ポエム『頭の回廊を歩いた』
ふと、ある人は思った。
今までの冬の心の思い出を振り返ると経験というものがあることで生物は実りある色々な感情を持ち、気持ちは多岐に広がったのかもしれないと。
それを知ったその人は言葉を紡ぎながらその意味を皆に伝えました
それが感じられた皆は
雪が降る頃には春が待ち遠しいと毎年の自然や人工物の季節の吹き出し口を思い出したときそれは小さな社会の誕生で、切ないけれど、これが現実で言葉が息吹をあげたのかもなと、その人は沢山の人達と思いました。
抽象的な出来事は寂しくもあるけれどそれと言ったものは具体的な世界から生まれたのかもしれないね
心の傷口は友がいることで去ることも知りつつ
いつも気のせいのように心の中にあった自分の人生のふしぎな迷いの中で気持ちといったものは生まれたのかもしれないと思えたのでそれを思い出したとき皆、思い出が心の中で交錯する事もあった。
だからか、そのふしぎな夢のような自分の世界に入った時、現実をかっ歩すると言うことは私はその人の心や誰かの想い出の中にいるし入ることだと思うのだ
でもそこはそこまでで良い。
だって、夢を想像することも大事だけれど、現実をしっかりと見据えることも大事なのでしょう。
そう、朝、緑茶を飲みながら物思いにふける。
その場での空間は安心とゆとりがある
感じ取れることは、、、。
何となく、それとなくでもそこは、仕事をする空間。
仕事場からの帰り道で何も想うこともあまりなくなっていた日はあったのかもしれない。
かと思えば、物思いにふけたり、ふけてしまった時間がひとときの安らぎになると思う日々が続く。
午後の昼下がりには、外出先で外が明るかったり暗かったりすることに懐かしさを感じることが有り、それは心の中で自分の記憶の晴れの日や曇りの日に戻れることと同じ気がした。
それは、もしかしたら皆がそれらをそれぞれ感じる事を止めたり開いたりして豊かな深い心の静かな源になるのかもしれない。
春の新芽の息吹が感じられた。
そんな時間を保つことで産まれ、包まれる愛情とは行いの目新しさだけではあらがえないくらい現実味を帯びた世界なのかな。とも思う。
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