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耳に残る骨の砕ける音。
水面から顔を出した時のように、めいいっぱい息を吸い込んだ。
「――はぁっ!!!…………あ……あ、れ?」
目を開けると言う行為がもう一度できるとは思ってもみなかった。シパシパと目を瞬かせていると、驚いた顔をした面々がこちらを見ていた。
「え……? あれ?」
状況を上手く把握できない。私、豹の妖に喰われたんじゃなかったっけ?
「明明!! よく戻ってきた」
「うぉぉぉ、明明! おま゛え、ほんどに良かったっ!!!」
「し、師匠? 兄さん??」
颯懔が駆け寄って来たかと思えば、力強く抱きしめられて息が出来ない。
更に天宇が目と鼻から水という水を垂れ流して泣いている。
「一体何が起こって……。私たしか首を噛み付かれたのに……あれ? 耳飾り」
喉を触っても異常はないし、血の一滴も出ていない。
耳に揺れる感覚がして触れると、颯懔から貰った赤い椿の耳飾りがあった。旅の途中であげてしまったはずなのに。
「明明や、この銅鏡に覚えはあるかのう?」
「太上老君様! は、はい。可馨様から頂きました」
「お前さんはこの鏡の見せる夢の世界へと行ってしまったのじゃよ」
「夢の、世界……?」
「詳しく話して聞かせよう――――」
「――――それでは私は夢の中で修行して、三千の善行を積んだから目が覚めたって事なんですね」
「そういう事じゃ」
太上老君から三千夢銅鏡の説明を聞いて驚いた。まさかこの古ぼけた銅鏡にそんな仕掛けがあったとは。
「夢の中でした修行は現実でした事になる……」
「さよう」
「ええーー! それってウルトラスーパー凄くないですか? だって私、夢の中で結構神通力の扱い上手くなりましたよ?! 以前なら歯が立たなかった妖も倒せてたし、水気のない場所でも多少水の術も使えるようになったし、仙薬ももっと上手く作れるようになったし、それから……」
善行を積んだことももちろんだけど、何より自分自身が強くなったことが嬉しくて仕方ない。喜びのあまりまくし立てていると、颯懔が呆れた顔で頭を小突いてきた。
「お主と言うやつはほんとに、俺たちがどれだけ心配していたと思ってるんだ」
「明明らしいですねぇ」
「どうして……」
震える声で可馨が呟き、そして声を荒らげた。
「どうして貴女はそんなにも無欲でいられるの? 私と貴方、何が違うって言うのよ!」
「無欲??」
キョトンとして可馨の顔を見ると余計に癇に障ったらしい。顔を赤くして目には涙をためている。
「私だって努力しているわ! 自分の欲を抑えて誰かの為に、誰かの役に立とうとしているのに!!それとも何? 高貴な血筋を引く人間は上仙になれないって言うの?!」
「可馨っ!!」
「颯懔、落ち着きなさい」
可馨に掴みかかろうとした颯懔を西王母が静かに窘めた。
「神遷の中にも貴女の言う、高貴な血筋を引く者も沢山いるわよ。旅芸人、捨て子、商人、官僚、神職……どんな生まれか、どんな職に就いていたかは俗世を捨てた時点で関係ない」
「あのぉ、可馨様」
「なによ」
熱くなっているところで口を挟むのは申し訳無いけれど、可馨が何か大きな勘違いをしているようなので訂正しておきたい。
「私、ぜんっぜん無欲なんかではありませんよ。むしろ欲だらけです」
「――っ!!馬鹿にしないでちょうだい!」
「馬鹿にしてるとかじゃなくて、そのー。私が誰かを助けたいって思うのって、全部自分の為ですよ。目の前に困っている人がいるのに放っておいたら私多分、自分に物凄く腹が立って、ムカムカして、すごく嫌いになると思うんですよね。自分が嫌な気分にならない為で、誰かのためじゃありません」
誰かの為にこの身を捧げる。
――なんて、崇高な考えは微塵もない。
嫌なものは回避したい。ただそれだけのこと。
ありがたーい言葉とか、涙なくして語れない美談とか一切無い。我ながら底の浅い思考しか持ち合わせていなくて申し訳ないです。
「なんかすみません……ペラッペラですね、私」
「ふふっ……あはっ、あはははっ!」
「可馨様?」
可馨のみならず皆んなに笑われてしまった。
そんなに爆笑しなくったっていいのに。若干傷つく。
「流石はワシの愛弟子が見初めた女子じゃ。いやはや、天晴れじゃ」
「これは将来が楽しみだわね」
褒められてるのか笑いものにされているのかよく分からない。颯懔にガシガシと頭を撫でくり回されて髪の毛がボサボサだ。
「……明明、私が貴女のその境地に辿り着くまでにあと何百年修行を積めばいいのかしらね」
「良いではないか可馨。どうせ俺らは不老の身。何百年かかろうとなんの不都合もない」
「颯懔の言う通りよ。ただの人であれば何度でもやり直せるという訳には行かないけれど、私たちは仙なのだからね。急がずとも貴女のペースで進んでゆけば良い。もう何千年と生きるわたくしも、師匠としてまだまだ学ぶことが沢山ある様だわ」
可馨は大きな瞳からは、はらはらと涙が零れ落ちてきた。
これまでだってこの人を可愛い綺麗だと思って見てきたけれど、今日この時の可馨が今までで一番美しいと、心から思った。
◇◇◇
「明明、おめでとう。これで貴女も仙女の仲間入りよ」
「あっ、ありがとうございます!」
西王母から渡された木札には
『地仙 己』
の文字。
『己』は5つに分かれている地仙の位の中でも一番上。まさか天仙の一歩手前の位に叙されるとは思ってもみなかった。三千夢銅鏡様々である。
可馨はあの後二つ降格して『地仙 庚』と言う、私よりも一つ下の位になってしまった。
「しばらく俗世に降りて、もう一度出直してくるわ」
お供も付けず、質素な服を着た可馨はそう言って桃源郷から去っていった。可馨の屋敷にはお弟子さんも沢山いるし、暫く主人が留守にしていてもやっていけそうだ。
にしても、質素な服を着ていても美人は美人。妙な輩に絡まれるのではないかと心配でならない。
と颯懔に言ったら「お主より可馨の方が余程術に長けていて強いから心配ない」と返された。ご最もです。
「さて、明明も仙籍に入れた事じゃ。次はこっちじゃな」
西王母の屋敷に来ていた太上老君がウキウキとした様子で木簡を取り出した。裏面と縁が紅く塗られたその木簡の上には『婚姻』の文字。つまり、婚姻届。
「颯懔様……あの、私で本当にいいのですか?」
アソコが治ったなら颯懔は、私とではなくもっと力のある仙女と一緒になった方がいい。自分のせいで颯懔がなかなか真人に昇格出来ないとなると居た堪れない。
筆に墨を付けて、『夫』の文字の下にサラサラと自分の名前を書いている颯懔が呆れたように息をついた。
「何度聞くんだ。何度聞かれても答えは変わらぬ」
「だって颯懔は、明明ちゃんじゃなきゃ勃たないもんねー」
「いっ……! 紅花! それをみなの前で言うな!!」
後ろから抱きついてきた紅花がキャラキャラと笑っている。
「あら颯懔。『たつ』ってなんの話し?」
「なんでもありません! ほら、お主もグチグチ言ってないでさっさと書け!!」
「明明ちゃんが書かないなら、あたしが隣に『紅花』って書いちゃうよー」
「だっ、ダメです!!」
慌てて紅花から筆を奪い取ると、妻の文字の下に『明明』と書いた。
「これで二人は夫婦じゃ。末永く、仲睦まじくするんじゃぞ」
「明明、伴侶が師匠では言い難い事もあるでしょう。そういう時はわたくしを頼りなさい」
「はい。ありがとうございます」
「そう焦る必要は無いぞ。前に颯懔が言うておったが、何せワシらは仙じゃ。ゆっくりやれば良い」
老君の言葉に頷いて決意を新たにする。
「……はい! 私、人類の幸福の為にも頑張りますね!!」
「まだ訳の分からぬことを言っておる……」
「えいえいおーーっっ!!」
この後颯懔が真人になったのは、まだずっと、先の話。
おわり