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【Loneliness 番外編】
春の陽射しが降り注ぐ、病院の中庭。
その一角に簡易ステージが組まれ、リハビリ中の患者たちや職員、近隣の人々が集まっていた。
あの日、声も表情も失っていた青年――大森元貴が、今ここで歌う。
それを誰よりも見守っていたのは、あの頃毎晩彼の痙攣に駆けつけ、ナースコールを押した看護師たち。
処置をしながら、彼の震える手を握っていた医師。
「こんな日が……本当に来るなんて……」
ある看護師が呟いた声に、もう一人が小さく頷いた。
「……ほんとに、天使だわ」
その視線の先、ステージには今や眩しいほどの笑顔をたたえた元貴がいた。
Mrs. GREEN APPLEのメンバーが奏でるあたたかなアコースティックの伴奏にのせて、元貴は一曲一曲、丁寧に歌い届けていく。
その声は決してかつてのような張り上げるパワーではない。
けれど、そのぶん一言一言が、やさしく、深く、人々の心に沁みわたっていく。
まるで「ありがとう」と言葉にできないほどの感謝を音に変えているようだった。
観客の誰もが、涙をこらえられなかった。
⸻
そして。
演奏が一段落し、MCに移ろうかというタイミングで、それは起きた。
ざわめき。
人波をかき分けるように現れたひとりの男。
あの社長だった。
濃紺のスーツ。飄々とした態度。
あの頃と何も変わらない、薄く笑った顔。
場が凍る。
看護師たちの空気が緊張に変わり、滉人が即座に身を乗り出す。
元貴の視線が社長を捉えた――その瞬間、彼の呼吸が乱れた。
「元貴……」
滉人が立ち上がる。
マイクを外し、ステージから降りようとしたその瞬間――
演奏が止まった。
元貴の手が、ギターの弦の上で止まっていた。
彼はゆっくりと、深く息を吸った。
そして、顔を上げた。
目を、社長に向けた。
細く開かれたその口が、言葉を紡いだ。
「――あなたに何を言われようが、もう俺は怖くない」
その声は、かすれてはいなかった。
真っすぐで、張りのある、よく通る声だった。
社長の表情がわずかに引きつる。
滉人が社長に近づこうとしたその時、元貴はマイクを握り直し、演奏を再開した。
それは新曲だった。
《誰かの声で 崩れた心も
誰かの手で 救われるんだよ
逃げてよかった
立ち止まってもよかった
大丈夫だって 君が言ったから》
滉人の目に、涙が溢れる。
会場もまた、静かな感動に包まれていた。
社長は、何も言えずに立ち尽くしていた。
そのまま、演奏が終わる前に人波の中へと消えていった。
⸻
ライブ後、看護師たちが駆け寄る。
「元貴さん……立派だった……!」
「……あの時、こんな未来を見られるなんて思ってなかった……!」
元貴は、ひとりひとりに、笑顔で礼を言っていく。
その声には、かつての影はなかった。
小さくても、確かで、強い声だった。
滉人が後ろからそっと近づいて、耳元で囁く。
「……かっこよかったな。今のお前」
元貴は少し照れて、滉人にだけ見える小さな笑みを浮かべた。
「……ありがとう、ずっとそばにいてくれて」
「当然だろ。お前が倒れてから、俺の人生の優先順位なんて一個しかないんだから」
「……音楽?」
「違う、お前」
ふたりは短く笑い合った。
⸻
元貴はその後、同じように心因性の症状に悩む人のために、小さな講演会やライブも行うようになった。
無理はしない。焦らない。
その姿勢こそが、多くの人の共感を集めていた。
Mrs. GREEN APPLEは、かつて以上に注目されていたが――
それ以上に、元貴という存在がひとつの“希望”になっていた。
滉人とふたり、肩を並べて歩く道。
それは決して楽ではなかったけれど、
もう、ひとりで戦う道ではなかった。
音楽を愛し、人を想い、愛されるということ。
それが、元貴の声を育てていた。
もう誰にも、その声は奪えない。