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不过我 不喜欢它 ↺
「らんらん、遅い。俺、待ちくたびれて干からびるかと思った」
校門の前、夕暮れに染まる坂道で、葉桜すちはガードレールに腰掛けてスマホをいじっていた。
高校の制服のネクタイを少し緩め、退屈そうに揺らしていた長い足が、俺の姿を捉えた瞬間に跳ねる。
「悪かったって、すち。中学の居残り補習があったんだよ。受験生はつらいの」
俺――百瀬らんは、背負ったスクールバッグの紐を握り直し、小走りで駆け寄った。
中学3年生の冬は、どこを見渡しても灰色で、冷たい空気のせいで息を吸うだけで肺が震える。
だけど、すちの前に来ると、その冷たさが少しだけ和らぐ気がした。
「補習なんて受けなくていいのに。らんらんは俺の言うことだけ聞いてれば、それで全部上手くいくよ?」
「そんなわけにいかないだろ。俺、すちと同じ高校に行きたいんだから。……あ、また『らんらん』って呼んだ。もう中三なんだから、外では『らん』って呼べよ、恥ずかしい」
「えー。らんらんはらんらんだよ。世界で一番可愛くて、俺の特別。何年経っても変えない。……ねえ、それより、その補習って男の先生? 周りに他の男の奴らとかいなかった?」
すちは悪びれもせず笑いながら、俺の頭を大きくて温かい手で乱暴に撫で回した。
けれど、その美しい瞳の奥にある光は、どこかひどく冷たく、俺を値踏みするように据わっている。
すちの手が、俺の髪から頬、そして首筋へと、まるで自分の所有物を確認するかのように、ゆっくりと不自然なほど深く愛撫するように滑り落ちた。
その指先の微かな震えに、俺は少しだけ息を呑む。
高校二年生のすちは、俺よりずっと背が高くて、大人びていて、学校でもきっとモテるんだろうなと思う。
幼馴染の贔屓目を抜きにしても、すちの端正な顔立ちは夕暮れの街並みの中でひどく目を引いた。
胸の奥が、ちくりと甘く痛む。すちは俺を”特別”だと言ってくれる。
だけどそれは、”あの時”の言葉のせいで、『居場所が俺の隣だけ』と思い込んでいるだけだ。
俺がすちに向ける、この熱くて、苦しくて、夜も眠れなくなるような”恋心”とは、きっと種類が違う。
(……気づかれたら、きっと嫌われちゃうな)
俺の父さんは、数年前に事故で急に亡くなった。それからずっと、母さんが女手一つで俺を育ててくれた。
すちの家も、すちが小さい頃にお母さんを病気で亡くして、お父さん一人の家庭だ。
お互いに欠けたものを持つ家庭同士、家族ぐるみの付き合いをしてきた。
特に、すちのお母さんが亡くなった時、小学生だったすちは、この世の終わりみたいにボロボロ泣いて、完全に心を閉ざしかけていた。
その時、まだ幼くて何も分かっていなかった俺は、すちの手を握って、必死に叫んだんだ。
『だいじょうぶ、らんがいるよ!らんはどこにもいかない。ぜったいにいなくならないから!!』
その言葉が、すちの救いになったのだと、すちのお父さんから後で聞いた。
だけど、あの時からだ。
すちの俺に対する態度が、どこか狂気じみた過保護へと変わっていったのは。
すちは俺を失うことを、世界の崩壊よりも恐れている。
時折、俺が他の友達と楽しそうに話しているだけで、すちは見たこともないような冷徹な目でその相手を睨みつけ、後で俺の身体を痛いくらいに抱きしめて『俺だけを見てよ』と囁くことがあった。
俺は、すちの「居なくならない聖域」で居続けなきゃいけない。
だから俺は、この恋心を隠し通さなきゃいけない。
これ以上、すちを不安にさせないために。
「ねえ、らんらん。らんらん?聞いてる? 」
「あ、ごめん……考え事してた」
「……ふーん。何考えてたの? 俺以外のことなら、全部壊しちゃいたいな」
冗談めかして笑うすちの目が、一瞬だけ本気で濁る。
俺はその視線の重さに、体の奥が疼くような錯覚を覚えた。
「あ、そうだ。明日、お父さんとお母さんから『大事な話』があるってさ。らんらんの家で一緒にご飯食べるって。……何の話か、分かってる?」
すちが、俺の顎をそっと指先で掬い上げ、探るように覗き込んできた。
逃げ道を塞ぐようなその仕草に、心臓が跳ねる。
俺は小さく頷いた。
お互いの親が、最近いい雰囲気なのは気づいていた。
「多分……再婚、するんだと思う」
「そっか。じゃあ、らんらんは本当に俺の『弟』になるんだね」
すちは、どこか遠くを見るような目で、だけどひどく満足そうに、ゾッとするほど深く微笑んだ。
「百瀬」から「葉桜」へ。
名字が変わる。
俺たちは義理の兄弟になる。
それは、すちの一番近くの席を永久に手に入れる権利のようでもあり、同時に、この恋心が永遠に実らないことを確定させる「呪い」のようでもあった。
両親の再婚は滞りなく進み、俺と母さんは、すちの住む大きな一軒家へと引っ越すことになった。
名字が「葉桜」に変わり、四人の新しい家族としての生活が始まった。
それから、数ヶ月が経った。
季節は冬から春、そして初夏へと移り変わっていく。
その間、俺たちの家にはずっと穏やかで、温かい時間が流れていた。
――少なくとも、表面上は。
「ほら、らんらん。これ俺のお下がりの参考書。高校に入ったらすぐ使うから、今から予習しなよ」
「うわ、すちの字、意外と綺麗なんだな。ありがと」
「意外とは余計。俺、らんらんの前では完璧なお兄ちゃんでいたいんだから」
「……ねえ、らんらん。もう他の男の連絡先、全部消したよね? スマホ見せて」
自分の部屋の机に向かう俺の背後から、すちが当然のように抱きついてくる。
高校生らしい少し硬い骨格と、お気に入りの柔軟剤の匂いが俺を包み込む。
すちの手は、当たり前のように俺のポケットからスマホを抜き取り、画面をチェックし始めた。
「……すち、近いって。狭いから離れてよ。スマホも勝手に見ないで」
「やだ。こうしてると、すごく安心する。ねえ、もう一回『すち』って呼んで? ほら、このクラスの男子のライン、非表示じゃなくてブロックしとくね」
「さっきから呼んでるだろ……。もう、好きにしていいよ」
「うん、らんらんは俺の言うことだけ聞いてればいいの。お兄ちゃん、って呼んでみてよ」
「絶対に嫌」
俺が顔を真っ赤にして拒絶すると、すちは嬉しそうに喉を鳴らして笑い、俺の首筋に深く顔を埋めて、深く息を吸い込んだ。
まるで、俺という存在を五感のすべてで摂取して、自分の命を繋ぎ止めているかのように。
新しいお父さんも、俺を本当の息子のように優しく迎えてくれた。
母さんも、久しぶりに見るような明るい笑顔で、新しい旦那さんと笑い合っている。
新しい生活にようやく馴染み、この幸せがずっと続くのだと、誰もが信じて疑わなかった。
そんなある日、両親が「落ち着いたから、遅めの新婚旅行に行ってくるね」と言い出した。
これまで子供たちのために必死に働いてきた二人が、初めて自分たちのために使う、2泊3日のささやかな国内旅行だった。
出発の朝。
玄関には大きなスーツケースが置かれ、母さんは少し照れくさそうに、だけど本当に幸せそうに笑っていた。
「らん、すち君。留守番よろしくね。ご飯は冷蔵庫に作り置きがあるから」
「分かってるよ。母さん、楽しんできてね」
「うん。3日くらいで帰ってくるからね。すち君の言うこと、ちゃんと聞くのよ」
お母さんは俺の頭を優しく撫でて、そう言った。
“「3日くらいで帰ってくるからね」”
その、あまりにもありふれた、何気ない約束が、母さんが俺に残した最後の言葉になった。
二人が出発してから2日目の夜。
激しい電話のベルが鳴り響いたのは、深夜2時を回った頃だった。
リビングから聞こえる固定電話の音に、俺とすちは同時に目を覚ました。
廊下に飛び出して受話器を取ったすちの目が、大きく見開かれる。
「旅行に、行ってるはずで……」
新婚旅行の滞在先に向かう途中、大雨による土砂崩れが二人の乗るレンタカーを直撃したという。
病院に駆けつけた時、世界は完全に色を失っていた。
鼻を突く消毒液の臭い。
冷たい廊下。
外はあんなに激しい雨が降っているのに、病院の中は不気味なほど静かだった。
そして、白い布をかけられた、二つのベッド。
「母さん……? ねえ、嘘でしょ、起きてよ……!」
俺は母さんの冷たくなった手を握りしめ、叫んだ。
3日くらいで帰ってくるって言ったじゃないか。
ちゃんと留守番して、すちの言うことも聞いて、待ってたのに。
どうして。
どうして俺の大切な人は、いつも俺を置いて急にいなくなってしまうの?
父さんの時もそうだった。
そして今度は、母さんまで。
「らんらん……っ」
すちは、激しく震える俺の体をそっと引き寄せ、強く抱きしめた。
それでも、俺の心は、急速に摩耗し、ひび割れ、崩壊していった。
数ヶ月間、確かにそこにあった「温かい家庭」という光が強かった分、突き落された闇は深く、冷たかった。
世界から、完全に足場が消えた。
俺の手の中には、もう何も残っていない。
お母さんの最後の言葉が、呪いのように頭の中でリフレインする。
(帰ってくるって言ったのに。嘘つき。みんな俺を置いていちゃうんだ)
指先一つ動かせない。
涙すら出ない。
頭の中が、真っ白なノイズで埋め尽くされていく。
俺は、何のために生きているんだろう。
これから、どうやって生きていけばいいんだろう。
暗闇の底へ、どこまでも、どこまでも落ちていく感覚だけがあった。
その時、俺を抱きしめるすちの表情がとろけるような歪んだ笑みだったことを、俺は知らない。
「らんらん」
どれくらい時間が経ったか分からない。
暗闇の中で、俺の名前を呼ぶ声がした。
気がつくと、俺は自分の部屋のベッドの上に横たわっていた。
カーテンの隙間から、薄暗い月明かりが差し込んでいる。
枕元に、すちが座っていた。
すちの瞳の奥には、妙に据わった、冷徹なまでの光が宿っていた。
それは再婚前から時折見せていたあの歪な光が、完全にストッパーを失って溢れ出したかのような、圧倒的な光彩だった。
「……す、ち……」
俺のひび割れた声に、すちが反応する。
すちはゆっくりと手を伸ばし、俺の頬を包み込んだ。
その手が、驚くほど熱くて、俺はビクリと身体を震わせた。
「らんらん。怖かったね。辛かったね」
「お母さんが……お母さんが、いなくなっちゃった……。帰ってこない。俺、一人になっちゃった……」
堰を切ったように、抑えていた感情が溢れ出した。
俺はすちの服の胸元を両手で掴み、子供のように声を上げて泣いた。
「一人じゃないよ」と、大人は綺麗事を言う。
だけど、本当の一人だ。
俺を無条件で守ってくれる血のつながった家族は、もう誰もいない。
「一人じゃないよ」
すちが、俺の身体を強く抱きしめた。
骨がきしむほどの強さで、俺を自分の身体の中に埋め込もうとするかのように。
「俺がいる。らんらん、俺を見て。俺がここにいるよ」
「すち……っ、でも、俺、もうどうしたらいいか分からない、頭が変になりそうんだ……!」
「分からなくていい。何も考えなくていいよ。らんらんの親は死んじゃった。俺の親も死んじゃった。世界は俺たちを裏切ったんだ」
すちの声は、酷く静かで、どこか恍惚とすらしていた。
耳元で囁かれるその声は、絶望の底にいる俺の鼓膜に、甘い毒のように染み込んでいく。
「でもね、らんらん。神様は、俺たちの邪魔者を全部消してくれたんだよ?」
「え……?」
俺は涙に濡れた目を上げて、すちの顔を見た。
すちは、笑っていた。
それは、見たこともないような、深く、暗い、美しい微笑みだった。
「だって、これで本当に、俺とらんらんだけになった。もう誰も、俺たちの間に挟まれない。誰も、らんらんを俺から奪えない。……ずっと、こうなりたかったんだ。らんらんが、俺だけのものに」
「すち、何を、言って……」
「らんらんは昔、俺に言ってくれたよね。『らんはいなくならない。ぜったいにいなくならない』って」
「あの時から、俺の生きる意味はらんらんだけなんだよ。お父さんが死んだのは悲しい。でも、らんらんと二人きりになれた。俺は今、すごく満たされてる……♡♡」
すちの細い指が、俺の涙を優しく拭う。
その触れ方は、まるでお気に入りの壊れやすい玩具を愛でるかのようだった。
常軌を逸している。
だけど、今の俺には、その狂気すらも心地よかった。
世界中が俺を置き去りにしたのに、すちだけが、元からの依存心をさらに剥き出しにして、俺を異常なまでの熱量で求めてくれている。
「生きる意味」だと、言ってくれている。
「らんらんは、俺の言うことだけ聞いてればいいの。学校も、未来も、生活も、全部俺がなんとかする。らんらんは、俺の腕の中で、ただ息をしてて。俺から離れないで」
「……うん……」
俺は、すちの首に両手を回した。
すちの胸に顔を埋めると、トクトクと刻まれる心臓の音が聞こえる。
外の世界の人間を遠ざけようとしていたすちのあの視線は、この日のためにあったのだと、今なら分かる。
もう、何も考えたくない。
受験も、将来も、親のいない現実も、全部捨ててしまいたい。
すちが俺を求めてくれるなら、この壊れた世界で、すちのためだけに生きていけばいい。
「あぁ……らんらん、可愛い♡♡ 大好きだよ。俺のらんらん。離さない、絶対に離さないからね」
すちは俺の髪に何度もキスを落とした。
その執着に満ちた愛撫に、俺は身体を委ねる。
元々あった俺の甘い恋心は、絶望の泥とすちの狂気によって、急速に黒く、深く、歪な形へと変貌していく。
それは、お互いの傷口を舐め合うような、終わりの始まり。
それから数日が経った。
俺たちは、学校へ行くのをやめた。
外の世界から遮断された葉桜の家の中で、俺とすちだけの時間が流れている。
リビングのカーテンは閉め切され、昼か夜かも分からない薄暗闇の中。
すちはソファに座り、その膝の上に、俺を抱っこするように乗せていた。
中学生の俺の身体は、すちの腕の中にすっぽりと収まってしまう。
「らんらん、あーんして」
すちが、フォークで小さく切ったイチゴを俺の唇に押し当てる。
俺は自分の手を使わず、言われるがままに口を開いて、それを受け入れた。
「美味しい?」
「うん……甘い」
「よかった。らんらんが食べる姿、ずっと見てたいな。ねえ、もう俺の手からしか食べちゃダメだよ? 俺がいないと、ご飯も食べられない悪い子になって?♡」
すちの言葉に、俺は拒絶を覚えるどころか、淡い快感すら覚えていた。
自分で歩く必要も、自分で生きる必要もない。
すちの所有物として、すちの体温だけを感じて生きていく。
それが今の俺にとって、唯一の「安全な揺り籠」だった。
すちの手が、俺の服の裾から滑り込み、細い腰をゆっくりと撫で上げる。
幼馴染の境界線は、とっくに消え失せていた。
すちの瞳に映る俺は、もうただの弟じゃない。
すちの人生のすべてを捧げるための、特別な「お人形」だ。
「らんらん、俺のこと、好き?」
「……うん。大好きだよ、すち♡」
俺が囁くと、すちは酷く歪で、だけどこの世の何よりも美しい笑顔を浮かべ、俺の唇に、自分の唇を重ねた。
それは、お互いがお互いなしでは一歩も前に進めなくなった、底なしの沼への口づけ。
外の世界では、新しい季節が巡ろうとしている。
だけど、この暗い部屋の中で、俺たちは二人だけで、永遠に枯れない「葉桜」の檻に閉じこもり続けている――。
to be continued_
合作相手…ᜊ_みʓく。ᜊ様
後編はᜊ_みʓく。ᜊ様の垢へ_。
コメント
3件
すきですありがとうもうふぁぐふっ 気を取り直しまして。 翠桃だっっっ ここに助かる命①があります。 クオリティ高すぎだろっっ バグでしょ。なんか上手すぎてバグを疑ってきた((((( 共依存らぶ というわけであてぃしの癖にぐさくさ刺さってきましたどうしましょう おっとチが(まぁてぇてぇ摂取すれば治るんだけどね) はぁはぁはぁ なんかもう踊りだしたくなってきた(?) テンション上がって長文なりました。 失礼しました。 今回もさいこぉぉぉぉぉぉぉだったよぉぉぉぉぉぉぉ.ᐟ.ᐟ.ᐟ.ᐟ.ᐟ.ᐟ.ᐟ.ᐟ(叫
あー、これ……めっちゃ重いやつだわ。でも刺さった。 すちの執着が「らんらんを失うのが怖い」だけじゃなくて、両親が事故で消えたことで完全にストッパー外れて「俺だけのものになった」って歪んだ歓びに変わるところ、ゾッとするほど美しくて鳥肌立った。らんの側も、絶望のどん底ですちの狂気に甘えるしかなくなる流れが自然で、読んでて息苦しかった。 「葉桜の檻」ってタイトル回収も含めて、続きが気になりすぎる。この歪な共依存、どこまで堕ちていくんだろう……🔥