「いやあああああ!!」
渡慶次が階段に差し掛かったところで、2階の廊下から悲鳴が響き渡った。
十中八九、放送室に向かった医者がクラスメイトたちに襲い掛かったのだろう。
――急げ……!
皆を助けるためにではない。
新垣が医者をどうするのか。
その攻略法を見るためだ。
そのためにはクラスメイト達が何人犠牲になろうが構わない。
「!?」
階段に足を掛けたそのとき、踊り場で折り返した上の方から物音が聞こえた。
慌てて手すりにつかまりしゃがみ込む。
『――もう勘弁してホシいよ、全くゥ』
カチャカチャと何かを弄る音に加えて、鼻にかかる独特の声が聞こえてくる。
―――この声は……ピエロ?
そうか。
上間が1階に来る途中で水をかけたピエロが踊り場の先でメイク直しをしているらしい。
それならここは使えない。
西側の階段を使うしかない。
できるだけ音がしないように渡慶次は1階の廊下を駆け抜けた。
女教師は3階の特別室。
ピエロは東側の踊り場の先。
ドクターは2階。
大丈夫だ。
ドクターにさえ気を付ければ鉢合わせはないはず。
西側の階段に到着すると、渡慶次は駆け上がるべく階段に足を掛けた。
「ん……!?」
しかしすぐにやめて階段下のスペースにしゃがみ込んだ。
『ぉかしぃわねぇ』
――今度は女教師かよ……!
聞こえるのは確かに女教師の声だった。
『校長先生たら、ぃくら待ってもこなぃんだもの』
声に加え、カツンカツンと階段を下りてくるハイヒールの音も聞こえてくる。
『校内を探してみよぅかしら』
――マズい……!
渡慶次は足音を立てないように階段下から抜け出すと、すぐ隣の1年6組の教室に入った。
「…………」
ドアのガラスから見えないように
角度を調整して後退しながら、口を押え息を殺す。
――くそ……。早く放送室に向かいたいのに……!
カツンカツンカツンカツン……。
足音が確実に近づいてくる。
カツ…カツ…カツ…カツ……。
音が変わった。階段を降り切ったのだ。
――来る……!
渡慶次はまた数歩ドアから後退した。
と、靴下が粘液質のものを踏みヌルッと滑りそのまま尻餅をつく形で後ろにひっくり返った。
――な……なんだ?
驚いて振り返るとそこには、濃いキャラメルのような液体が茶色の水溜まりを作っていた。
「……?」
その液体を目で追っていくとそこには、性別も年齢もわからない、着衣か裸かもわからない、ドロドロに溶けた何かが倒れていた。
「!!」
鼻をつくむせかえるような酸っぱい匂い。
赤黒いとも茶色いとも形容しにくい色のそれは、光を失った瞳を左右に開き、絶命しているようだった。
――これも敵キャラか……?。まるで……ゾンビみたいな……。
その時ガラリと派手な音を立てて、1年6組のドアが開け放たれた。
「……あ」
隠れることもできず、渡慶次は倒れたままソレを見上げた。
『ぁら。今は授業中でしヨ?』
女教師はこちらを見下ろすと、
『こんなトころでさぼッて……ぉしぉきガ必要ね』
彼女は指し棒を伸ばしながらニヤリと笑った。
◆◆◆◆
『そんな……!!』
医者は上間の脇を通りプレートに書かれた文字を読むと、白い目から涙を流し始めた。
『私は……私は……!また救えなかったので~す……』
そう言いながら両手で顔を覆う。
そしてカクンと頭を落としながら、とぼとぼと歩き始めた。
「ひいっ」
「……ぅああッ」
生徒たちが避けるのもお構いなしで、医者はそのまま肩を落として視聴覚室の方へと歩いて行ってしまった。
彼を見送ると、皆は安堵のため息をつきながら、改めて放送室のプレートを見上げた。
「はは。なるほどね……」
大城が力なく笑う。
「そう。3番目のキャラクター=ドクターの攻略法は、この部屋には入れない、だ」
新垣は前園を後ろから抱き締めたまま低く笑いを返した。
「…………」
医師という命を背負った責任感がそうさせるのか。
それともこのゲーム制作者の意図なのだろうか。
前園はその紙に雑に書かれた『霊安室』という字を見て、小さく息を飲んだ。
◇◇◇◇
全員が放送室に戻ると、新垣はプレートに貼っていた紙を、扉の内側に貼り直しながら皆を振り返った。
「結局、残ったのはこれだけか」
前園と新垣と大城が放送室に閉じこもっている間に、随分と生徒が散ってしまったらしい。
喜瀬や山口、遠藤に木村、そうだ平良もいない。
残ったのは、前園、新垣に大城、3嶺トリオ、それにバレー部の藤原茜と学級委員の五十嵐律子、それに女子の中では一番大柄な岩崎紀子の9人だけだった。
「男子の大半はあっちにいるとみてもいいかな。ま、今の時点で生き残ってるかどうかは半数も怪しいほどだけど」
新垣はその現状を楽しむかのように口の端を上げると、フフッとわらった。
「今からでも遅くないよ。渡慶次に寝返りたいという奴は止めないからどうぞ。あいつなら他の誰を犠牲にしようが生き残ってるんだろうから」
新垣は口の端を歪めながら言った。
「でも、わかってるでしょ。この世界では俺の言うこと聞くしかないの。じゃないとキミたちもあっという間に井上と関の二の舞になるぞ」
「…………」
彼らの飛び散った四肢を思い出したみんなは、眉間に皺を寄せながら俯いた。
「っていうか……」
口を開いたのは3嶺トリオの赤嶺だった。
「あれで効果あるの?廊下から見えないと意味ないんじゃないの?」
そう言いながら扉の内側に貼られた「霊安室」の張り紙を指さす。
「効果はあったよ。っていっても10年前のゲームでは、だけどね。まあ、どっちにしろ……」
新垣は先ほど前園の肘打ちで切ったらしい唇を舐めながら言った。
「俺はドクターが乗り込んでくるリスクより、渡慶次にこの攻略法がバレないっていう安牌をとる」
「…………」
前園はその迷いのない彼の顔を見つめた。
この人も同じだ。
この人も、自分に興味ない。
彼が見つめているのはただ一人、
渡慶次雅斗だけ――。
「ピエロは水で撃退。ドクターは入れない。あとはティーチャーか。時間が経つとまた徘徊しはじめるから」
新垣は独り言のように言うと、放送の電源を入れた。
『橘先生、橘先生、校長先生がお呼びです。至急、2階視聴覚室まで来てください』
新垣はそう言うと、大城を振り返った。
「大城。お前は扉の外で見張りだ。ピエロが来たら水をかけ、ティーチャーが視聴覚室から出るのが見えたら教えろ」
「なんで俺がそんなこと……!」
大城があからさまに不服そうな顔をすると、
「恩恵を授かりたいんだろ?童貞が……!」
新垣がそう言い、大城は悔しそうに唇を噛んだ。
「な?後でいい思いさせてやるからさ」
新垣は大城に近づくと、その肩に腕を置きながら、外に誘導した。
「何あれ。最低……!」
女子の学級委員である五十嵐が彼らに聞こえないように毒づく。
「隙を見て逃げだそう?そのときは声かけるから」
耳打ちされた前園は、戻ってきた新垣を見つめた。
右手が自然と胸の前で握られる。
先ほど他でもない新垣に小ぶりだとなじられた胸は、確かに彼を見て熱くなっていた。
◆◆◆◆
ピンポンパンポーン。
渡慶次はスピーカーを見上げた。
『橘先生、橘先生、校長先生がお呼びです』
先ほどはわからなかったが、今ならはっきりわかる。
この声は、新垣の声だ。
――新垣?なんで……!?
『至急、2階視聴覚室まで来てください』
しかも視聴覚室。
放送室と同じ階だ。
『なんダぁ、視聴覚室だッたノかぁ!』
女教師は両手をぱちんと合わせると、長い髪の毛を後ろで一本に結わえた。
『急がナくッちゃ!』
彼女はいそいそと1年6組を出て行った。
「……は……はアッ……はあっ」
女教師の足音が教室から近い西側の階段を駆け上る音に変わるまで待ってから、渡慶次は呼吸を再開した。
そして視線は自然と自分の脇に横たわる得体のしれない物体に戻り、激しく呼吸を再開した鼻に残ったその匂いにその場で嘔吐した。
「なんだこの生き物は―――」
ドロドロに溶けた体は、よく見ると後頭部の真ん中がへこみ、左の腰が抉れている。
誰かが攻撃した――?
そして倒した……?
一体だれが……。
「ん?なんだ……?」
何かが落ちている。
渡慶次は鼻をつまみながら、その屍体の脇にあった水色のそれを拾い上げた。
――これは……。
「パンツ?」
渡慶次の手にあったそれは、中央に青いリボンのついた、水色の女性用ショーツだった。
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