TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

 『……真帆』


 廃校舎の冷たい床の上。

 全ての記憶を解凍され、直視させられた僕の心は、激しいノイズに塗れて悲鳴を上げていた。

 目の前に立つ血まみれのコートの亡霊の動きが、ピタリと止まる。


『どうして、あんなこと言った』


 バグの隙間から、ナイフがゆっくりとこちらへ向く。


『いなくなればいいって』


 胸が潰れる。

「違う……!」


『僕は、君のために』

『守ってあげたいって』

『言っていたのに』


 キラーが腕を振るう。

 鋭い痛みが走り、僕の頬をナイフが裂いた。血が流れ落ちる。


『君は、僕をいらないって言った』


 違う。違う。違う。

「僕は……私は……っ」


 キラーが一歩、近づく。

『僕は、いなくなった』

『これで満足か』

 血に濡れたナイフの刃が、僕の喉元に迫る。

『君が望んだ通りになった』


 息ができない。

『だから今度は、君がいなくなればいい』

「ああ……ああぁっ……!」


 僕は、私は、なんて滑稽で惨めな偽物なんだ。

 生身の、不器用で優しかった先輩に最低の言葉を投げて死なせ、その罪悪感から逃げるために彼女の皮を被って。それでも完璧に演じ切ることすらできずに孤独死した、ただのクズだ。


「殺して……」


 僕は、血まみれの亡霊を見上げて呟いた。

 これが僕の生み出した罪の意識なら、早くそのナイフで僕の首を掻き切ってくれ。

 もう楽になりたい。こんな空っぽの自分のまま、存在し続けるなんて耐えられない。


 キラーが、バグに塗れたナイフを振り下ろそうとした。

 僕は目を閉じた。


「……逃げろ、Faux」


 血を吐くような、掠れた声がした。

 目を開けると、僕の目の前で限界を迎え、荒い息を吐きながら倒れ伏しているゲストが、僕を見つめていた。


「お前だけでも、生き残れ……!」

「ゲスト……」


 キラーが、動けなくなったゲストを冷たく一瞥し、僕を見下ろして囁いた。


『合理的な判断だ』


 ナイフが、ゆっくりと僕の喉元に突きつけられる。


『逃げればいい』

『見捨てればいい』

『それが、合理的だ』

「Faux!!」

 ゲストの叫び声。


 その瞬間。

 僕の中で、何かがひっくり返った。


(合理的……?)


 頭の中で、冷たい数式が組み上がる。

 ここで逃げれば、生存率が高まる。ゲストを見捨てれば、僕は苦しまなくて済む。キラーとの対峙を回避すれば、過去から逃げられる。


 完璧な最適解だ。

 でも。

 胸が焼けるように痛い。吐き気がする。呼吸が乱れる。


(それは、本当に『合理的』か?)


 記憶の中の先輩の声が、重なる。

『その数式の展開は、根本的な論理が破綻している』


 合理性は、目先の結果だけで決まるものじゃない。

 この先に発生する『後悔』のコストを含めて計算しなければ、その式は破綻だ。

 もし、ここで逃げたら?

 また目の前で、自分を庇ってくれた人が死ぬ。

 また夜に、吐きながら震える。

 また、血の匂いのするコートを着て泣く。

 また、自分を殺して、空っぽのまま死んでいく。


 それは。そんな未来は。


「……見捨てるほうが、非合理だ」


 ピタリ、と。

 僕の喉元に迫っていた亡霊のナイフが、止まった。

 システムに感情を塗り潰され、ただの殺人鬼になり果てていたはずの彼女が、初めて、わずかに揺れた。


 僕は、ガタガタと震える足に力を込め、立ち上がった。

「合理的な判断とは……」


 涙と鼻水で、顔はぐしゃぐしゃだった。

 それでも、僕は右手で、ずり落ちた伊達眼鏡を強く押し上げた。


「後悔を、最小化する選択だ」


 震える左手で、デバイスの画面を叩き割るような勢いでタップする。

「僕は、また後悔するほうが怖い」


 過去を乗り越えられなくたっていい。

 偽物のままでいい。

 この心が病んで腐り落ちるその瞬間まで、僕は、僕の役割を全うする。


『エラーを無視します。Vital Sync、リミッター解除』


 僕の悲痛な意志に呼応し、デバイスが爆発的な緑色の光を放った。

 最大出力の『Vital Sync』が、僕の生命力をごっそりと削り取り、代わりにゲストの全身を暖かな光で包み込む。

 彼の傷が塞がり、失われていた命のデータが限界を超えて充填されていく。


『……! それは非合理だ!!』

 キラーが、怒り狂ったように絶叫した。


「違う!!」

 僕は、初めて、喉が裂けるほどの声で怒鳴り返した。

「これが、僕の最適解だ!!」


 復活したゲストが、弾かれたように立ち上がり、キラーの振り下ろす必殺の一撃を正面から完璧なブロックで受け止めた。

 凄まじい衝撃波が廃校舎を揺らす。重い斬撃が何度も、何度も叩き込まれる。しかし今の彼は、先ほどのようにジリ貧で削られる盾ではない。僕の最大出力の回復が、受けたダメージを瞬時に相殺していく。

 僕とゲストは、反撃することもなく、ただその猛攻に耐え続けた。

 逃げない。過去の亡霊から目を逸らさず、ただ、時間が過ぎるのを耐え忍ぶ。


 永遠にも思えるような、絶望的で痛みに満ちた数秒間。

 そして。


――カーン、カーン、カーン。


 空高くから、試合終了の鐘が鳴り響いた。タイマーが『0:00』を迎えたのだ。

 キラーの振り下ろしたナイフが、空を切る。

 彼女は、試合終了というこの世界の絶対ルールに従い、闇に溶けるように消えかかっていた。


 その、完全に消滅する直前。

 キラーが、僕を見て、最後に一言だけ落とした。


『それでも、僕は君を守りたかった』


 あの日の先輩の静かな声だった。

 僕を許していない。でも、責めきってもいない。

 その曖昧な優しさが、どんなナイフよりも鋭い刃となって、僕の胸を深く、深く抉った。


「……あ」


 転送の光に包まれながら、僕は自嘲気味に笑った。

 何も解決していない。僕は結局、過去から逃げたままだし、一生彼女を思い出すたびに血を吐くような痛みに苛まれるだろう。

 それでも、僕たちは生き残ったのだ。



 光が収まると、そこは暖炉の火がパチパチと爆ぜる、サバイバーハウスのリビングだった。


「おおー、お疲れ! キラーどこにいたんだあ?」

 シェドレツキーがチキンを片手に笑いかけてくる。

「Fauxさん、大丈夫ですか? 紅茶、淹れましょうか」

 エリオットが心配そうにキッチンから顔を出し、僕の前に温かいティーカップを差し出した。


「砂糖、いくつ入れますか?」


 エリオットの問いかけに。

 僕は、一瞬、呼吸が止まった。

 三つ。そう答えようとして、あの溶け残った角砂糖の甘さがフラッシュバックして、喉が完全に詰まった。


「……二つで」


 僕は、初めてその数を変えた。

 エリオットは少し不思議そうな顔をしたが、すぐに砂糖を二つ入れ、スプーンでかき混ぜてくれた。


「……いただきます」


 震える両手でカップを持ち上げ、一口飲む。

 三つから二つに減らしたはずなのに。

 飲んだ瞬間、吐き気がするほど甘すぎて、目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。


「? ……ど、どうした? なんか変な物でも入ってたか?」

「うるさいです、シェドレツキー。僕の……僕の、涙腺のバルブが、少しエラーを起こしているだけで……っ」


 いつもと何も変わらない、ポンコツな日常。

 僕はこれからも、『僕』と言い続けるだろう。

 この伊達眼鏡を外す勇気なんて、一生持てない。過去のトラウマは心に重くのしかかったままで。

 これから毎夜、きっと先輩を思い出すだろう。


「……相変わらず、窮屈そうだな」

 ソファの方から、チャンスがぽつりと呟いた。

 僕は彼の方を見ず、ただ、少しだけ胸を張って答えた。


「……これが、僕の最適解ですから」


 偽物のままで這い蹲る。

 それが、僕という人間の導き出した、無様で哀れな答えだった。



 自分の部屋のベッドの上。

 僕は、形見の丸眼鏡をそっと外し、布で丁寧に磨いた。

 真っ暗な部屋の中で、孤独死したあの日の光景がフラッシュバックして、また身体が震え出す。


 文芸部は守れなかった。

 大好きな先輩も守れなかった。

 その後悔と痛みは、これから先、どれだけ時間が経っても決して消えることはないだろう。

 私は、一生この罪を抱えて、狂った偽物のまま生きていく。


 僕はまだ、先輩を忘れられない。


 けれど――


 それでも、今は。

 この温かい場所で、大好きな仲間たちと一緒に。

 この狂った舞台も、守りたい。

loading

この作品はいかがでしたか?

21

loading
チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚