テラーノベル
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自分のあげた声の余韻から、重苦しい空気が流れていた。
仁人からスッと感情が消えたのがわかった。
温度のない冷ややかな目で吐き捨てるように言った。
「…ああそう」
腹の底から冷え切った仁人の声。
その視線は凍りつくほどに冷たく、軽蔑も込められていた。
「好きにすれば?」
そう言って俺の横を目もくれずに通り過ぎようとした。
「仁人」
引き留めた腕を叩き落とされ、仁人は一瞥して明確に突き刺すような言葉を放った。
「黙れ。一生喋んな」
…取り残された自分は、寝室から聞こえるバタン、バタンとやや乱暴に寝る準備を始めているであろう音にじわじわと蝕まれていた。
叩かれた右手がじんじんと痛みを広げていく。
早朝の個人仕事のあと、そのままメンバーとのロケに向かう。
車窓のビル街は目に入っているのに、脳内で情報としては認識されず流れていく。
その車の中で、一睡もできないまま目をギンギンに開いていた。
…時間が被らなくて良かった。
仁人と顔をあわせることがなくて。
…今日の撮影にもいたなあ。
最近、不意にパシャ、と言うシャッターを切る音に他ならない音が付き纏ってくるようになった。
インライでやんわり言ってもなかなか治らないその現実。
そしてその音が聞こえるたびに消耗されていく何か。
極め付けは、 仁人とプライベートでデートに誘ったとき。
忙しくて最近できてもなかったデートに心は浮き足立ち、仁人と2人きりで街を出て、ひたすら遊び歩くこの時間に顔は綻んだ。
仁人はそんな俺を呆れるような、どこかホッとするような笑顔で見つめていた。
次の休みどこ行く?なんて話しながらマンションの近くまで来たとき、それは起こった。
前からスッとすれ違ったのはわかったが、その直後にあの嫌な音が聞こえた。
咄嗟に振り返った瞬間に、またもう一度それは鳴った。
あ、と思ったときにはもう遅い。
クスクスと含み笑いするような後ろ姿に身の毛がよだつ。
あのスマホの中に、自分がいる。
…あの笑いは、芸能人であるならばわかる。
憧憬でも、羨望でもない。
『おい、おーい。勇斗?』
その声に我に返って仁人の顔を見やった。
上目遣いでこちらを見つめる仁人を見た瞬間、改めてことの重大さを思い知らされた。
…そうだ、あの写真には仁人もいる。
SNSのタイムラインのごとくハイスピードで最悪の事態が無数に頭に浮かんでくる。
咄嗟に仁人の腕を引っ張ってずんずんと歩みを早めた。
『うわ、痛い痛い痛い、え、何?』
悲鳴を上げる仁人に構わず早足で家路を辿る。
『…行こう、仁人。振り返んな』
『は?どうしたよ急に…』
『いいから』
無性にイライラしていた。
『本当にお前どうした?何か嫌なことでもあった?』
昨日の夜、あまりにも何も言わない俺に、隣に座った仁人が訝しむような、心配するようなニュアンスで話しかけた。
なんとなく盗撮の件は言わない方がいいかなと思い、『なんもないよ』と返した。
それが気に食わなかったらしい。
『いや、なんもないって何。お前そんな態度でそっかー、なんもないんだなー、ってなると思うか?』
仁人の語気に苛立ちが混じる。
そこからはもうご想像にお任せしたい。
20代後半の、しかも俺に至ってはアラサーなのに、2つ年下の奴と醜い言い争いをする姿を。
仁人も仁人で普段言わない分溜まっていたのか、落ち着いたトーンながらも詰めまくってきた。
だから最終的には俺が面倒になってしまった。
『何?お前は俺のなんなの?関係ないじゃん。ほっとけよ』
そう言い放った瞬間の、口をつぐんだ仁人の顔は忘れられない。
たまりかねて爆発したまま放った言葉は、全然気持ちよくなかった。
言ったその瞬間に、自分が胸にナイフを突き立てたような衝撃を受けた。
そして、最初に戻ると言うわけだ。
それでもこれは私情だ。
仕事である以上、今日も車を降りて楽屋に行くまでの時間で普通の顔を作り、楽屋に入る。
いつも通りお疲れ、と言ってくれるメンバーの中に仁人もいた。
他のメンバーもいたはずなのに、なぜか仁人しか見えてない。
いつもと変わらずどっかり座って、スマホを見ていた手元からチラリと見上げて、短く挨拶した。
こちらも普通通りに装って…内心心臓が嫌な音を立てているが…荷物を置いたときだった。
舜太がなんてことないように間延びした方言で声をかけてきた。
「そういえば勇ちゃんあれどうなったん?」
「あれ?」
「最近多いって言うてたやん、盗撮」
「は????」
声を上げたのは俺ではない。
呆気にとられた声の主…仁人が目をむいてこちらを見ていた。
立ち上がっていて側から見たら間抜けな絵面だ。
何も知らない吉田仁人さん(26)
心の中のYouTuber佐野が勝手にそうテロップをつけた。
静まり返った空間に我に返ったのか、仁人はハッと我に返った顔になって、挙動不審に手を差し出した。
おどおどと目を右往左往させながら座る姿は、あからさまに動揺していた。
「あ、はい、どうぞ、続けて…」
舜太は不思議そうな顔になった。
「え、知らんの?何も聞いてへん?」
「いや…」
もう今となっては…。
寧ろよかったのか悪かったのか。
…心配かけまいとしてたのが裏目に出たみたいで、思わず重ねた手の親指を忙しなくもじもじと動かす。
「知ってるもんやと思ってたのに!泣きついてたやん俺に!最近勇ちゃんがあまりにも元気ないって」
「えっ???」
「あーーーーーーーーーーーーーーーー」
仁人のでっかいロングトーンで舜太の話が強制的に遮られた。
今度は俺が動揺する番だった。
「さのじん、出番だってよ」
太智の声に多少ホッとしながらも立ち上がった。
…確かに思い当たる節はあった。
仁人は最近俺との会話が減った。
忙しくて言葉も体も、疎かになっていた。
たまに伺うようにチラリとこっちを見ていることにも気づいていた。
何か言いたげに閉口してるのも…。
それにデートも仁人が「勇斗明日暇?」と聞いてきたことからだった。
いま、こうして商店街のど真ん中で俺らのペアはロケを始めていた。
ピンクのジャージの隣で緩く黄色いジャージを着る仁人は、いつにも増して色白に見えた。
ざわざわと集まる人の囲いに、以前よりも手汗が滲んだ。
すでに周りは人だかりができており、段取りを確認しながらもスタッフがしきりに周囲へ注意喚起する。
そのど真ん中でプロデューサーの話を聞きながらちらりと仁人を見やる。
嫌なことには眉間に皺を寄せて文句をつけながらも真面目に話をしている。
…そういえば、仕事モードの以外の仁人の顔が思い出せない。
ほったらかしにしてたのか、俺も。
プロデューサーの話にハイ、と笑顔で返事をしながら、心が翳っていった。
…俺らじゃ無理だったのかな。
不意に出そうになった弱音に、ハッと正気にもどり、あわてて背筋を伸ばす。
…違う違う、そう言うことを考えたかったんじゃなくて…。
そのときだった。
あのいやな乾いた音がしたのは。
思わずその方向へ反射的に見やる。
人垣の前列にはいない。
…だが、間からスマホの温度のない黒い目がこちらをのぞいていたのを見た。
その目が凝視するようにこちらを捉えて離さない。
…人間ってやばいとき声も出ないんだ。
「ああ、すいません」
凛とした声に振り向くより先に、腕がぐいっと後ろへ引かれる。
よろめくように後ろへ体が揺らぎ、入れ替わるように黄色のジャージが一歩、前に出た。
腕を離すと、その背中は俺の目の前に盾になるように現れた。
「写真撮るのやめてください。この人高くつくんで。後で高額請求メールよこしますよ」
どんな顔で言っていたのかわからない。
冗談まじりに言いながらもきっぱりと言い放った。
自分よりも少し小柄なその背が、今は誰よりも逞しく見えた。
そこでスタッフはようやく気付いたのだろう。
盗撮禁止のアナウンスを始めていた。
撮影やめてください、と声をかけるスタッフの中、そのどっしりとした佇まいに見惚れていた。
…だめだ。
やっぱり、こいつしかいない。
ロケが終わる頃にはとっぷり日が暮れていた。
「仁人、帰るよ」
事務所で帰る準備をして、仁人へ声をかけた。
スマホをいじっていた仁人は顔を上げると、いつもの何でもない顔でそう言った。
「…おう」
顔を見合わせる他の3人にも、ただならぬ空気は感じていたようだ。
帰りはタクシーを使ってマンション付近まで移動した。
その間、自転車を漕ぎ出すようにぽつりぽつりと話題が飛び交った。
最終的にグループの話になり熱が入ってきた頃、タクシーの支払額を告げられた。
…マンションの前に降り立ち、タクシーを見送った。
最初に口を開いたのは俺の方だった。
「仁…」
「ごめんほんとごめん、マジで」
仁人は、いつもの失敗した時のように眉を顰めて、変に湿っぽくならないテンションで声を上げた。
「いや…俺もごめん。めっちゃやばかったんだね」
俺も何だか笑けてしまい、苦笑しながら言った。
仁人も呆れまじりに目を閉じてため息も共に笑った。
「確かにあの時はガムテープで口塞いで山に放り投げてやろうかとは思ったけど」
「怖いこと言うなよ……最初っから言えばよかったわ、こんなことなら」
「いやそれはそう。反省しろ。あと態度を全て出すな」
「すいませんでした」
バッと頭を下げてみせると仁人は大口を開けたように笑った。
顔を上げて最初に見た仁人の顔に、息をのんだ。
顔を上げたとき、仁人は笑顔だった。
なのに、頑なに目は合わなかった。
…それが何を意味するか、瞬時にわかった。
「あーーー!」
仁人が夜空を仰いで大きな声を出すものだから思わず肩をびくつかせた。
「びっくりした、うるせえってお前」
「よかったー!マジで終わったかと思った…」
顔をくしゃくしゃにして眉を顰めて笑う仁人が安心したように張っていた肩を下ろした。
…本当に強いな、こいつは。
思わず頬がぴくついた。
そのまま腕の中に閉じ込めると、仁人は驚いたように声を上げた。
「びっくりしたァ!」
「無理。 今回のでもっと好きになっちゃったから」
「…」
仁人が閉口した。
その耳はちょっと赤くなっている。
それを見て、決意を固めた。
「はい、じゃあ仁ちゃん。甘やかせなかった分甘やかしてあげるからねえ」
「は?急にきもいゲロ吐きそう」
「俺明日午後からだし?朝まで時間はいっぱいあるからさ」
「………あー、察した」
「さすが、もうわかってきたね」
「やっぱ止めなきゃよかった。晒されろ。あとで今日盗撮してきた人のIPアドレス調べて乗っ取って勇斗がいかにどエロすけべジジイか晒してやりてえ」
仁人の肩を抱いてマンションのエントランスへと入っていった。
………入っていく直前にはた、と思い出して後ろを振り向いた。
電柱の『影』に、スマホよりもずっと、大きな目がこちらを見ていることは知っていた。
…仕事だからな、致し方なしとも言える。
でも。
人差し指を立ててみせた。
こっから先は、誰にも撮らせない。
コメント
2件
そして、ちょっと心が弱ってる🩷さんを庇うように前に立つ💛さんが男前で心臓がギュッとなり、かと思えば 終わったかと思った、って健気な事言ってて、良い意味の落差に可愛い…って感じでドキドキします そりゃ、🩷さんももっと好きになりますよね、当然の結果です 良い夢が見れそうです
あー、好きです さかなさまの書かれる🩷💛ほんと好き お互い、盗撮の事🩷さんが元気無くて心配してた事を❤️さんに悪気なくバラされる所が、リアルにありそうと思い、ちょっと笑ってしまいました 続