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秋の風が、校庭の銀杏の葉をさらさらと揺らす午後。
里村美結は、「ひま部」の部屋にいた。
以前は物置だった旧教室も、今では立派な“静かな場所”として知られるようになっていた。
壁には子どもたちの描いた絵や言葉が飾られ、棚には50冊を超える「ひま部ノート」が並ぶ。
そのどれもが、“声にならなかった声”で満ちていた。
その日、美結は一通の封筒を受け取った。
差出人の名前はなかった。
ただ、宛名に「ひま部の人へ」とだけ書かれていた。
中には、小さな手紙と、折り畳まれた便せんが入っていた。
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ひま部の人へ
この前、はじめてひま部に行きました。
学校には友だちがいるけど、本当のことは話せなくて、
家では大丈夫なふりをしてるけど、夜になると泣いてしまう日がたくさんあります。
でも、ひま部でただ座ってたとき、
何も話さないのに、となりに誰かがいるだけで安心できたんです。
こんな気持ち、初めてでした。
本当にありがとう。
また行ってもいいですか?
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読み終えたとき、美結は思わず手紙を胸に抱いた。
知らない誰かの、知らない涙の温度が、手紙を通して確かに伝わってきた。
そのとき、不意にひとつの記憶がよみがえった。
――30年前、杏美が「自分の気持ちを手紙にしたためてどこかへ埋めた」と言っていたこと。
その手紙は結局、誰の手にも渡ることはなかった。
でも今、30年の時を越えて、その“願い”だけが残り続けている。
「……森崎さんに、会いに行こう。」
美結は心に決めた。
「ちゃんと“ありがとう”を伝えたい。
この“居場所”があったから、私は変われたって。」
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そして次の週末、美結は再び、あの“約束の樹”のある場所へと向かった。
春には桜が咲き誇っていたその樹も、今は黄金色の葉をまとい、風にゆれていた。
そこには、以前と同じように森崎誠がいた。
変わらぬやさしいまなざしで、美結を見つめる。
「久しぶりだね。」
「……また、来ちゃいました。」
「来てくれてうれしいよ。」
ふたりは、並んでベンチに座った。
「ひま部、ちゃんと続けています。
最初は私ひとりだったけど……今は、毎日誰かが来てくれる。
この前、小さな男の子が手紙をくれました。
『何も話してないのにありがとう』って……。」
「それは、すごいことだよ。」
誠は、少し遠くを見つめながら、ふうと息をついた。
「杏美が消えてから、ずっと“約束”が果たせなかった。
でも、君が“居場所”をつくってくれている。
それは、あのとき交わせなかった約束の続きなんだと思う。」
「……杏美さんは、本当にもう……?」
誠は黙ってうなずいた。
「だけど、不思議と“いなくなった”という感じがしないんだ。
“誰かの心に残って生きてる”っていう言葉が、あるだろ?」
「はい……わかる気がします。」
「君が“ひま部”を広げてくれてるって聞いたら、きっと杏美も喜ぶよ。」
ふと、誠はポケットから一枚の写真を取り出した。
それは、高校時代の杏美が、教室の窓辺で笑っている写真だった。
その隣には、若き日の誠も写っていた。
「この写真、君に渡しておきたい。
これから“ひま部”がどこまで広がっても、
その原点を忘れないでほしいから。」
美結は両手で受け取った。
そこには、確かにあの“ひま部”の原点があった。
孤独だったふたりが、ひとつの“居場所”をつくった、すべてのはじまり。
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その日、美結は「手紙の返事」を書いた。
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また来てください。
なんにも話さなくても、そばにいるだけで嬉しいから。
もしあなたがいなかったら、私は“自分の言葉”を信じることができなかった。
ありがとう。