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森崎誠と別れた帰り道――
里村美結は、心にぽっかりと穴が空いたような、不思議な静けさを感じていた。
温かさと、ほんの少しのさびしさ。
それは、誰かを想って、そしてその人がもうどこにもいないと知ったときにだけ生まれる、淡く切ない余韻だった。
家に帰ると、机の上に一通の封筒が置かれていた。
「……?」
差出人の欄には何も書かれていない。だが、その文字に見覚えがあった。
――それは、「ひま部ノート」とまったく同じ筆跡だった。
封を切り、中から取り出した便箋には、こう書かれていた。
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これを読んでくれているあなたへ
あなたがこの手紙にたどり着いたということは、
きっともう“居場所”というものを見つけてくれたのだと思います。
はじめまして。秋元杏美です。
もし、あなたが“ひま部ノート”を見つけたのなら、それはきっと、あなたが誰かに出会う運命だった証です。
わたしは、16歳のある日を境に、学校からも、家からも、世界からも消えることを選びました。
でも、本当は「消えた」のではありません。
わたしはただ、「誰かに見つけてほしかった」だけなのです。
わたしには、たったひとつだけ後悔があります。
それは、森崎くんに“ちゃんとありがとう”を言えなかったこと。
彼は、わたしがこの世界で唯一「そのままでいていい」と言ってくれた人です。
彼がいてくれたから、わたしは“今ここにいない自分”を許せた。
だから、もしあなたが誰かの隣に立てるのなら、どうか伝えてあげてください。
「いてくれて、ありがとう」と。
それだけで、生きていける人が、きっとたくさんいるはずだから。
――秋元 杏美
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便箋を握りしめながら、美結は静かに涙を流した。
それは、悲しみではなく、どこか希望のにじんだ涙だった。
彼女の言葉は、30年の時を越えて、確かにここに届いた。
「杏美さん……ずっと、誰かを信じてたんですね。」
その夜、美結はペンを取り、自分の「ひま部ノート」の最終ページにこう綴った。
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あなたの言葉を、私が受け取りました。
だから今度は、私が誰かに“つなげて”いきます。
世界がどんなに冷たくても、誰かのひとことが、心の灯になる。
“ひま部”は、たしかに今も、生きています。
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翌朝、美結は教室の掲示板に新しい貼り紙を貼った。
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【ひま部出張版・放課後文庫スタート】
「誰にも言えない気持ち」を、そっと本に挟んで残しませんか?
ノートがなくても大丈夫。あなたの“ひとこと”が、誰かの心を温めるかもしれません。
本棚の中にそっと置いてください。
拾った人は、ページの最後に“ありがとう”と書いて閉じてください。
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美結がはじめた“放課後文庫”は、小さな校内文庫から始まり、やがて地域の図書館、子ども食堂、公園の掲示板へと広がっていった。
“ひま部”という言葉は残さなかった。
それでも、杏美の声は確かに誰かに届き、誰かが次の“声”を発する。
それが「杏美の最後のメッセージ」だった。
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そして、美結はふたたび桜の木の下へと向かった。
森崎誠はそこにいて、美結を見ると、穏やかにほほえんだ。
「……届いたんですね、杏美さんの言葉。」
「はい。30年かかって、ようやく。」
「君がつないでくれた。ありがとう。」
ふたりは並んでベンチに座り、秋の空を見上げた。
そこには、どこまでも広がるやわらかな光があった。