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常に自分が正しいことをして生きていると思ったことは殆ど無い。常に過去を悔やみ、恨み憎んで祟って生きてきてはいるけれど。
昔から自分が一番だと思って生きてきた。小さな学校で、クラスも一つか2つしかなかった。学校内の人は全員知り合いで、知らない顔がいるほうが珍しかった。だから自分が小さな世界のトップだと思いこんでいた。上手な絵を書いている人を見ても、自分はもっとうまくかけると思っていたし、一番クラスの中で好かれていると思っていた。しかし、全て虚像だった。自分は何も特別ではないし、むしろ人より劣っていた。そして何より自分の性格がすごく面倒で、周りから嫌悪されていると自覚したときにはもう、自分が嫌いになっていた。けれど心の何処かでまだ自分が一番だと錯覚していた。
やりたかったことが他の人に取られたとき、その人を恨んだ。自分はもっとうまくできると思っていた。その人の作品を見るまでは。見た瞬間、「あ、この人には敵わないや。できなくて当然だ。」と思った。その人にはもう、対抗心はわかなかった。むしろ尊敬心のほうが強くでた。まぁ、めげずに頑張ってほかのやりたいことを探した。やっとの思いで見つけ、やろうとしたとき別の人がやりたいと言ってきた。自分ができるとまた、錯覚していた。手順もほぼ完璧だった。しかし、また取られた。(尊敬心がわいた人ではないひとに。)本当に辛かった。ぎりぎりでやりたいといったくせに、最初は別のことをやりたかったくせに。百歩譲って⋯いや、完全に自分の実力不足だったとしても許せないのが、やると決まって少し経ったときに「やりたくない。面倒くさい。自分がやるんだっけ?」と言い始めた。周りの人はその人を責めず、「まあまあ。やってくださいよ〜。頑張って!」と励ましていた。ねえ、自分はやりたかったのにできず、できなかった本人の前で言わないでほしい。その人を自分は憎んだ。恨んだ。しかも他の人が「とても大変なことがあるけれどできる?」と年を押したとき、はっきりと「出来る」と答えたくせに、いざとなると「やりたくない。できない」と言い出した。自分がやり方を教えると不機嫌になって迷惑だと言われた。憎しみと恨みが強くでた。愚痴は様々な人に聞いてもらった。しかし、収まらない。作品が完成し、反省会のときにその人はスマホをいじっていた。みんな一人づつアドバイスや良かったところを言っているときもずっといじっていた。挙句の果てには自分がいいところを伝えても「え、何?聞いてなかった〜」という。ずっと心の中でどろどろとした気持ちがぐるぐると回っていた。作品が完成しても、何をしてもだった。