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姉・フィナンシェの見合いはいつもと同じく和やかに始まったようだった。
いつもながら、温室の中の会話はショコラたちには一切聞こえない。だからこれまでずっと、その場の空気や雰囲気、姉と相手の表情などから見合いの具合を推測して来たのだ。
ショコラは、この日の相手であるヴェネディクティン伯爵を観察した。それから慎重に口を開いた。
「……伯爵様って、なんだか…その……。」
珍しく言い淀むショコラ……。そんな彼女の隣で、ミエルが核心を突いた。
「――…“地味”、で、ございますか?」
ショコラは慌てた。……さすがに、伯爵様を指して「地味」と言い切るのには気が引ける……。
だらだらと脂汗を掻きながら取り繕った。
「そ、そうね…。ほら、これまでいらっしゃった方々は、みんな華のある方ばかりだったから……」
「それはそうでございましょうね。貴族としての元々のものもあるのでしょうけど、何と言ってもフィナンシェお嬢様とのお見合いですよ?それは身支度にも気合いが入ったでしょうから。」
ミエルにそう返されては笑うしかないショコラだったが、それも仕方のない事だった。
この日の装いは一先ず置いておくとして、ヴェネディクティン伯爵は決して目立つような外見の人物では無かった。落ち着いた髪型に眼鏡、一見すると主人というよりも使用人。「執事」だと言われた方が余程しっくりと来るような見た目だ。
「でも、なんだか、良いと思うわ!私だって他人様の事は言えないものね。親近感が湧いたわ!それに見て。あの方、変に浮ついたところが無いの。お姉様の前で、あんなに冷静でいられる方がいらっしゃるのね……。」
「確かにそうですね。初めて見たかもしれませんわ。」
今までの見合い相手たちは皆、終始上気してあたふたとしていた。つまり、見るからに緊張していたのである。微笑ましいと言えばそうなのだが……この頃は少々、それは見飽きた光景になりつつあった。
そんなショコラたちの一方、見合いの席ではフィナンシェが得意の作り笑顔をして愛想良く会話を交わしていた。この技は、父・ガナシュの仕事に付き合う時に使うものだ。
フィナンシェはショコラたち家族を含む屋敷の人間以外には基本、不機嫌な表情をしている事が多い。そのため、“その技”の効果は抜群だ。会話の主導権は毎度、そうして彼女に握られていたのである。
この日も、いつものようにフィナンシェが先手を打つ。
「伯爵様とお見合いをさせて頂くのは、初めてですわ。」
「でしょうね。」
一言そう返すと、伯爵はお茶に口を付ける。フィナンシェは笑顔のままピクリと一瞬固まった。
しかしそんな彼女に慌てる事も無く、伯爵はさっさと本題に入った。
「――あまり、無駄な会話を長々としても意味は無いでしょう。単刀直入にお伺いします。なぜ今までの縁談を全てお断りなさったのですか?」
周りでそれを聞いていた付添人たちは、『これは面接か何かだっただろうか……』と思った。
他方、それを言われた当人であるフィナンシェは、自分との会話を「無駄な」と言われる日が来ようとは、生まれてこの方一度たりとも思った事は無かった。固まった表情で、その言葉を呑み込むのにはいくらかの時間が必要だった。――が、すぐにまた笑顔に戻った。
「……良いご縁が無かったのですわ。」
「そうですか。では、貴女はどういった男性がお好みなのですか?」
これは見合いの会話として、おかしなものでは無いはずなのだが……。何とも事務的というか、男女間の会話という雰囲気ではない。
「そう…ですわね。……わたくしを怒らせない方、かしら。」
そう答えるフィナンシェの顔は笑っていた。が、その瞳の奥はどこか挑戦的に光っている。見合いの場には、甘いどころか早くも殺伐とした空気が流れていた。
その空気の変化は、離れた場所にいたショコラたちにも伝わった。
「……どうしたのかしら…。様子がおかしいわ。」
戸惑ったようにショコラは呟いた。
硝子の向こうでは、ヴェネディクティン伯爵がはじめと変わりの無い様子で淡々と話を続けている。
「貴女を怒らせない方、ですか。今までの方々は皆、そうだったのでは?」
「ええ、そうでしたわね。でも、それだけでは決め手にはならないでしょう。」
「と、おっしゃいますと?」
「相手に不足があったという事ですわ。」
フィナンシェの返答を聞き、伯爵は「うーん」と考え込んだ。
「それは解せませんね。貴女の前に通された方々は、公爵様が直々に選ばれたこれ以上ないという立派な方ばかりでしたよ。中身もさる事ながら、外見上でもね。」
「……ずいぶんと、お詳しいのね。」
「貴女の事は、別に調べずともすぐに情報が回って来ますから。」
伯爵はお茶の香りを楽しむ余裕を見せながら、口元に笑みを浮かべていた。だが、フィナンシェからは笑みが消えつつあった。
彼は畳み掛ける。
「これ以上、一体何がお望みなのですか?」
「何をおっしゃりたいのかしら。」
わざと煽るような伯爵の言い方に、フィナンシェの笑みは完全に引いていた。
伯爵は真剣な眼差しで彼女を見据えた。
「貴女は、ご自分の立場をきちんとご理解なさっているのか、という事ですよ。」
――バンッッ!!
フィナンシェは両手で勢いよくテーブルを叩くと立ち上がった。
「不愉快だわ。これで失礼。」
ブルブルと震わせた低い声でそうとだけ言うと、彼女はこの場を立ち去ろうとした。しかし伯爵がその前に立ち塞がった。
フィナンシェはキッと彼を睨み付けた。
「邪魔よ。お退きなさい。」
「話はまだ終わっていません。」
「終わっていない⁉こんなもの、破談に決まっているでしょう??まだ続けるだなんて、それこそ“無駄”ですわ!!」
なおも鋭く睨み付けるフィナンシェだが、伯爵の方も一歩も引かない。彼はファリヌの方に目を向けた。
「君、フィナンシェ嬢を席にお戻しして。」
「かしこまりました。さあお嬢様、お席の方へ…」
伯爵の指示でフィナンシェをもう一度座らせようとしたファリヌの手を、彼女は激しく振り払った。そして大声を上げた。
「触らないで無礼者!私は邸宅へ戻るのよ‼」
フィナンシェは相当気が立っている。ここまでのものは、ファリヌや侍女たちも初めて見る姿だ。もちろん、遠くで見ているショコラでさえもである。
「フィナンシェお嬢様。お気持ちはお察しいたしますが、せめて最後まで我慢なさってください。」
そう言われると、彼女は今度はファリヌの方を睨み付けた。物凄い迫力だが、父の従僕は怯まない。それで仕方なく無言で席へと戻ると、ドカッと荒々しく椅子に座り両腕と足を組んだ。その様は、良家の令嬢が何だ、礼儀や作法などもはや知ったものか、という態度である。
これはもう、完全に「見合い」と呼べるものではなくなっていた。まるで戦争だ。
会話の内容が分からないショコラたちには、何が起こっているのか全く分からない。ただ、何か異常な事態が起きているという事だけが理解出来た。
フィナンシェは自分を落ち着かせるために、一つ息を吐いた。そして攻勢に出た。
「貴方はここへ、一体何をなさいにいらしたの?お説教かしら?」
「もちろん、貴女との見合いに。ですよ。」
「見合い…。でしたら、わたくしに気に入られなければなりませんわよね。これで上手く行くとお思い?」
不敵な笑みを浮かべるフィナンシェだったが、伯爵も負けてはいない。
「政略結婚において、それはさほど重要ではありません。貴女が私との縁談を断るのなら、私を納得させるだけの説明をなさってください。」
「貴方の事が気に入りません。」
「今言ったでしょう。それは市井の人間に許される理屈だと。」
何を言っても冷静に返される……。相手の方が一枚も二枚も上手だと分かる。フィナンシェは唇を噛んだ。
伯爵はそんな彼女を諭すように言った。
「まだ分からないのですか?貴女にはもう、あまり選択肢が残されていないのですよ。明確な事情がおありでないなら、私と結婚なさい。」
……そうだった、とフィナンシェは思った。
自分と婚姻を結ぶという事は、“絶世の美女”を妻にすると共に『公爵』という貴族の最高峰の地位を得るという、この上なく自尊心を満たしてくれる事なのだ。今までの者たちもこの男も、みな同じ。偉そうに講釈を垂れながらも、本心はそんなところにあるのだ……
彼女は力が抜けたように鼻で笑った。
「フッ……。そうまでして、オードゥヴィ公爵位が欲しいのね。」
その一言に、それまでずっと平静を保っていた伯爵が初めてポカンとした。
――ショコラとミエルは、「自分たちは一体何を見ているのか」という気になって来たが、目が離せなくなっていた。
すると、伯爵が何かを言っている。次の瞬間――
「はあ!?」
という、ここまでも聞こえて来るほどの声を上げてフィナンシェがまた立ち上がった。
「ど、どうしましょうショコラお嬢様…一体、何がどうなっているんでしょう⁇」
「…大丈夫よ。中にはファリヌたちがいるのだし、何かあれば対応してくれるはずよ。もう少し、見守りましょう……」
――…とはいえ、青くなっているミエルの隣で、ショコラも少し不安になった。
中では、さっきのように立ち去ろうとはしないものの、フィナンシェはまたも伯爵に食ってかかる勢いで反論している。
それに対し、伯爵は冷静に諭しているようだ。
すると、今度は言葉までは聞き取れないのだが、またフィナンシェが大きな声で何かを叫ぶ。そしてついには泣き始めてしまった。
「ああ、フィナンシェお嬢様がお泣きに……」
ミエルはオロオロとしている。……しかし、ショコラはいつしかその場の光景にくぎ付けになっていた。
「……あの方、凄いわ……。あのお姉様にあそこまで感情を露わにさせるだなんて……。私だって、あんなに激しく変わるお姉様を見た事が無いのに。それも、分かってなさっているみたい。そんな方がいらっしゃるだなんて……‼」
ショコラは伯爵という人間に興味津々になっていた。最愛の姉が泣かされているというのに、不思議と嫌悪感を感じない……。
そして、その場をじっと見詰めていた彼女は、突然スッと立ち上がった。
「ショコラお嬢様??どうなさいました?」
「もう戻りましょう。このお見合いは、どう見ても上手く行かないわ。それよりも、早く戻ってお姉様をお慰めするための準備をしましょう!きっとお疲れになっているでしょうから。」
「そうですね……。」
そうしてショコラたちは、温室を後にしたのだった。
「あら、戻ったのねショコラ。という事は、フィナンシェもそろそろかしら?」
邸宅の中に戻ると、リビングでは父と母が姉の見合いが終わるのを待っていた。ショコラの「見守り」は、屋敷内では周知の事実である。
「うーん、どうかしら…。私たちは少し早めに戻って来ましたから……」
「なんだ、最後まで見て来なかったのかい?珍しいね。」
「今日は、いつもとちょっと違っていて…。今からお姉様のお好きなお菓子を沢山用意しておいて、お慰めしなきゃと思っているの!それでは、少し厨房の方まで行って来ますね。」
そう言うと、ショコラはパタパタと行ってしまった。
“慰める”などという事はこれまでには無かった事だ。残された二人は顔を見合わせた。
「……?何があったのだろう……。」
程なくして、リビングのテーブルにはフィナンシェの好きな物ばかりが所狭しと並べられ、迎え入れる準備は万端に整えられた。それを眺めながら、三人は待ち続けた。
……準備が整ってから10分、20分…。フィナンシェはまだ戻って来ない。ショコラが戻って来てからを考えると、かなりの時間が経っている。
「どうしたのかしら……。お姉様、遅いですね。」
「そうねぇ。貴女が戻って来たのは、終わりそうだったからなのよね?」
「終わりそうと言うより、結果が見えてしまったからなのですけれど…。でも、あれから長く話が続くとは思えなかったですわ。私、また様子を見て来ようかしら。」
しびれを切らしたショコラが立ち上がろうとすると、それを父・ガナシュが止めた。
「まあ、もう少し待ってみようじゃないか。もし何かあれば、誰かがこちらに使いを寄越すだろう。」
「そうですね。分かりました。」
そんな会話をしていたまさにその時。リビングの扉が開いた。フィナンシェ一行が、ついに邸宅内へと戻って来たのだ。
「お姉様!お帰りなさいませ。お疲れになったでしょう?ほら、お姉様のお好きな物、沢山ご用意したのよ。早くこちらへ…」
近付いて来て笑顔で手を引くショコラに、フィナンシェは神妙な面持ちで口を開いた。
「……ショコラ……。お父様、お母様。私、決めたわ。――ヴェネディクティン伯爵と、結婚いたします。」