「これが、悪霊…」
目の前の女は、よくテレビとかで見るような典型的な幽霊だった。だからと言って怖くない訳がない。逃げ出したい気持ちを抑えながら、女から距離をとる。
「…….イ」
「あ?」
「殺″シたィ、呪っテや″ル…オまエモ、皆、殺しテやる″…‼」
濁ったような、気持ちの悪い声がビルの中に響く。神の隙間から覗く目は真っ黒く溶け出していて、爪は赤く染まっていた。
「殺ジたい‼」
「うぉっ!」
女はいきなり音に飛び掛かり、爪の斬撃をぎりぎりで交わす。音はその勢いで壁を蹴り、女に鎌を振りかざした。
「おらァっ‼」
鈍い音がして女の手首が飛ぶ。悪霊の血は、青かった。
「ギャアァァ″アア″ァッ!!!!!!」
女が悲鳴を上げて飛びのく。着地した音は鎌を担ぎなおした。
「くそ、もう少しだったのに…!」
「もう少し?」
俺が首を傾げると、音が教えてくれた。
「悪霊ってのは、右腕に悪い魂が集まってんだ。それを体と切り離すことで成仏できるってわけ」
「へぇ、そうなんだ…」
「ッ!」
女が音に切りかかる。音は鎌で食い止めるが、ぎりぎりの攻防だった。音が顔をゆがめる。
どうする?このままじゃ負けてしまう。俺は悪霊とまともに戦えない。かといってこのまま傍観しているだけでは音がやられる。どうする。どうしたらいい?
『陽詩がアシスタントで、俺が刈り取るって感じだな』
「!」
昨日、音が言っていたことを思い出す。そうだ。アシスト!
辺りを見回し、大きめの石を掴む。女の少し後ろをめがけて勢いよく投げた。
「!」
女が音に気づき、後ろを振り返る。その隙に、音が鎌を振り上げた。
「さんきゅ、なっ!」
ザシュッと鋭い音が響き、右腕が地面に落ちる。女が悲鳴を上げ、煙となって消えた。
「ふー…。一件落着、かな」
「そうみたいだぜ。な、鴉」
鴉が頷き、空へと帰っていく。それを見届けていると、音ががばっと抱き着いてきた。
「うわっ!」
「まっじで助かった!ありがとな、陽詩!」
にっと明るく音が笑う。体温を感じないことが少し寂しかったけれど、勝ったことへの安心感がどっと押し寄せてきた。
「いや、ほとんど音の頑張りでしょ」
「いや、お前もアシスタントだかんな。あー、つっかれたぁ」
「死んでても疲れるんだな」
「そ、痛みも眠気もちゃんとあんだよ。なんか透明人間になった気分」
相槌をうちながらスマホを見ると、時計は15時38分と表示されていた。帰りの電車の時刻は、確か15時46分だった筈…
「やっば、帰りの電車まであと8分しかない!」
「まじ?これ逃したら一時間後しかなかったよな⁉」
慌てて立ち上がり、ビルを急いで後にする。ビルは相変わらずボロボロだったが、どこか澄んだ空気を纏っていた。
―後日―
「昨日の女、上司に殺されたんだってよ」
さわやかな朝、さらっと音が物騒なことを呟き、コーヒーを吹き出しそうになる。隣に座っていた音が笑った。
「いきなりそんな話するなよ…」
「ごめんごめん、昨日神様が教えてくれたんだよ」
音の話によると、後輩が自分と同じ人を好きになったと知った上司が刺殺して、それを隠蔽していたという惨忍な事件の被害者があの女だったらしい。調べてみると、7年前にそのことが発覚して会社は潰れ、その上司は無期懲役となっていた。なぜ死刑にならなかったのかは不明だが、それが気に入らなかったために悪霊となってしまったのだろうということだった。
「他人を殺してまでの恋愛感情って、よくわかんねーよな」
音が頭の後ろで手を組む。俺は少し考えた後、音の唇にキスをした。
「⁉な、いきなりっ」
「俺はあるけど、そーいう感情」
「~~っ」
「お、幽霊でも赤くなるんだ」
「う、うるさい‼」
音がそっぽをむく。そんなところも可愛い。俺は逃がさないように、体温のないそのからだを抱きしめた。
「たとえ幽霊になったとしても、どんな危険に晒されたとしても、君を一生離すつもりはないよ」