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瀬名が出張へと旅立ってから、一週間が過ぎた。 最初のうちは毎晩のようにかかってきていた電話も、ここ数日は途絶え、メールの一通すら届かない。
思えば、いつも連絡をくれるのは向こうからだった。自分からアクションを起こしたことなど、数えるほどしかない。
(たまには自分から電話でもしてみるか……? いや、忙しいのかもしれないしな)
風呂上がり、よく冷えたビールのプルトップを引きながら、理人はスマホを片手に悶々としていた。
ようやくディスプレイに「瀬名」の名前を表示させたのは、日付が変わる数分前。
流石に遅い時間だと躊躇したが、声を聞きたいという欲求には勝てなかった。
寝ていて気づかないならそれでいいし、そもそもあいつだって時間に関係なくかけてくるのだから。 心の中で何度も言い訳を重ね、高鳴る鼓動をなだめながら、震える指で発信ボタンを押した。
中々コールに出る気配はない。あと数回鳴って出なかったら諦めよう。そう思って唇を噛んだ瞬間、ふつりと呼び出し音が途切れた。
『もしもーし?』
「……っ」
耳に飛び込んできたのは、瀬名ではなく、明らかな女性の声だった。 間違ってしまったのかと思い、慌ててディスプレイを確認するが、表示されているのは間違いなく瀬名の名前だ。
『……もしもしー?』
『ねぇ、誰? 勝手に秀一の電話に出ちゃまずくない?』
少し離れた場所から、別の女の声が聞こえてくる。間違いではない。瀬名は今、女たちと一緒にいるのだ。その声の弾み方からは、仕事の付き合いなどではない、親密で弛緩した空気感が伝わってきた。
こんな夜更けに、女と? 理人の胸の奥に、どろりとした黒い感情が広がっていく。
「……すみません、人違いでした」
『えっ、ちょっ――』
ブツリと一方的に通話を切り、理人は苛立ちに任せて電源を落とした。強制的に回線を遮断し、スマホを机に放り投げると、そのままソファへ倒れ込む。
クッションに顔を埋め、深いため息を漏らした。ここ数日連絡がなかったのは、そういうことだったのか。
「――くそが……っ」
蓮と話していただけであんなに嫉妬し、無茶苦茶に抱いてきたくせに、自分は出張先で女とよろしくやっているというわけか。
あの声と、あのルックスだ。寄ってくる女など腐るほどいるだろう。あんなキラキラした男、自分のような「男」よりも、可愛い女の子の隣の方が断然似合うに決まっている。
特別な存在だと思っていたわけではないが、心のどこかで期待していたのだ。あいつは自分に執着している、簡単には手離さないだろうと。 けれど、それは結局、無様な自惚れに過ぎなかった。突きつけられた現実に酷く落胆し、理人は残っていたビールを一気に煽った。
毎日のように「愛してる」「好きだ」と甘い言葉を囁いておいて、たった一週間でこれか。
簡単に女に乗り換えたことを考えれば、自分はただの都合のいい性欲処理の相手だったということだろう。 以前は「勘違い」で済んだが、今回はもう言い訳など通用しない。
酷い男だ。いい加減すぎる。信用していた相手から、背後から殴られたような衝撃に、視界が滲んだ。
理人は腕で乱暴に涙を拭い、荒い呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせようとした。 前後不覚になるまで酔い潰れて、何も考えられなくなればどれほど楽か。だが、元々酒に強い自覚はあったが、今のビールにはアルコールの味さえしなかった。
あれからさらに数日が過ぎ、季節は三月の半ばを迎えていた。早咲きの桜が蕾を膨らませ、日中はジャケットを脱いでも過ごせるほど暖かい日が増えている。夜になればまだ冷え込みは厳しいが、この調子なら春の訪れもそう遠くはないだろう。
あの日以来、理人は瀬名との連絡を一切絶っていた。職場に何度か着信があったようだが、タイミングの不一致を言い訳に無視を決め込んでいる。
もちろん、自分からアクションを起こすつもりも毛頭なかった。 代理で伝言を預かったという萩原の話では、瀬名は数日中に戻れるとのことだったが、それを聞いても理人の心にさざ波が立つことはなかった――表面上は。
瀬名のことは、嫌いではない。むしろ、好ましく思っていた。 だが、だからといって今回の件を許せるかは別問題だ。今までの瀬名の態度を思い返せば、何かしらの理由があるに違いないと自分に言い聞かせつつも、心のどこかで裏切られたという痛みが消えずにいた。
「あー……ヤりたい……」
理人はカウンターに突っ伏したまま、ウイスキーのグラスを傾けてぼんやりと呟いた。
「……瀬名くんと?」
「そう、瀬名と――って! おいっ!」
ナオミの言葉に、理人は勢いよく身を起こして顔を真っ赤にした。油断のあまり、最悪の肯定をしてしまった。
「あらやだ、冗談よ。そんなに怒らないで。それにしても、めちゃくちゃ引きずってるわね」
ニヤニヤと笑いながら小突いてくるナオミに、理人はバツが悪そうに舌打ちをして、再びグラスを煽った。
「うっせーな……。身体の相性が良かっただけだ」
「顔も好みだし?」
「……あぁ」
「まぁ、アンタが本気で瀬名くんのことを好きじゃなかったら、そこまで悩まないわよね」
「…………チッ」
図星を突かれ、悔しげにそっぽを向く。その頑なな態度に、ナオミは呆れたように肩をすくめた。
「はぁ……ったく、ほんっと素直じゃないんだから。気になるなら電話に出てあげればいいじゃない」
「……うるさい」
「何年一緒にいても、そういうところは変わらないわね、アンタって」
「ほっとけよ。ばーか」
理人はふて腐れて再びテーブルに顔を埋めると、残っていた酒をぐいと飲み干した。
「どうでもいいけど、明日は同窓会なんだから飲みすぎないでよ? やけ酒飲んで二日酔いなんてシャレにならないんだから」
「オカンみたいなこと言うなよ、ケンジ」
「その名前で呼ばないでっていつも言ってるでしょ!」
「ふはっ、そうだったな。悪い」
ふっと口元を緩めた理人の笑みは、普段よりずっと幼く、無防備に見えた。それを見たナオミは、不覚にも胸を高鳴らせる。
「……アンタ、その顔は反則。うっかりお持ち帰りしたくなるオッサンの気持ちがわかるわ……」
「あん? 何言って――」
「理人さん!!!」
文句を言おうと身体を起こしかけた、その瞬間だった。 店の扉が、壊れんばかりの勢いで弾け飛ぶように開いた。 鋭く名前を呼ばれて振り向くと、そこには肩を激しく上下させ、乱れたスーツ姿で立ち尽くす瀬名の姿があった。