テラーノベル
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桃緑 緑桃
このピアノだけが、俺の唯一の聖域だ。
象牙の鍵盤をいくつか剥ぎ取り、代わりに彼女――?いや、かつて愛した彼の骨を削って埋め込んである。ドを叩けば、あいつの硬い指の節が鳴る。ソを叩けば、あいつの喉仏が震えるような音がする。
「ああ、いい声……」
指先から伝わるあいつの破片の感触に、俺はうっとりと目を閉じる。不協和音が部屋を満たす。傍から見ればただの騒音だろうが、俺にとってはこれこそが完璧な対位法だ。
世界は汚れているが、この部屋の、この楽器だけは純粋な死で満たされている。
コンコン、と場違いに軽やかな音が響いた。
扉を開けると、そこには一人の青年が立っていた。すちだ。俺のコンサートに欠かさず通い、出待ちをしていた熱狂的なファン。
「らんさん、またその曲ですね。骨が鳴っている。なんて羨ましい……」
すちは頬を染め、恍惚とした表情で俺のピアノを見つめた。その瞳には、正常な人間が持つはずの光が一切宿っていない。俺と同じ、向こう側の色だ。
らんさんの弾く音は、いつも死の音がしてたまらない。
あのピアノの中に、らんさんがかつて愛した男がいることは知っている。死んでまで音の一部になれるなんて、嫉妬で狂いそうだ。
俺はポケットから、清潔なガーゼに包んだそれを取り出した。
「らんさん、お願いがあります。俺を、あなたの音楽の一部にしてください」
俺はテーブルの上に、自分の左手の小指を置いた。
先ほど、自宅で丁寧に切り落としてきたばかりの、まだ温かい俺の欠片。らんさんは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに愛おしそうにその指を拾い上げた。
「……綺麗な指。節の形も悪くないね」
らんさんの細い指先が、俺の切り口をなぞる。激痛が走るはずなのに、俺の脳内は熱い快楽で塗り潰された。
そして、ピアノの奥にある未完成の鍵盤を見つめ、残酷に、だけど最高に甘く微笑んだ。
「でも、これだけじゃ足りない。もっと、俺を痺れさせるような音が欲しい、…すち」
「ええ……もちろん。手の指がなくなったら足の指を、次は耳を、その次は……。最後には俺の全部を、あなたのピアノの中に詰め込んでください」
俺はらんさんの足元に跪き、その靴を舐めるように見上げる。俺の顎を掬い上げ、血のついた指で俺の唇をなぞった。
新しい鍵盤が必要だと思っていたところだ。
あいつの骨はもう、叩きすぎて少し脆くなってきていたから。
俺はすちの小指を鍵盤の隙間に仮置きし、ひとつの音を鳴らしてみた。
肉が潰れ、骨が軋む、湿った鈍い音。……悪くない。あいつの乾いた音に、すちの生々しい執着が混ざり合い、音楽がより重層的になっていく。
「ねえ、次は薬指。もっと愛を、もっと深く響かせて」
「はい、らんさん……っ」
すちは自らカッターナイフを取り出し、震える手で次の指に刃を当てた。
飛び散った鮮血が、俺の白いシャツと、愛するピアノを汚していく。その汚れすら、今は最高に美しく見えた。
俺たちは狭い部屋の中で、互いの狂気を貪り合う。
いつかこのピアノのすべての鍵盤が、すちの体の一部に置き換わったとき。
その時、俺は自分自身の心臓を抜き取って、この楽器を完成させよう。
俺たちの愛は、誰にも理解されない。
ただ、この不協和音だけが、俺たちの正解を鳴らし続けている。
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コメント
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いやあああ😭😭💞 椎名さんの書く激重愛すきすぎて滅です🤟🏻✴︎ このどっちも重い感じ?共依存な感じ?ほんとに大好物ですありがとうございます🙏🏻🤍