テラーノベル
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夜の二時。
世界はいったん、電源を落としかける。
机に突っ伏したまま、私はスマホの光に顔を照らしていた。
通知は止まらない。
ニュース、タイムライン、誰かの成功、誰かの炎上。
現実はいつもフル解像度だ。
まぶしすぎて、目が痛い。
「……切り替えますか?」
どこからともなく、そんな声がした。
画面の端に、小さなボタンが浮かんでいる。
《 DREAM MODE 》
押せば、きっと全部やわらかくなる。
失敗も、劣等感も、将来への不安も。
「どうせ明日も同じだし。」
私は、押した。
世界が、ふわりとほどけた。
ネオンはパステルに変わり、
アスファルトは雲みたいに軽くなる。
信号は星になって、空に溶けた。
「ようこそ、ドリームモードへ。」
目の前に立っていたのは、
私とよく似た“もう一人の私”だった。
でも少しだけ違う。
笑い方が、迷いなく完璧だ。
「ここでは全部うまくいくよ。」
もう一人の私は指を鳴らす。
次の瞬間、
私は理想の部屋にいた。
好きな服、好きな顔、好きな評価。
通知は祝福だけを運んでくる。
「ほらね? 簡単でしょ。」
軽い。
何もかもが軽い。
努力も、痛みも、他人の視線も、
ぜんぶフィルター越し。
「これが、私のなりたかった私……?」
鏡を見る。
そこに映るのは、欠点のない自分。
でも。
「……ねえ。」
私は、隣の私に聞く。
「ここって、どこまでが本当なの?」
もう一人の私は少しだけ、間を置いた。
「本当なんて、重たい言葉いらないでしょ。」
「でも、重さがないと、触れないよ。」
指先で机を叩く。
音がしない。
感触も、ない。
祝福の通知が鳴る。
鳴る。
鳴り続ける。
「やめて。」
私が言うと、
彼は首を傾げる。
「どうして? あなたは現実で泣いてた。
ここなら泣かなくていい。」
「でも、笑ってる感じもしない。」
世界が一瞬、ノイズを走らせる。
パステルの空に、ひびが入る。
「夢は夢のままでいいの。」
彼の私の声が、少し機械的になる。
「現実は、あなたには重すぎる。」
「……それでも。」
私は一歩、前に出る。
「重さがないと、生きてる感じがしない。」
足元の雲が、少しずつ崩れる。
ネオンが元の鋭さを取り戻す。
彼の笑顔が、ゆっくりと消えていく。
「戻ったら、また傷つくよ?」
「うん。」
「また比べられるよ?」
「うん。」
「また、怖くなるよ?」
私は深呼吸をする。
「でも、それ、私の“リアル”だから。」
《 DREAM MODE OFF 》
ボタンが、静かに消えた目を開けると、
机の上には未完成の課題。
スマホには、未読の通知。
世界は相変わらず高解像度で、
少し冷たい。
でも、机を叩くと、ちゃんと音がした。
痛みも、不安も、
ぜんぶ重い。
それでも。
「……悪くないかも。」
窓の外、夜明け前の空が少しだけ明るい。
完璧じゃない色。
でも確かに、本物だった。
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