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「ちょっと兄ー?」
冷蔵庫の扉を開け、冷気の中に顔を突っ込んだまま妹の雫が声を張り上げる。
「紅生姜がないんだけど」
「紅生姜ぁ?」
カウンター越しにようやく顔を出した雫は、不満げに頬を膨らませていた。
「そう! 買ってきてって言ったじゃん」
「……悪い、一ミリも覚えてないわ」
「もう! 買ってきてよ!」
雫の瞳が、怒りと「どうせ行ってくれるんでしょ?」という甘えの混じった、なんとも言えない眼差しでこちらを射抜く。
「そもそもな、紅生姜をこよなく愛する女子中学生ってセンスどうなってんだよ。渋すぎないか?」
「う、うるさい! 好きなものは好きなの!」
「はぁ……。じゃあ、ジャンケンで決めよう。俺が勝ったらお前が自分で買いに行け。負けたら俺が行く」
「違うよ! 兄が勝ったら買い物代を私が払う! 負けたら兄が自腹で払う!」
「は? 待て待て、なんで俺が買いに行く前提なんだよ。おかしいだろそのルール」
理不尽な条件を突きつけられている俺の名は、暁真 蒼士。どこにでもいる、妹の尻に敷かれがちな高校生だ。
「兄なんだから、それくらい当然でしょ?」
「……分かった。じゃあ一つ条件を追加させろ。俺が勝ったら、明日の飯はお前が作れ」
「それくらいは……まぁ、いいけど」
雫は少し不服そうに、けれど自信ありげに拳を構える。
「「じゃんけん……ぽん!」」
俺はチョキ。雫はパー。 刹那、雫の顔から血の気が引いた。
「なっ……嘘でしょ……!?」
まるでスポーツ漫画のクライマックスで敗北したかのように、雫はその場にガックリと膝をつき、四つん這いになって絶望している。
「一応言っておくが、負けても勝っても買いに行くのは俺なんだよな……」
「あーはいはい、オニイチャン、アリガトーゴザイマシター」
雫は地面に手をついたまま、全く感情の籠もっていない棒読みで感謝を述べ、ポケットから小銭を差し出してきた。
「行ってらっしゃーい」
「はいはい、行ってきますよ」
「ふぅ……流石に10月の夜は冷えるな」
独り言をこぼしながら、コンビニからの帰り道を歩く。ビニール袋の中には、頼まれた紅生姜と、負けた腹いせ……もとい、自分へのご褒美のチョコレート。紅生姜一袋だけをレジに持っていくのは、男のプライドが少しばかり抵抗したのだ。
「ありがとうございましたー」
店員の声を背中で聞きながら、自動ドアを出た。
「さむさむ、早く帰って風呂入ろ……」
その時だった。 脳の奥を直接かき回されるような、不快なノイズが走った。
『――個体名:アキマ・ソウシ。対象を【規定外事象】により【廃棄戦域】へ強制転送……実行します』
「は?」
視界が歪む。上下左右の感覚が消失し、胃の底を持ち上げられるような浮遊感に襲われた。
……次に目を開けた時、そこは夜の街ではなかった。 見渡す限りの砂。乾燥した空気が喉を焼く。砂漠か、あるいは荒野か。 しかし、ただの自然界ではない。足元には巨大な機械の残骸が錆びつき、至る所に空薬莢が転がっている。
「あんな声が聞こえたから、異世界転生でもするのかと思ったが……なんだ、ここは……」
ドガァァァァァァンッ!!
「うわぁっ!?」
突如響き渡った爆発音に、俺は無様に尻もちをついた。心臓が早鐘を打つ。 慌てて立ち上がった拍子に、手元でガサリと音がした。見れば、コンビニ袋がまだ握られている。紅生姜と、チョコ。
(……とりあえず、音がした方に行くしかないか)
恐怖はある。だが、この異様な世界で一人立ち尽くしているよりはマシだという本能的な判断か、あるいは理不尽に飛ばされた混乱による麻痺か。俺は砂を蹴り、爆煙の上がる方へと走り出した。
岩陰に身を隠し、そっと外を覗き込む。 そこでは、信じられない光景が繰り広げられていた。
機械仕掛けの装甲を纏った少年と、銀髪をなびかせ巨大なスナイパーライフルを構える少女が激突していたのだ。
(カッ、カッケーーーー!!)
オタクではない……断じてないが、男なら誰しもが憧れる「メカ」と「美少女」の戦闘シーン。その迫力に、俺は思わず息を呑んだ。
少女は近接戦闘に持ち込まれそうなスナイパーライフルという不利な状況にありながら、蝶のような軽やかな身のこなしで少年の攻撃を紙一重で回避し、正確な一撃を撃ち込んでいく。
そして、少女がバックステップでこちら側の岩陰に飛び込んできた。背中合わせの状態。彼女はこちらに気づいていない。
「あの……何と戦っているんですか?」
思わず声をかけると、少女は弾かれたようにこちらを振り向いた。
「はぁ!? そりゃもちろん『失格体』とだよ! 知らないってお前、どこから……うわぁぁぁ!?」
幽霊でも見たかのような悲鳴を上げ、彼女は反射的に銃口を俺の眉間に突きつけた。
「だ、誰だお前は!?」
「い、いや、俺は……その、ただの通りすがりというか」
言葉に詰まったその瞬間、再びあの「声」が脳内に響き渡る。
『――近くにマスター不在の適合者を確認』
「……まあいい。だがお前に悪い報告があってな。弾切れだ。ふたり共々、ここで死ぬしかないな」
少女は自嘲気味な微笑を浮かべる。だが、今の俺には彼女の言葉よりも、脳内に響く声の方が大きく聞こえていた。
『エラーを確認。管理者権限……一時承認』 『例外処理として、二重祝福を承認』
「なっ! お前、まさか……!!」
少女が目を見開く。彼女の身体が、内側から溢れ出すような眩い光に包まれた。 敵の少年がその隙を逃さず、ロボットの腕部から小型のミサイルを放つ。
ドォォォォォォン!!
「ぐわぁっ!!」
爆風に煽られ、俺は地面を転がった。全身に砂が入り込み、無様な姿を晒す。 だが、光の中から現れた少女は――違った。
彼女が手にしていたスナイパーライフルは、その形状を歪ませ、巨大な電磁加速砲(レールガン)へと変貌を遂げていた。
「って……重っ!! なんだこれ、何が起きたの!?」
少女は戸惑いながらも、その重厚な武器を構え直す。
「でも、これだけデカけりゃ、外しようがないよね!」
レールガンの銃口に、青白い電光が集束していく。周囲の砂が巻き上がり、大気が震える。敵である少年の虚ろな瞳が、初めて警戒を帯びたように細まった。
「放て!!」
少女の叫びと共に、極大の光軸が放たれた。 それは「倒す」という概念を通り越し、少年の存在そのものを世界から消し去ったかのように、中心から全てを蒸発させた。
「ははっ! なんだこれ、こんな武器見たことない……って、あれ? 戻ってる?」
光が収まると、レールガンは元のスナイパーライフルに戻っていた。少女は不思議そうに武器を見つめた後、地面に這いつくばっている俺を指差した。
「……どういうことだよ、これ」
「えっ、俺に聞かれても……何も」
少女は溜息をつくと、俺の方へ歩み寄り、泥臭い俺の手を引くように手を差し出してきた。
「まぁいいか。お前のおかげで助かった。……ありがとうな」
「あはは……どういたしまして」
俺はぎこちない笑顔を浮かべ、彼女の手を取った。
「さて、ここに居ちゃまたアイツらが来るかもしれない。私の仮拠点へ行くぞ」
少女は愛銃を肩に担ぎ、再び砂漠を歩き出した。 手元には、もう温くなった紅生姜。 俺の、そして俺たちの物語は、この乾いた戦場で幕を開けた。