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kzlr
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⟡ ご本人様とは一切関係ございません
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kzh視点
夜明け前の病院は、音が少なかった。
消毒の匂いと、一定間隔で鳴る機械音だけが廊下に残っている。
ベッドの上で、ローレンは目を閉じたまま動かない。
包帯と固定具に覆われた身体は、まるで眠っているみたいだった。
葛葉は椅子に座ったまま、ずっと立ち上がれずにいる。
「……生きてるって、言われてもさ」
小さく、誰にも聞かれない声で呟く。
医師は「命は助かった」と言った。
でもそれは、“元に戻る”とは別の言葉だった。
ローレンは任務でも事件でもなく、ただ巻き込まれた。
葛葉はその場にいなかった。
それが何よりも重い。
指先がそっとシーツに触れる。
握る勇気もなく、離す理由も見つからない中途半端な距離。
「ごめん」
返事はない。
それでも葛葉は言う。
「守るって言ったのに」
呼吸は浅いけれど、確かにそこにある。
機械がそれを淡々と証明している。
しばらくして、ローレンの眉がわずかに動いた。
ほんの一瞬、夢から現実に引き戻されるみたいに。
「……葛葉?」
掠れた声。
それだけで葛葉の喉が詰まる。
「いる。ここにいる」
ローレンの目はまだ焦点が合っていない。
それでも、名前を呼んだのは無意識じゃないと分かる。
「……よかった」
それだけ言って、また眠りに落ちる。
まるで、それを確認するためだけに目を覚ましたみたいだった。
葛葉はその場で顔を覆った。
声を出さずに、ただ深く息を吸う。
生きてる。
でも、傷は重い。
回復には時間がかかるし、後遺症の可能性もある。
それでも。
「今度は、離れない」
約束を口に出す。
聞かれていなくてもいい。
ローレンが目を覚ました時、そこに自分がいることだけが、今の答えだった。
目を覚ましたローレンは驚くほど落ち着いていた。
天井を見て、機械音を聞いて、
自分が病院にいることを理解するまで、そう時間はかからなかった。
「…おはよ」
声は掠れているけど冷静すぎるほど平坦だった。
葛葉は一瞬、言葉が出なかった。
泣きそうになる準備はしていた。
怒鳴られる覚悟も責められる未来も想像していた。
でも返ってきたのは温度のない声。
「……どこ、痛い?気分は?」
「んー……よく分からん」
ローレンは首を少しだけ傾ける。
その仕草はいつも通りなのに、目が違った。
怖がっていない。
不安も、怒りも、安堵も見当たらない。
「くっさん、顔近い」
そう言われて、葛葉はハッと距離を取った。
いつもならローレンほうが視線を逸らすのに。
「……俺のこと、分かる?」
「葛葉でしょ」
即答。
でも、それは“知識として”の答えみたいだった。
葛葉はベッドの横に立ったまま、手を伸ばしかけて止める。
触れていいのか分からない。
「……怖くない?」
「何が?」
「……今回のこと」
ローレンは少し考えてから正直に言った。
「たぶん、怖いはずなんだと思う」
その言い方が決定的だった。
「でも今は、そういう感じがしない」
心拍モニターが一定のリズムを刻む。
異常はない。
医師も「意識は明瞭」と言った。
なのに。
「葛葉がここにいるのも、うれしい……はずなんだけど」
視線が葛葉の胸元を通り過ぎる。
「なんか、ガラス越しみたい」
その言葉に葛葉の指が震えた。
「……俺に触ってみる?」
躊躇いながら言うとローレンは小さく頷いた。
葛葉はそっと手を握る。
力を込めない、逃げ道を残した触れ方。
ローレンの指先がわずかに動いた。
「……」
「どう?」
「…少しだけ」
ほんの一瞬、眉が歪む。
驚いたような、戸惑ったような表情。
葛葉は思わずその手を離さなかった。
「それでいい」
声が、低く揺れる。
「全部戻らなくていい。少しでいい」
ローレンは、ゆっくり瞬きをする。
感情は薄いまま。
でも、完全に消えてはいなかった。
葛葉はその事実に救われるように息を吐く。
「しばらく、離れないから」
ローレンは弱く笑った…ように見えた。
「うん、ありがとう」
葛葉が席を外したのは、ほんの数分だった。
医師に呼ばれて説明を受けるため。
「すぐ戻る」と言ってローレンも小さく頷いた。
ドアが閉まる音。
それだけで病室の空気が変わった。
ローレンは天井を見つめたまま、瞬きを忘れる。
さっきまで“分かっていた”はずの感覚がゆっくり遠のいていく。
ここは病院。
怪我をした。
葛葉がいた。
事実は覚えている。
でも、それに付随していたはずの感情が、剥がれ落ちる。
怖い、安心する、寂しい。
どれも言葉としては知っているだけ。
胸の奥が妙に静かだった。
看護師が入ってくる。
「ローレンさん、大丈夫ですか?」
「はい」
返事はできる。
声も、表情も、問題ない。
「痛みは?」
「…たぶん、あります」
「たぶん?」
聞き返されて、少し考える。
「痛いっていう状態だと思います」
看護師は一瞬だけ表情を曇らせた。
「さっき一緒にいた方は?」
「……葛葉?」
名前は出る。
でも、その名前に何が結びついていたか、掴めない。
“大事”
“好き”
“離れたくない”
そういう分類が、頭の中で消えている。
「今はいません」
「そうですか。すぐ戻りますよ」
看護師が出ていってもローレンの心拍は変わらない。
不安にならない。
安心もしない。
ただ、無風。
葛葉がいない。
それを“問題”だと感じられないことが、
本当は一番の異常なのに。
数分後、ドアが開く。
「ローレン」
葛葉の声。
その瞬間。
胸の奥にじわっと熱が戻る。
色のなかった世界に薄く輪郭が生まれる。
「…あ」
無意識にローレンの指がシーツを掴む。
葛葉それを見逃さなかった。
「どうだった?」
「?、なにが?」
「俺がいなかった間」
ローレンは少し考えて、正直に答える。
「……静かだった」
葛葉の喉が小さく鳴る。
「静か?」
「何も起きなかった」
葛葉はベッドの横に座り、そっと手を取る。
触れた瞬間ローレンの呼吸がわずかに深くなる。
「今は?」
「…ちゃんと、分かる」
「何が」
「くっさんがここにいること、」
葛葉は静かに目を伏せた。
「……それ、俺がいないと、薄くなるってことだよな」
ローレンは否定しなかった。
「多分。たぶん葛葉が離れると…俺、だんだん何も感じなくなる」
事実を述べるだけの声。
怖がってはいない。
それが葛葉には耐えがたい。
「……ごめん」
葛葉が言うとローレンは首を振る。
そのあとで少しだけ力を込めた。
葛葉の手を離さないように。
「…ただ」
小さな声。
「今はここにいてほしい」
葛葉はその手を包み込む。
「わかった。離れない」
低く、強く。
「ローレンが感じるまでずっと離れない」
ローレンは、その言葉の意味を完全には理解していない。
それでも。
「…それなら、大丈夫な気がする」
感情は薄いまま。
でも葛葉がいる限りゼロにはならない。
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2025/12/29
最後までお読みいただきありがとうございました。
良いお年をお過ごしください️️.⋆𝜗𝜚