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その日、Ifは限界だった。
客のひとりが初兎の腰に触れたという報告を受けた瞬間、理性の紐が切れた。
深夜の控室。初兎が着替える前、Ifは怒りを隠すことなくドアを開け放った。
「初兎」
「……まろちゃん? どうしたの? 今、着替え――」
「なあ……なんで、何も言わなかった」
「え?」
「触られたんだろ。腰……あいつに。なんで、笑ってやり過ごしてんだよ」
「……それは、仕事だから。変に騒いだらお店にも迷惑かけちゃうし」
「違うだろ……お前が俺のものだって、はっきり見せつけときゃ、誰も触れやしないんだよッ」
Ifの声が、怒鳴りに近かった。
その瞬間、初兎の目に一瞬だけ、はっきりとした“恐怖”がよぎった。
「……まろ、ちゃん……?」
目を見開いたまま、後ずさる初兎。
Ifはその表情を見た瞬間、自分の中で何かが崩れた。
(やった……やっちまった。初兎を……俺が、怖がらせた)
「……ごめん、俺……違う、違うんだ」
けれど初兎は何も言わず、控えめにうつむいて言った。
「ごめんね……僕、今日はもう帰るね」
部屋の静寂が痛かった。
それから丸一日、Ifは初兎に連絡できなかった。
何度もメッセージを打っては消し、電話を手に取っては下ろす。
(謝らなきゃ。でも、怖がらせた俺が、何を言っても……)
けれど、待っているだけじゃだめだと気づいたIfは、直接初兎の自宅へ向かった。
ピンポン、と鳴るチャイム。
しばらくして、ドア越しに声がした。
「……まろちゃん?」
「初兎、ごめん。本当に、ごめん。怒鳴るつもりなんてなかった。お前を守りたくて、ただ……でも、間違えた。俺がいちばん、お前を傷つけた」
静寂。
ドアがゆっくり開いた。目の下にクマを浮かべた初兎が、まっすぐ彼を見た。
「僕さ、まろちゃんに怒られるのは、嫌じゃないよ」
「……初兎」
「でも……怖かった。あんな声、聞いたの初めてだったから。僕のこと、大事に思ってるのはわかってるけど……言葉って、ナイフになるんだよ?」
Ifは無言でうなずく。
「……俺の全部で、償わせてくれないか」
「……今日だけ、僕がちょっとワガママでもいい?」
「なんでも言って」
初兎は小さく目を伏せ、震える声で言った。
「怖くないって、ぎゅってしながら、何回も言って……信じさせて」
「わかった。何度でも、何度でも言う」
Ifは優しく初兎を抱きしめた。ぎゅっと強く。でも、今度は“守るため”だけに。
耳元で、優しい声が何度も囁く。
「怖くない。俺はもう、お前を怖がらせたりしない」
「……うん」
そうして初兎は、胸の中でようやく涙を落とした。
それは怒りでも、不安でもなく――“また好きになってもいい”と許した、心の涙だった。