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7.糸師冴は止まれない
家の扉を閉めると廊下を進んで自分の部屋へと向かう。
辿り着いた先のベットの上には黒名がいた。
「鍵、預かってたの返す。」
「あぁ、それで…作戦ってなんだよ。」
俺が黒名を家に呼んだのは誰にも聞かれないように話をする為だ。
よくよく部屋割りを確認すると黒名は俺の横の部屋だったらしい。
「すごい簡潔に言うぞ。凛が糸師冴の望むことを全て叶えれば良い。」
黒名の言葉に理解がついていかず困る。
いや、イメージは出来ていても想像したくないだけなのかもしれない。
「俺に潔を諦めて兄貴の言いなりになれって言ってんのか…ッ!?」
思わず立ち上がって机を叩く。
ダメだ。潔が絡んでくると感情的になってしまう。
「勿論2人のことは応援してる。今は冴の警戒を緩める事が優先だ。」
黒名に言われて座り直すと説明は続いた。
俺が冴の願いをすべて叶えて冴を満足させることで潔に対しての執着は消える。
俺を自分のものにできたと勘違いさせる事で油断し、一瞬隙ができるはず。
その隙をついて黒名が手を出す。
黒名が冴に力で勝つ事ができればそれ以降無理矢理関係を断たせるような真似はしなくなるはず、と言うものだった。
「…つい最近知ったような奴の言う事を聞くのは癪に触るが乗った。俺はどうすればいい?」
黒名の目が細く開かれる。
「糸師冴に接触する。」
それが黒名から俺に対しての命令だった。
「…それで、わざわざあの女を使って俺に時間を作らせる理由はなんだ。」
「俺が間違ってた。潔はライバルでもなかったしあの時だけ覚醒しただけ。俺が倒すべきは兄ちゃんだったってことを伝えに来た。」
冴の目はまだ疑いをかけるように細く鋭く睨みつけてくる。
「…言葉だけなら何だって言えるだろ。」
黒名の言った通りだ。冴は言葉じゃなく行動を求めてくる。
冴が望む行動は黒名にはわからない。
だから……
「信じてもらう為なら何でもする。」
それが俺と黒名が出した答えだった。
無茶な答えかもしれない。でも潔の為を思えば怖くはないようにも感じる。
あぁ、潔への気持ちすら隠さなくなってきた。
「…何でも、な。凛、来いよ。」
冴は座っていたベットからそう言った。
俺は言われた通りにゆっくりと近づく。
そして冴の前に立った。
「お前なりの答えでいい。示せ。俺が必要だった、潔世一への想いは勘違いだったってな。」
冴の目は余計に鋭く光る。
俺は手を伸ばして冴に抱きついた。
冴の肩に顔を埋めて手の力を抜いた。
黒名の言う通りに事が進んでいく。
もしも冴にこの質問をされた時、抱きつけと言った。
それで冴は信じてくれる…そう言っていた。
「糸師冴が必要だよ。」
部屋に時計の音だけが響いた。
沈黙の間冴は動かない。
数秒経って冴が口を開いた。
「もう終わりか。」
目を見開く。冴はこんなヌルい回答眼中にもなかった。
考える暇を与えず冴が俺の体を掴んで軸に回るとベットに押し倒される。
片手で俺の両手を掴み頭上で固定される。
もう片手で冴は俺のジャージのポケットに手を入れるとスマホを取り出した。
画面には黒名との通話画面が映っている。
「…お終い、だな。」
冴は無言で黒名の電話を切った。
そして床にスマホを投げると俺を睨んだ。
「…お前からやれよ。抱きつくごときで俺が満足したと思うか?」
冴は怒っている。
俺の髪を掴んで顔を寄せられる。
抵抗する気力も失せた。冴の舌が俺の口内へと入ってくる。
「んっ…ッ」
息苦しく、今まで感じたことのない感覚に身体中がおかしくなっていた。
「…ッぷは。」
やっと苦しさから解放されると冴は髪から手を離した。
「お前は俺に勝てない。追いかけるのは俺だけでいい。潔世一を見るメリットがないだろ。」
「…お前もホモかよ。俺がいつまでもお前に気があると思うな。あの時俺を突き放したこと、一生後悔して死ねッ…」
息が荒くなっていた。
何も知らないであろうこいつが潔を知ったような顔で罵ることに怒りを覚えた。
「…ほんと可愛げがねぇ。」
スマホはさっきからずっと着信音が流れていた。
多分黒名だ。
通話が切れた時は俺の作戦失敗の合図。
冴が俺の手を離して立ち上がると同時に扉を叩くような音が部屋中に響く。
冴が玄関へと向かった。
今の冴に近づくことの危険さを悟った瞬間、俺は冴の背中を急いで追った。
俺がその背中に触れる前に玄関の鍵が冴によって開かれた。
「凛ッ!!」
「黒名、来んなッッ…」
「…聞いてなかったな黒名蘭世。お前は凛の何だ。調べてみた所今まで凛と接点はなかった。幼少期に接触した履歴もない。こんな罠に俺が素直にかかりに行くと思った時点で負けなんだよ。凛、勝とうとするだけ無駄。お前が死ぬだけだ。」
黒名は俺の手を強引に引っ張り部屋から出させる。
黒名に抱き抱えられるようにして冴に背中を向けた。
黒名は俺の頭を守るように手を添えて冴に対して鼻で笑った。
「こんな事でしか好きな奴を守れないのか。」
冴の顔は見えない。
黒名の小さな体に抱き寄せられている為か腰も痛い、口の中は冴の感覚が残って気持ち悪い。
最悪なはずなのに落ち着く。
潔を気になってしまったのは冴の冷たさを知ってしまったからだろうか。
小さな頃から憧れだった兄に敗北を経験させられ、人生を狂わされた。
サッカーでしか自分の価値を見出せない俺に光を届けたのが潔なのかもしれない。
潔に会いたい。
「行こう、凛。歩けるか?」
「…」
冴は何も言わなかった。
帰り際に少しだけ振り向くと冴は少しだけ寂しそうな表情を浮かべて空を見ていた。
潔がたまに見せる儚さと似ている。
冴に対しての感情は憧れなんて綺麗なものではなかったのだと実感した。
「潔に会いたい。」
「負けんな、負けたら終わり。糸師冴に勝てばいいんだ。制圧、制圧ってな。」
「助かった、黒名。」
「作戦は失敗だな。」
いや、成功だろ。
冴が玄関へと向かう時、追いかけるふりをして盗聴器を仕掛けた。
机の裏だ。
俺がこんなヌルい事でめげると思うな。
潔を狙ったこと、後悔させて殺す。
糸師冴、ハメられてんのはお前だ。
「…俺は、凛が…」
誰も居なくなった部屋の前で空を見上げた。
もう何十分こうしてたそがれているのか分からない。
空は赤く染まり始めている。
凛が大切だった。俺に憧れる凛が可愛くて仕方がなかった。
けど俺じゃ世界には通用しなかった。
潔世一、あいつのエゴこそ世界が恐れるもの。
凛が一番わかってない。潔世一に好意を示すということは死そのもの。
後から後悔するのはお前だ。凛…。
凛、凛…凛ッ。
もう、止まらないんだ。凛。