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ヒルデガルドから放たれた鉄をも溶かすような殺気に、気圧された貴族たちがビクッとする。近くにいた熟練の冒険者たちでさえ、彼女の雰囲気に息を呑む。
「……なんと言ったなんて。別に、ただ役に立ったと言ってるだけだ。それの何が間違っているというんだ。あんたも冒険者なら分かるだろ。俺たちは相応の金を払っているんだから、守って当然の話ではないかね?」
「貴様らは、金はあっても敬意がないのか」
声が震えた。あまりの怒りに叫びそうなのを堪えて。
「何人が命を落としたと思う。魔物の脅威に逃げだすことしかできない貴様らを守ってやったのに、何人も死んで、へらへらと笑いながら言うことなのか。命に釣り合わない対価で、誰がここまでやってくれると言うんだ」
拳を握り締め、訴えかけるような彼女の言葉も、彼らには届かない。鼻で笑ってふんぞり返り、それがどうしたと横柄な態度をみせた。
「敬意だと、下らん。あんたら冒険者なんていう底辺の職業も、国や我々の支援がなければ、ただのごろつきとして生きていくしか能のない連中の集まりじゃないか。勇者や大賢者の偉業に指先すら触れられん、結局は何人も犠牲にしなきゃ魔物一匹だって倒せないから、こんなことになってるんだろう!」
一触即発の雰囲気に、ひとりの女性が声をあげた。
「それはまったくもって違いますわ、子爵様」
貴族たちの中から堂々とそう言ったのは、長い巻き髪の凛とした顔立ちをした若い淑女。黒いドレスに身を包んだ姿に、前髪の一部を青く染めた姿に、ヒルデガルドはよく見覚えがある。数年前にポーションの取引で会ったことがあった。
「……君はたしか、エルヒルト公爵令嬢?」
「あら、どこかで会ったことがあるのかしら」
エルヒルト大商団の団長を務めるエルヒルト公爵家の才ある令嬢。それがティオネ・エルヒルト。父親から任された仕事を兄妹の誰よりもそつなくこなし、大賢者が懇意にして取引の申し出を受け入れるほど、人格もよく出来ている。
そのため、いかに立派な家柄を持つ者たちでも彼女を前にすれば頭があがらず、繋がりを持とうと媚びる者も多い。そんな彼女が飛空艇に乗っていたことに驚きつつも、納得し、こほんと咳払いをして話を戻そうとする彼女の言葉に耳を傾けた。
「よろしいですか、皆様方。……世の中、底辺と思われている仕事ほど重要なものはありませんわ。わたくしたちが商談を成立させ、その後に多くの荷物を運ぶのはいったいどなたです? 肉体労働を経て、数多の荷物を運ぶ方たちだけではなく、護衛として来て下さる冒険者様の服や装備、それから荷物の運搬には欠かせない船や馬車がわたくしたちに造れまして?……すべての仕事は繋がってますわ。言葉を慎みなさい」
ティオネの言葉に俯く者たちの中で、やはりまだ反抗的な意思を見せる者はいた。だからこそ金という対価があるのだと言い、生きていようが死んでいようが些細なことで、自分たちこそが先頭に立って人々の生活を成り立たせているのだ、と。
言い争いがさらに激化しようかといったところで、もう黙ってはいるべきではないとヒルデガルドも我慢の限界を迎えて、その手に竜翡翠の杖を握った。
「……もういい。話の通じない連中には、何をどれだけ説いたところで無駄だ。分からせるのなら、これがいちばん手っ取り早いだろう」
紅い髪が、もとの灰青に戻っていく。冷たい軽蔑で研がれた瞳が、貴族たちをハッとさせた。多くの上流階級で彼女を見たことがない者などほとんどいない。誰もが膝をつき、事態の大きさに気付いて頭を垂れた。
「まあ。ヒルデガルド様だったの?」
「いろいろあってな。令嬢も元気そうでなにより」
とん、と杖で床を叩く。誰もが畏敬の念を抱き、決して言葉を並べない。大賢者ヒルデガルド・イェンネマンとは、それほどに大きな、まさしく大英雄。国王でさえ敬意を払う存在なのだ。
「……実に失望した。その顔、記憶させてもらったぞ」
「たっ、大変な無礼を……申し訳ありません、大賢者様」
杖から小さな雷撃が飛び、男の手もとを焦がす。
「誰に謝っている? 聞くに堪えん保身に耳を貸すつもりはない。──今すぐに全員名乗れ。他者を見下すだけの貴様らに爵位など必要ない、すべてティオネ令嬢を通じて国王に伝えさせてもらう」
そんな、と顔をあげた者たちの青ざめた様子に、誰も同情はない。もし名乗るのを拒否したところで、ティオネとアーネストなら彼らのことをよく知っている。他者をぞんざいに見た者たちには当然の始末だ。
「……おっと、それから」
立ち去ろうとしたヒルデガルドが、彼らを強く睨む。
「私と会ったことは決して口外しないように。もし誰かがうわさでもしたなら、覚悟しておけ。私は大賢者という称号に興味のひとつもないとな」
ティオネ令嬢が「またお会いできます?」と気楽に尋ねると、彼女は「会いに行くよ」と答えてイーリスたちを連れ、クレイグの遺体は他の仲間に任せて、デッキで待つアベルたちのもとへ向かった。今日ほど大勢の命を無駄にさせられた日はないと腹を立てながら。
「ごめん、ヒルデガルド、ぼくのせいで」
「何があったかはあとで聞く。私も救えなかったのは事実だ」
まだぐすぐす泣いているイーリスの背中を優しく撫でた。
「誇れ。君たちのおかげで、みんなが助かっているんだから」