「へえ。胸は意外と小ぶりなんだね。もしかしてパットとか入れて、誤魔化してる系?」
新垣は放送室の回転椅子に座りながら、上半身裸になり、細い両腕で胸を隠して立っている前園を見上げた。
「でもこんな常夜灯の中でもわかるほどの白い肌なのは、結構クるね」
ひじ掛けに腕を置き、偉そうに足を組む。
「じゃあ、腕外してみよっか。前園さん?」
「………!」
前園が唇を噛みながら、新垣を睨む。
「さっさとしろよ!前園!」
護衛として入り口付近に立たされている大城が、ちらちらと振り返りながら鼻息を荒くする。
「―――」
前園はヒッと音がするほど息を吸い込むと。意を決したように両腕を下ろした。
「ヒュウッ♪」
新垣が高い音で口笛を吹き、
「おぉ!……ピンク……!」
大城がだらしなく口の端から涎を垂らす。
「……ッ!……うっ……ッ!」
前園の右の目尻から涙がこぼれ落ちると同時に、左目の目頭から大粒の涙が放送室のじゅうたんに落下した。
「……前園さあ、何か勘違いしてるのかもしれないけど」
新垣は勿体つけるように立ち上がると、一歩彼女のに寄り、その小さな顔をのぞき込んだ。
「俺、別に無理やり頼んでるんじゃないよ。もし前園がしたいなら、って話。わかる?」
「……ッ」
前園は負けんとするように唇を噛みしめ、皺を寄せた顎を精一杯新垣に突き出した。
「じゃあ次は―――」
新垣は少し頭を傾げながら、目を見開いて微笑んだ。
「下も脱いでみよっか」
そのとき、廊下から防音のはずの扉をつんざくような声が聞こえてきた。
『救助に来ました~!皆さん、大丈夫ですか~!?』
「救助……?」
その声に3人は一瞬静止した。
『怪我人を処置しま~す!』
「……やった!」
反応したのは前園だった。
脱ぎ捨てた下着とシャツを拾い集め雑に身に着けると、廊下に出ようと駆け出した。
「おいおいおいおい、待てって」
新垣は彼女を捕まえようと後ろから抱きかかえた。
「……!離して!!」
「ぐっ!」
前園は渾身の力を込めて新垣の顔面に肘を打ち込み、彼が怯んだすきに身を翻してその腕を逃れると、放送室の扉を開け放った。
「救助だって!?」
「やったぁあああ!」
隣の校長室からも、その声を聞きつけた生徒たちが出てくる。
サッカー部で足が速い井上と関がいち早く走り出した。
駆け寄っていく生徒たちの向こう側から、白衣を着た医師と思しき男が走ってくる。
「助かったぁ……!」
「おーい!!」
井上も関も、いつもは女子相手にかっこつけているくせに、今にも泣きそうな情けない声を出している。
「ははっ!」
前園は目に涙を浮かべたまま、彼らに続いて走り出した。
『今行きますからね~!!』
医師は足の速い彼らと同じ勢いでこちらに近づいてくる。
なぜ一人?
なぜ白衣?
そんなことは思わなかった。
救助に来てくれた。
自分たちは助かったのだ。
それしか頭になかった。
だから―――。
その医師の目が白っぽい灰色をしていても、
光る大きなメスを握っていても、
白衣に誰かの返り血が飛び散っていても、
気づけなかった。
全ての異常性に―――。
『どいてくださ~い!!』
医師の声が響き渡った瞬間、先頭を走っていた井上の四肢が八方に飛んだ。
『爆傷患者がいるんです~!今すぐ救わなければ~!』
「……え?」
ドクン。
自分の鼓動が、なぜか耳のすぐ横で聞こえた気がした。
足を止めた前園の目の前に、井上の後ろを走っていた関の顔が飛んだ。
「あ……」
ドクン。
ドクン……。
全てがスローモーションに見える。
すごい勢いで突進してくる医師も、
雨のように血飛沫を飛ばしながら落下する井上の四肢も、
噴水のように関の首の断面から噴き上げる鮮血も、
「…ぃ…ぃ…い…い…や…あ…あ…あ…ぁ…ぁ…ぁ!!」
誰かの悲鳴も、
『…ど…ぅ…お…い…と…ぇ…く…ど…わ…さ…ぁ……い』
医師の声までゆっくり聞こえる。
2人の血に染まった真っ赤な白衣が前園の目の前に迫った。
―――私……死ぬの……?
************
「かわいい子ね」
どこに行っても、誰に会ってもそう言われた。
大人というものは、子供を見れば皆がそう褒める生き物だと思っていたのが、どうやら違うらしいと気づいたのは小学校に上がったばかりの6歳の時だった。
「将来は歌手か女優さんね」
「子供タレントに応募してみたら?」
授業参観、マラソン大会、運動会。
大人が集まるところでは、必ずと言っていいほど前園の話題になった。
学芸会で演目が白雪姫に決まると、立候補しなくても盤上一致で前園が主役に抜擢された。
「本当に美人だよね~」
美貌が羨望を生み、
「ええ?騒ぐでもなくない?」
羨望が嫉妬を生んだ。
「あいつらの言うことなんか気にすんなよ」
クラス中の女子に嫌われようと、クラスの大半の男子は前園に優しかった。
「別に意地悪してたわけじゃないし~。ただ話しかけ辛い雰囲気あっただけでー」
だから結局は女子も敗北を認め、前園に降伏せざるを得なかった。
「前園さんってファンデーションなに使ってるの?」
前園にとって女子は平伏するもの。
「俺、前から前園のこと気になっててさ……」
前園にとって男子は跪くもの。
その常識を壊したのが、
「うるせーよ、お前」
唯一、自分に靡かなかった男、渡慶次雅斗だった。
彼はいつも前園をうんざりしたような顔で見つめ、迷惑そうに話を聞いた。
だから前園は、自分を見ていない横顔に、自分を映していない瞳に、恋をした。
優しくされたことなど一度もない。
この世でただ一人、自分に関心を持たない男子。
だから彼はここにはいない。
だから彼はここには来ない。
助けてほしいとは言わない。
でも最後にもう一度、
――会いたかったな……。
得体のしれない医師の手に握られた、やけに大きな銀色のメスが光る。
前園は目を瞑った。
「――!?」
そのとき、後ろから誰かの右腕が回り、前園を抱き寄せた。
「先生」
背中から震動と共に低い声が響いた。
「病室をお間違えですよ」
肩越しに振り返る。
「……!!」
自分を後ろから抱き寄せていたのは、
口元に笑いを讃えた、新垣だった。
『間違いありませ~ん!私は放送室で爆発が起こったと聞いてやってきたのですから~』
医者がぶんぶんとメスを振り回しながら黒目のない目で新垣を睨む。
「えっ、放送室!?」
しかし彼は動じない。
前園を抱き寄せたままわざとらしく驚いたふりをして医者を見上げる。
「やはりお間違えのようだ」
『???』
「ここは違いますよ」
新垣が親指を立て後ろを指さす。
医者と共に前園も振り返った。
放送室と書かれていたプレートに紙が貼ってある。
「……あれは」
書かれたその文字を見て、前園は目を見開いた。
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