「マーカス、貴方がアンリエッタに近づいた理由を、そろそろ話して貰えないかしら」
アンリエッタの容態を確認して安心したのか、唐突にジャネットが尋ねた。
唐突……でもないか、とマーカスは内心苦笑した。ずっと、聞きたくて仕方がなかったはずだろうから。けれど、アンリエッタに気を遣っていたのか、遠回しでも聞こうとはしてこなかった。
それを今になって聞く、ということは、パトリシアの件で、俺に借りを作ったからだろう。安易に話題に出来ないものを、一度はぐらかされれば、再度聞くことは容易じゃない。だから、確実に答えると分かった上で、聞いてきているのだ。
例え借りがなくても、今の俺にはぐらかすつもりはなかった。そろそろ潮時だと思っていたからだ。
長くなる話だと思ったため、ジャネットにはそのままベッドに一番近い椅子を譲り、ユルーゲルは別の部屋から持ってきた椅子に座らせた。マーカスはというと、ゆっくりとベッドの端に腰かけた。
「貴方がユルーゲルと違って、アンリエッタに危害を加えるつもりで、近づいたのではないことは、分かっているわ。そうでなければ、ここまではしないでしょうからね。だからこそ、分からないのよ。以前から、知り合いだったようにも見えないから」
「偶然知り合った、とは思わないんだな」
その可能性について、改めて言われ、ジャネットは少し考えてから口を開いた。
「確かに、それもあるかもしれないけど、貴方の態度は不自然だったわ」
「そうだな。最初から俺のことを、疑っていたのは、分かり易かったよ。まぁ、疑われるようなことをしていたんだから、無理もないだろう」
兄妹なんていう、でっち上げは、アンリエッタの近くにいるための建前であり、言い訳でしたかなかった。
周りに疑われることや、バレることなど、二の次だった。気にすることすら、考えなかった。
「簡単に言うと、家の事情だ。アンリエッタを探していたのは。見つけたのは、偶然だったが」
「あのパトリシアという子も、関係しているの?」
さすがは、王女様。俺の言葉で、ザヴェル家の事情を聞かず、先にパトリシアのことを聞いてくるとは。その事情と魔法陣に召喚された条件が、何かしら接点があると、踏んでいるのだろう。そんなこと、俺の方が知りたい。
ユルーゲルも、気になっている様子だった。あいつの関心を引くようなことは、口に出したくなった。
「……関係はしている。が、それによって、パトリシアにアンリエッタのようなことをしないと、誓うのなら話す」
だから、条件を付けた。ユルーゲル限定で。
ジャネットも、誰に対してマーカスが言っているのか、すぐさま察し、その方向へと視線を動かした。余計なことは言わずに誓いなさい、と圧をかけるように、ユルーゲルを睨んだ。
「誓いますよ。パトリシア嬢にも、手は出しません。これでよろしいですか」
「信用は出来ないが、言質は取ったからな。まぁ、いいだろう。……お前たちは、マーシェルの生贄の伝承について、知っているか?」
「生贄?」
マーカスの問いに、ジャネットは首を傾け、ユルーゲルはすぐさま答えを出さなかった。考えた末、自分も知らない、という風に、首を横に振った。
「私も知りませんね。私が生まれた時代は、そもそもマーシェルという国はありません。今は四つに分かれていますが、ゴンドベザーという一つの国でした。その国にそんな伝承はありませんし、マーシェル公爵領にも、そのような噂が流れていたことは、なかったと思いますし」
つまり、ユルーゲルが生まれた時代……五百年前は、まだなかったということか。
「その生贄って、具体的に何の目的で行われていたの?」
「目的は分からない。ただ生贄になる者は、その証を持って生まれてくるんだ」
「証……その時の状況に合わせて、選別されるのではなく、そのために――……」
そう、生贄になるために、生まれてくるのだ。
ジャネットは、ただ親しくなった、平民であるアンリエッタのために、動ける人間だ。そんな人間からしたら、それが如何に残酷なことなのか、その身で感じてしまうのだろう。
「それが、パトリシア嬢だと言うのですね」
「さすが、話が早いな。その通りだ」
「その証が、魔法陣に反応した……とは考えられるのか……」
いや、そういう魔法陣ではないはずだが……、と声のトーンを小さくしたり、戻ったりしながら、ユルーゲルは独り言を言い始めた。
それをマーカスもジャネットも、口を挟まずに、ただ傍観していた。解決の糸口が見つかれば良いと思って。
すると、突然ユルーゲルが、ハッとなってマーカスを見た。
「生贄ということは、捧げられる対象がいるということですよね」
「あぁ。マーシェルの西側にある、カザルド山脈内の洞窟に住んでいる、銀色の竜だ。名はヴァリエと言う」
「銀色……ヴァリエ……。何処かで聞いたことがあったような……。何処だったか、申し訳ない。今は思い出せそうにありません」
何故か謝ってくるユルーゲルを見て、マーカスが少しだけ笑った。そして、すぐさま真剣な顔つきに戻った。
「……俺は家を出た時、パトリシアが調べた事柄しか、知り得ていない。あれから二年経っている。詳しく知りたかったら、パトリシアに聞いてくれ」
「良いの?」
「勿論、俺も同席する。アンリエッタも、聞きたいはずだ」
そう言って、マーカスは眠るアンリエッタの髪に触れた。茶色だった髪が、今は本来の色を取り戻し、銀色となった髪に。
「分からないわ。そこで、どうしてアンリエッタが出てくるの?」
「ヴァリエに会った時、アンリエッタを連れて来るように、言われたからだ」
「!」
ガタッと、ジャネットが椅子から立ち上がった。
「アンリエッタを生贄するというの⁉」
「そうは、言っていない。そういうつもりがあったら、今もギラーテにはいない!」
売り言葉に買い言葉で、ジャネット同様、大声を出してしまい、思わずアンリエッタを見た。幸い、何の反応も示さなかったことに、マーカスは息を一つ吐いた。
「アンリエッタには伝えてある。その上で、俺もどう判断していいのか、考えし兼ねている」
「……そう。そうだったのね」
「大事なものを両天秤に掛ければ、身動きが取れないのは、仕方がありません。近々、魔塔に行くので、調べてみませんか、ジャネット様」
何が楽しいのか、ユルーゲルはジャネットに笑顔を向けた。まるで、次の目標が見つかって、喜ぶ子供のようで、不謹慎に思ったジャネットは、顔をしかめた。
「その提案には賛成だけど、そうなると、パトリシアさんから情報を聞いてからにしたいわ。でもそうすると、魔塔行きが遅くなってしまうのも、少し困るのよね」
そう言うと、チラッとマーカスの方を見た。すると、マーカスは立ち上がり、部屋を出て行った。数分で戻ってきたマーカスの手には、鞄が握られていた。
再びベッドの端に座ると、鞄から数枚綴じられた紙を取り出し、ジャネットに渡した。
「とりあえず、これが二年前、パトリシアが調べたものだ。これだけでも、不足はないはずだ」
「ありがとう。これで十分よ。国は違うけれど、魔塔はそういうのに、縛られてはいないから、新しい情報は見つかるかもしれないわ」
「できれば、解決するようなものが出てきてくれると、有難いんだけどな」
そうすれば、アンリエッタを連れて行くこともないのだから。パトリシアも死なずに……。そんな都合の良いことなど、起きることはないと、分かっていても、希望は捨てきれずにいた。
ユルーゲルの言う通り、両天秤に掛ければ、身動きが取れなくなる。今までは漠然としていたが、いざそうなって、初めて天秤がどっちに傾いているのか知った。
今、アンリエッタの傍にいるのが、その証だった。
パトリシアが魔法陣から現れた瞬間は驚いたが、すぐさま駆け寄ることはしなかった。腕の中にいたアンリエッタの身が、何より心配だったからだ。だから、パトリシアをジャネットに頼んで、俺はアンリエッタの方に専念した。
守れなかった悔しさはあったが、今はただ傍で見守りたかった。
マーカスはアンリエッタの手を掴み、強く握った。
「良い情報を、持って帰って来られるようにするわね。あと、ユルーゲルには、罰が待っているのだから、そんな調子で大丈夫かしら」
「調べ物には、私の力も必要なんですから、そんなにいじめないで下さい」
お手柔らかに、というユルーゲルを、ジャネットはさらに小言で責め立てていた。
「とりあえず、要件は済んだだろう。とっとと、屋敷にでも魔塔にでも、帰ってくれ。ここには病人がいるんだぞ」
「ごめんなさい。そうね、魔塔へ早々に行かなくてはならない案件が増えたんだから、急がなくてはね。私がいない間は、パトリシアさんのことは、院長にお願いしておくわ」
パトリシアの滞在先である、学術院の院長になら、何ら問題はないだろう。マーカスは頷いて答えた。
そして、二人が帰った後、再び静かになった部屋へと、マーカスは入っていった。
アンリエッタが目を覚ましたのは、その数時間後のことだった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!