※十一話目。続き
⚠️直接的な表現は避けていますが、戦争表現があります。政治的意図、戦争賛美共にありません。
⚠️一部CP表現のようなものがありますが、表現上そうなってしまっただけであってCPではありません(少なくとも私は意識してません)
⚠️嘔吐表現あり
苦手な方は読まないことをお勧めします。
(長めの注意書き失礼いたしました)
夢ならば……これが、ただの悪夢だったら、ロシアの経験上、ドアを開けたところで夢からは覚めるはずだった。しかしドアを開けた途端、生ぬるい風が頬をなぶって廊下へ抜けていった、その感覚があまりにもリアルで。
認めなければならない。これが現実だ。
その部屋は、女看護師が言っていた通り、六人部屋ほどの広さがあった。
部屋の中は、昼間だというのになんだか薄暗かった。しかし、真正面の壁には大きな四角い穴───元は窓だったのだろうが、カーテンはおろか窓ガラスも取り払われていた(おそらく窓枠だけ残して爆発離散したのだろう)───が開いており、そこだけ太陽の光が差し込んでいて場違いに明るい。そして、その窓(?)のところに、ベッドが一つ置かれていた。そのベッドの上を見やる。男が一人、横たわっていた。
「…………」
ロシアはどう声をかけたら良いものか一瞬だけ悩み、とりあえずそのベッドのところまで行こうと足を踏み出しかけた……その時だった。否応無しに目に飛び込んできたものに、ロシアは本格的に吐きそうになった。
自分が立つ入り口のすぐ近くに置かれた、四つのベッド。どれも秩序なく斜めに置かれており、使われていないことはすぐにわかる。だがその状態が問題だった。左右で二つずつ置かれたベッドの、奥側の左右二つはただの薄汚れた、使い物にならなくなったベッドだったが、ロシアから見て左側のベッド。そのスチール製と思しき骨組みの上に置かれたマットレスは、元は真っ白だったのだろうが、今は薄汚く汚れていた。汚れは薄く積もった灰色の埃に始まり、何かの毛、洋服の繊維、そして───
「…………ぅっ…………っ、」
赤みがかった、茶色いシミ。広範囲に広がったそれには、同じ色をした何か小さな固形物がいくつか乾いてこびりついていた。
次いで右側のベッド。こちらの方が悲惨だった。左側のベッドと同様、元は白かったであろうマットレスの上は、真っ黒に黒ずんでいた。その形が人体を彷彿とさせるようなものであったがために、一層、胸が悪くなる。その時、またあの酷い臭いが一瞬であったが鼻をついた。
喉元まで何かが迫り上がった。取れない臭いと吐き気に頭がぐらぐらする。ロシアはふらつき、思わず近くの壁に上半身を打ちつけた。割と大きな音が出てしまった。
(あ…………)
思ったのも束の間、微かな声が聞こえてきた。
「……………ろ、しあ…………?」
「‼︎ 」
顔を上げる。ベッドに横たわっていた男が目を覚まし、こちらを見ていた。
屈強な男というよりは、まだ幼い少年のような風貌だった。
顔の左半分ほどを赤い三角の模様が覆い、目元は白、毛布から突き出された細い腕は、美しい緑色だった。頭部は黒いはずなのだが、痛々しく薄汚れた包帯が巻かれているためその色は見えない。赤と緑が混ざった宝石のような目をしたその男は、ロシアと目が合うと、目元を綻ばせて笑った。
「………ロシア……来て、くれたんだ……」
「………うん」
しかし、そう返したものの、次になにを言って良いのか分からない。ロシアは男の枕元まで歩いて行くと、包帯を手にしたまま突っ立った。目線が泳ぐ。しかし、当の彼は何も気にしていないかのように、
「……あ、包帯持ってきてくれたの?ありがとう。……そこの、棚の上に、置いといて……」
言われた通りに置く。と、窓際に何やらバケツのようなものが置かれていることに気づいた。中身は見えなかったが、ビニール袋がかけられていたので、ゴミ箱か何かだと判断した。
弱々しい声が耳を打った。
「ごめん、ロシア……せっかく来てくれたのに、こんな……酷い場所に……。みっともない姿を、見せてしまって……、本当に、申し訳ない、よ……」
言い終わったそばから彼は激しく咳き込んだ。寝ている状態が苦しいのか、細い腕を震わせながら身体を支え、起きあがろうとする。それを助けてやりながら、ロシアは彼の、痩せて骨ばった背中をさすってやった。それでも咳は止まらなかった。
「………無理に、喋らなくていいから。無茶はするなよ。俺にできることあったら、何かやる、けど───」
口元を右手でぎゅっと抑えた彼は、咳き込みながら無言で左腕を伸ばし、窓際のバケツを指差した。吐きそうなのか、と悟ったロシアは慌てて窓際まで行き、それを手にした……その時、バケツの中身が見えてしまった。
「…………っ⁉︎⁉︎ 」
不気味な重さを伴ったその容器の中は、血の海だった。血に塗れたガーゼや真っ赤に染まった包帯に始まり、底の方には血反吐がどろりと溜まっている。一瞬、渡すのを躊躇したが、彼が次に咳き込んだ途端、口元を抑えた彼の右手の、指の間から赤いものが溢れ出したのを見てロシアは急いでそれを手渡した。半分、手遅れのようなものだった。
彼はバケツを抱え込むようにして、その中に吐き戻した。慌てて背中をさすってやるが、その時、すでに布団の上に血混じりの吐瀉物が垂れ落ち、赤い斑点を作っていることに気づいた。
「ゲホッ、んぇっ…………んゔッ、ッッゲェッ……」
苦しそうな声と共に、バケツの中のかさが増して行く音がする。ロシアは、背中をさすってやることしかできなかった。
程なくして彼は、憔悴しきった顔をゆっくりと上げた。口許がどろどろした赤いもので染まっている。ティッシュの類が見つからなかったため、ロシアは持っていたハンカチを取り出して拭ってやろうとした。
「あ、ロシアっ……だめ、だめだって、俺、なんか病気、持ってるかもって、言われててっ………」
「気にすんな。俺もお前も国だろ。こんな大概のことじゃ罹患もしないし死にもしない。だろ?」
「そうだけどっ………ゲホッ、そ、そんな、綺麗なハンカチ、汚せないよ……」
「俺がいいって言ってんだ、気にすんなって」
ロシアはハンカチを持って、彼に顔を近づけた。と、彼の美しい目元に、微かに涙が滲んでいるのが見えて、不覚にも泣きそうになった。
「…………っ、」
我慢しようとしたのも甲斐なく、ジワ、と涙が目尻に浮かんだのがわかった。唇が痙攣し、手が震えた。ぎゅ、と奥歯を噛み締め、自分に言い聞かせる。
泣いたらダメだ、だって、泣いたら……俺がここで泣くのは、間違ってる。本当の苦しみすらわかっていない俺が涙を流すのはおかしい。
「……ロシア、ごめん……手間かけさせちゃったね、ありがとう。もう、大丈っ……………」
全ての処理が終わった刹那、ロシアは、ベッドの上に半身を起こした彼を強く、強く抱きしめていた。彼が驚いたのは言うまでもない。
「え、ちょ………ろ、ロシア?」
彼は面食らったようにロシアの腕をポンポンと叩いた。それでも、ロシアは手を緩めない。そのうち、ロシアの嗚咽が聞こえてきた。堪えようとしているのに堪えきれない、そんな嗚咽が。
それでも彼は、ロシアの背中に腕を回してやり、そのまま赤子をあやすように背を叩いてやった。戸惑いが混じっていながらも優しく言う。
「ろ、ロシア。俺はもう、大丈夫だよ。少し休めばすぐ、良くなる、から…………だから、泣かないでよ……」
「………っ、……」
ロシアは駄々をこねるように肩口に額を擦りつけた。涙が、後から後から溢れてきて止まらなかった。だって、今抱きしめている彼は、初めて会った時よりずっと細く痩せていて、ずっと軽くなっていて、比べ物にならないくらい……衰弱していた。それなのに。
抱きしめると、こんなにも温かい。
しっかりと生を実感できるくらい、生きているのに。なぜ彼が痛めつけられなければならない?なぜ、自分は何もできない?
自分でも説明のつかない感情に襲われ、涙は止まるところを知らないように溢れ続けた。
思わず口をついて出た言葉は、たったの三音節。それしか、言えなかった。
「……ごめん…………っごめん………ごめ、ん」
彼は、驚いたように目を見開いた。
「なんで……。なんで、君が謝るの………」
ロシアは、その問いに対して、しゃくり上げるばかりで何も答えられなかった。
コメント
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投稿ありがとうございます! いつもですが語彙力が高い…病気の表現がすごく上手です好き 少年ってパレスチナのことなのかしら…