「自由になりたい。」
そう言って青い海に飛び込んだ女の子が居た。
2020年。
町外れの海と山に囲まれた二階建ての家に住んでいる儚華(むか)。二階の部屋の窓からは広大な海が見えた。その部屋には儚華の他にも、咲希(さき)という女の子が暮らしている。父は数年前に他界していて、母は一応居るが、仕事を理由にほとんど家には居ない。咲希は15歳で、成績は学年トップ。生徒会にも入っていて、優秀な子。年明けには有名な高校の受験を控えているそうだ。
儚華は、咲希が言うままに生きてきた。まず、いつも決まった時間にご飯を食べる。咲希は自由に食べているのに。いくらその時食欲が無くても、決まった時間にご飯は用意されるし、拒否しようがない。その上、最低限のご飯しか用意されない。咲希の分は豪華にあるのに。料理も毎日同じだ。まるで儚華が生きてればそれでいいと思っているかのように。儚華が体調を悪そうにしていても、咲希は見ているだけ。そんな、生きるのも精一杯な環境で儚華は育った。「自由」の意味すら知らずに。
でもおかしなことに、いつも咲希は儚華に、優しい声で話しかけてくれる。儚華はそれが不思議でたまらなかった。咲希が家に友達を連れてきた時もそうだ。友達もいつも、優しく声をかけてくる。その時の咲希と友達との会話を聞いて、儚華は急に羨ましくなった。それは、あまりにも楽しそうだったからだ。なぜ咲希は私に酷い扱いをしているのに儚華の方が苦しまなければいけないんだろうか。咲希はとても楽しそうだ。私と違って。
でも儚華には、どうすることも出来なかった。ただ、羨ましがることしか。
2021年3月。
咲希にとって大切な日。受験の合格発表の日だ。咲希は「310」と書かれた紙を握りしめ、第1志望の高校へ向かった。
「302」、「305」、「306」、
咲希は合格、不合格を早く見たい気持ちと、見たくない気持ち、両方に押しつぶされるまま書かれている番号を読んでいった。
「309」、「310」___。
「あった!」
咲希は今までにないくらい喜んで、校舎を見上げた。
2021年5月。
咲希が高校に通い始めて1ヶ月が経った。この頃少し様子がおかしい。
「こんなはずじゃ…こんなはずじゃない。」
そう呟きながら儚華の居る部屋に帰ってきた。そのうち咲希はものに当たるようになり、儚華までにも危険が及ぶようになった。儚華の居場所は、無くなってしまった。
それからしばらくたったある日、咲希が学校に行き、儚華はふと思った。
「ここを飛び出せたら、どれだけ楽だろう。」
それと同時に、儚華のすぐ隣にあった、海の見える窓が少し空いているのに気がついた。
「自由になりたい。」
儚華にはもうその気持ちしか無かった。窓が偶然空いていることに儚華は一筋の希望を覚え、輝いて見えた窓の向こうの空気、空、そして海を、惹き込まれるようにじっと眺めていた。
そして儚華は、青く澄んだ海に飛び込んだ。
その頃咲希は、学校でいじめを受けていたそうだ。入学した時から今日までずっと続いていたらしく、毎日酷くなるばかりでこの日はいつになく辛かった。
「こんなに頑張って入った学校が…こんなはずじゃない、」
いつしかそれは咲希の口癖になっていた。
もう教室に足は向かなくなり、トイレにこもる数時間。誰も様子を伺いに来ないことを、咲希は納得してしまった。
「私、この学校、この世に必要とされてない存在なんだ…空気なんだ。」
咲希にとって空気は、時間を共に過ごす唯一の友達になった。咲希はその空気に連れられ、自然と屋上に足を運ぶ。不思議と、教室に行くよりも足が何倍も軽く動いた。それで咲希は確信した。
「私にもっと合う世界がどこかにあるんだよ。導いているんだよ、私を。」
もう足は止まらなかった。止めようともしなかった。
空気は風となって、咲希を送り出した。黒くて硬い海へ。
____儚華…!
咲希はおちている途中に、急に我に返り叫んだ。
「儚華は!私にとって、影でいつも見守ってくれた1番の家族なの!儚華にはあんな狭い水槽で死んで欲しくなかった…せめて、解放して自由にさせてあげたかった…ごめんね…天国で自由に暮らすんだよ…」
走馬灯のように感情が込み上げてくる。その思いも儚く散って、咲希は赤い華となった。
2021年6月。
「自由にさせてあげたかった…」
そう思いながら黒い海に飛び込んだ女の子が居た。
大丈夫、儚華は今、青い海で自由にやっているよ。
__終__
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