっている夏帆を真希はなだめるように励ます。
「私からみても夏帆はいい女だもん。いつかきっとヘリパイの成瀬さんみたいな人と出会えるって!」
「ははっ。そうだね」
何度、真希のこの明るさに助けられただろう。夏帆は心がじんわり温かくなった。車はようやく町の中心地についた。夏帆は真希から飲みに誘われたが貧血を起こしたこともあり、本日は大人しく帰宅することにした。
※
「ただいま」
玄関に父親の靴がないのに気がつき「お父さんもまだ帰ってないか」と一人呟いた。夏帆の父親は小湊基地で働く自衛官だ。
「また集まりで夜も遅いよね」
父親は地元の人間であり何かあれば集まって飲み会をしている。しかも、この時期は八月のねぶた祭りに向けてみんなが準備に明け暮れていた。ねぶた祭りを盛り上げるためにも地元民は祭りに命をかけているのだ。
夏帆は窓を開け自然の風を取り入れたふぅと一息ついてダイニングの椅子に腰を掛けた。四脚セットの椅子だけど、実際に使っているのは二脚だけだ。なぜなら夏帆は三歳の時に母親を病気で亡くしているので、残りの椅子が使われることがなかったのだ。ぼんやりと母親の記憶はあるが、正直アルバムや父親からの話を聞いて思い出が作られていると思っている。結局、男手一つで育ててくれた父の表情だったり言葉だったりしか記憶がない。
だから両親そろって食卓を囲むことが、夏帆の憧れになっていた。いつかは叶えたい夢。誰でも手に届きそうなのに自分には贅沢品にように手が届かない気がしてならならない。夏帆は無意識に前髪をかきあげて、しばらくぼーっとしていた。
「シャワー浴びてサッサと寝よう」
考えても仕方ないと夏帆は立ち上がり風呂場へと向かった。シャワーから上がると首にかけたタオルで髪の雫を抑えながら、冷蔵庫の前にやってきた。
「さあ、お酒~」
テンションが上がった夏帆が冷蔵庫をのぞくと、選び抜かれた先鋭のお酒たちが並んでいた。どれにしようかと人差し指でちょんちょんして選ぶ。元彼を思い出した今日は、ほろ酔いでぐっすり眠りたい気分だった。
「ノンアルビールは気分じゃない。ストロングハイにいっちゃいましょう!」
無駄に独り言をつぶやき、今日の晩酌相手が決定した。夏帆はお酒は好きだが強くはない。ストロング一本いけば充分に酔えるのである。しかも明日は月曜で仕事だ。これくらいがちょうど良かった。長年着込み身体に馴染んだ高校文化祭で作った”気合いだ”Tシャツ。これを着て一人お酒を飲むのがオツなのだ。こんな姿、誰にも見せることはできない。つまり全開リラックス状態ということだ。
夏帆はお酒を持って二階のベランダにでた。作りが古いためギシギシきしむので、慎重にいつもの定位置に座った。そしてプシュッと栓を開けて一口飲んだ。
「アーッ、おいしい」
目を細めアルコールにウェルカムした。早く酔いたいと一気に半分ほど飲んでしまう。弱い夏帆はすでにいい気分になっていた。
夏帆の家は少しばかり高台に建っている。夕暮れは陸奥湾に落ちるオレンジ色を眺められるし、日が落ちれば市内の夜景を楽しめる。
青森の短い夏季限定のお酒の飲み方なのだ。夏帆はオレンジと群青色に染まってゆく陸奥湾を見ながら、残りのお酒をぐびっと飲んだ。
「ほろ酔いサイコー……」
夏帆は一人酔いしれた。誰にも邪魔されない幸せな時間だ。浮気をしてイライラさせられる彼氏なら、いないほうがよっぽどいい。でも浮気もしない誠実な人が寄り添ってくれるのなら、一人よりもっと幸せだろうな。夕方の涼しくなった風が夏帆の頬と髪の毛を撫でる。夏帆は目を細めてその風の後を追った。しばらく海を眺めていたらオレンジが消え群青色に変わっていた。良い感じに酔った夏帆は部屋へと戻った。空き缶をテーブルに置きベッドに寝転がる。
今日も一日が終わる。
貧血は起こしたし亮介を思い出してちょっと気分は下がった。けど夏帆は自分が高所が苦手と発見したり、ヘリパイはカッコいいことを知った。
真希の言うとおり、あの成瀬というヘリパイは素敵だった。あの時は真希のテンションに乗ってはいけないと自制したけど、本当にあんなスペックな男性がいたら誰だって気になる。しかし自分の生活圏であんな男性と関わりを持つなど、あり得ない。北極グマと南極ペンギンが出逢うことがないのと同じくらい、その確率は低いだろう。
職場は子供とその親だし、成瀬のような男性に巡り会う可能性はあるのだろうか―――
夏帆はパチリと目を開けた。
「ないな」
自分で言っといて「ふふふ」と笑ってしまう。多分、酔いが回ってきたせいだ。このまま気持ちよく眠りにつこう。あわよくば成瀬のような素敵なメンズと恋に落ちる夢なんて見ながら。