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思えば、ろくな小学校時代ではありませんでした。
昔は、自己中で馬鹿だったので友達もろくにいなかったし、コロナも流行ったし、性別にも悩んだし、持病も悪化したし、普通ならしなくてもいいこともたくさん抱えて踏ん張って生きた6年間でした。
そんなぼくも、桜舞い散るなか無事に卒業しました。
服も母に頼み込んでメンズのスーツにしてもらいました。
教室に入るなり、友達に絶賛されたのはすごくいい思い出です。
式も、ベテランの基本的に卒業式では泣かないような担任の先生もすごく泣いていて、自分まで泣きそうになったのを覚えています。
ぼくの学校は、式が無事に終わってみんなで外に出た時、両親が待っていてそこで自分の携帯を受け取ってみんなで写真を取って良いところでした。
ぼくはその時、両親と写真を一枚も撮りませんでした。
その時母に対して、気持ち悪いという感情を持っていました。
兄は褒められるのに、自分の努力を見てもらえないこと。他の兄弟ばかりを優先させるところ。自分の子供の好きを認めないこと。意味の分からないセクシャルマイノリティに対しての偏見。母という1人の女性のすべてが気持ち悪くて。
一時期、母とは、話すどころか、目を合わすでさえできなくなっていました。
思春期というのもあるかもしれないけれど、ぼくは母と写真を撮りたくなかったんです。
後悔していないといえば少し嘘になるけれど、ぼくたちは卒業したんです。
卒業したらもう頻繁には会えない子も、もうそれきり会えない子もいました。
一歩でも外に出たらもう部外者です。
親とより、家よりも自分の居場所だと思えた大好きな場所で思い出を作りたかった。
その日、母はずっと不機嫌でした。原因はぼくですが、心の底から湧き出してきているのがわかる母の言葉が悲しくて、ぼくは卒業式の日、悲しくて泣きました。
今になって、一分にも満たない時間、ちょっとぐらい写真をとっても良かったんじゃないかと思います。
でもその時それができないぐらい母のことを恨み、嫌っていました。
こんな事があっても、卒業式の日のことは、大切で温かい思い出です。
これからも辛いことなんて、数えきれないぐらいある。制服ものこともこれから解決していかなくてはいけない。未来なんて誰にもわからない。生きているのかだってわからない。それでも、俺なら大丈夫。ここまで頑張ってきたから。俺ならできる。
そんな事を思いながら、ぼくは校門をくぐり最後の下校をして小学校生活を終えました。
ろくな小学校生活ではなかったけど、ずっと、きっと一生忘れない大切な思い出です。
今日、ぼくの学校の隣の高校が卒業式だったので、ふと思い出して改めていい思い出だなと思いました。
一緒に最後の下校をしたのは、今の好きな人です。
読んでくださった卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。皆さんのこれからの人生があなたと、あなたの大切な人の笑顔のあふれるものになりますように。ぼくたちはきっと幸せになれます。
火那。