テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
りおりんご🍎
2,397
今中希美
#ご本人様には関係ありません
みら

923
#魔法使い
MOCHI076
4,961
9月12日(履行まで、あと5日)
夢の中でも、ジンは出窓の上にいた。
いつものクッション、いつもの窓。
けれど、外の景色がおかしい。マンションの前の道も、駅へ向かうビルの群れも、灯りという灯りが消えていて、かわりに、星が地面近くまで降りてきている。
これは夢だ、とジンはすぐに気づいた。
夢のはずなのに、クッションの沈み具合も、窓ガラスの冷たさも、妙に生々しい。
「どーもー。あー、おったおった」
声は、真後ろからした。
振り向くと、出窓の端に見知らぬ男が腰かけていた。
夜空をそのまま縫い留めたような、深い紺のローブ。袖口から裾まで、金糸で星座が刺繍されている。
頭には三日月がついた帽子。
手には、先に小さな懐中時計をぶら下げた杖。針は、午前0時ちょうどを指したまま動かない。
どう見ても怪しい。誰だこいつ。
「……誰ですか」
「魔法使いの太智や。夢の中にしか入られへんから、お邪魔しまーす。あんたがジンくんね?」
軽い。
ジンは耳を伏せ、毛を逆立てた。
「なんで俺の名前を」
「なんでって、聞こえてたんだもん、あんたの願い。ちょっと待って、そんな警戒せんとってよ」
太智はけらけら笑い、ローブの懐から分厚い革の帳簿を取り出した。
「人間になりたいんやろ? 叶えるチャンス、あげるわ」
「は?」
調子のいい相手を、真に受けるとろくなことにならない。
「うわー、なんなんその反応。夢とか希望とかないの?俺、魔法使いやで」
「魔法使いは、うさんくさい帳簿なんて持ち歩かないだろ。なんですかそれ」
「シゴデキは、フィーリングじゃなくて、契約書を残すわけよ。このご時世」
「は?」
「だーかーら、これは、魔法の契約書!今から読んだる」
「いや、自分で読めますんで」
太智の目が丸くなり、それから肩を揺らして笑い出した。
「おぉ!しっかりしてんな!ええよ、ええよ。契約をちゃんと読む子のほうが、信用できるじゃんね」
帳簿が宙に浮かび、ジンの目の前で開いた。
小さな字がびっしりと並んでいる。ジンは、一行ずつ目で追った。
「十二時に人間になるって、昼ですか、夜ですか」
「はぁー?夜に決まっとるやん。魔法っていうのは夜って相場が決まっとるねん」
「夜明けというのは、日の出ですか。空が白み始めた時ですか」
「日の出! 日の出で!」
「『飼い主がそばにいる』の『そば』は」
「同じ部屋。扉で仕切られてへん、同じ空間のこと。寝ててもオッケー」
「別室で寝落ちされたら」
「その夜は、変身できへん」
「別々の場所にいる夜は」
「離れてたら、そもそもあかんやん!」
「服は」
「ちゃんと着てるって。サイズも合わせるし、裸で放り出すほど鬼ちゃうし」
一通り読み終えて、ジンは黙り込んだ。
細かい穴はあるが、言われたことと書かれたことに食い違いはない。
だからこそ、肝心なところが怖い。
「……契約の内容を、飼い主に話した場合」
「絶対、あかん」
太智の声が、ほんの少し変わった。
「魔法使いのことも、期限のことも、全部。話した瞬間に、二度と人間にはなれへん。たとえあんたが困ってても。たとえ飼い主さんが泣いてても。契約は、変えへん。そこだけは、俺、ほんまに厳しいで」
意地悪で言っているのではない。
この男は、そういう仕事をしているのだ。ジンには、それが分かった。
「勇斗は、俺が俺だって、分かるんですか」
「分かる。姿が違っても、あんたはあんたやって、ちゃんと伝わる。なんで人間になれたんかは、話されへんけどな」
ジンは息を吸って、最後の条文に目を落とした。
「『契約日より百日以内に、飼い主から「明日も一緒にいてほしい」と、心から告げられること』」
「うん。数えたら12月25日。クリスマスや。商売的にもキリがイイじゃん!」
「叶わなかった場合は」
「あんたの人間になる魔力、返してもらう。もう二度と、人間にはなれへん」
勇斗が、「明日も一緒にいてほしい」と言う。
猫に、ではなく。可愛い猫だから、でもなく。
そんな日が、本当に来るのか。
「太智さん」
「ん?」
「俺が人間になっても、愛想悪いですよ。口も悪いし、素直じゃないし、可愛げもない」
「うん、ぽいな」
「だったら」
太智が帽子のつばを、軽く持ち上げた。
さっきまでの軽さが嘘のように、静かな声が落ちた。
「魔法で姿を変えることはできる。でも、誰かの心までは変えられないんだよ」
ジンは、息をのんだ。
「せやから、気に入られようとして、顔を作らんでええ。ツンツンしとるのも、素直になれんのも、全部あんたや。ありのままのあんたを、見てもらえるかどうか。勝負はそこだけやで」
ありのままの、俺。
猫のくせに、人間みたいなことばかり考えて。
口が悪くて、素直じゃなくて、それでも毎日あの背中を見送っている、俺を。
「……分かりました」
「ほな、ここに、肉球ね」
差し出された朱肉に、ジンは前脚をそっと乗せた。
ためらいながら、契約書に押す。赤い小さな跡が、星屑のようにほのかに光った。
「オッケー、オッケー! 契約成立! 始まりは、来週の木曜、9月17日の午前0時ね」
「……来週?」
「うん」
「いや、おかしいだろ! こういうのって今夜からじゃないんですか」
「こっちも準備とかあんねん! 契約書も提出せんといかんし、服の手配もあるし、今夜もう一件あるし」
「もう一件?」
「あっ」
太智が、自分の口を押さえた。
「いまの、聞かんかったことにして。守秘義務やから」
雑すぎる。
ジンは疑わしげに目を細めた。
川沿いの遊歩道に、シュンは立っていた。
夜なのに、不思議と明るい。
川面に星が映って、足元の砂利までうっすら光っている。いつもの散歩道だ。
けれど、リードの先に、柔太朗がいない。
夢の中だ、とシュンにも分かった。
それなのに、地面のひんやりした感触だけは、やけにはっきりしている。
「ちょっと待って、ちょっと待って、はやい!走らんといて!」
背後から、息を切らした声が追いかけてきた。
振り向くと、星空色のローブを引きずった男が、杖を片手に全力で走ってくる。
「兄ちゃん、誰や?」
「魔法使いの太智や! 夢の中でしか会われへんから、必死で追いかけたわ……あんた、足速すぎやって。さっきの子は、ずっと窓辺で座っとったのに」
「さっきの子?」
「あ、いまのも聞かんかったことにして!」
太智は咳払いをひとつして、杖の先の懐中時計をシュンに向けた。
「ごほん。あんた、ずっと願っとったやろ。人間になりたい、って」
「……なんで、それ」
「聞こえてたんだもん。俺はな、その願いを叶えるチャンスをあげる魔法使いなんよ」
シュンは、ぽかんと口を開けた。
人間に。俺が。
次の瞬間、尻尾が千切れそうな勢いで振れた。
「人間になったら、柔と喋れるん!?」
「喋れるし、ご飯も一緒に食べられるし、手も繋げるで。ただし、条件つき」
「ほな、俺、なる!」
「待って待って、ちゃんと聞いて!」
「めっちゃ聞くで。なる。ありがとうな!」
「聞いてから決めてや!」
太智は頭を抱え、深いため息をついてから、帳簿をシュンの前に広げた。
「……ええか。あんたは、毎晩午前0時に、人間の姿になれる。飼い主さんが同じ部屋におる時だけ。夜明けには、元の姿に戻る」
「うん」
「契約の中身は、飼い主さんに話したらあかん。話したら、その時点で二度と人間になれへん。例外なし」
「うん」
「百日以内に、飼い主さんから『明日も一緒にいてほしい』って言葉を、ほんまの気持ちで言ってもらうこと。できへんかったら、魔力は返してもらう。もう二度と、人間にはなられへん」
そこまで一気に言って、太智はシュンの顔を見た。
シュンは、笑ったままだった。
けれど、その目が、一瞬だけ、すっと冷静になった。
「つまり」
「うん」
「柔がどんなに聞いてきても、俺は、理由を言われへん」
「……そう」
「契約のことを言わんまま、百日で、ほんまに好きになってもらうしかない。そういうことやんな」
「お、ちゃんとわかってるやん」
「ほんで、期限は、12月20日」
「計算早っ」
太智は感心したように目を丸くして、それから、少し困ったように笑った。
「普通、そこまで分かったら、怖なって引くんよ」
「怖いけど、やる」
あっさりと、そう言った。
笑顔のまま、けれど目の奥の静かな熱だけは、消えていなかった。
太智は、帽子のつばを指で押し上げた。
「魔法で姿を変えることはできる。でも、誰かの心までは変えられないんだよ」
声の調子が、変わった。
「せやから、あんたも、いつも明るくて、いつもええ子でおらんでもええ。しんどい時は、しんどい顔してええ。寂しい時は、寂しいって言うてええ。ありのままのあんたを、見てもらえるかどうか。それだけやで」
シュンは、返事ができなかった。
ほんまは、ずっと、寂しかった。
柔が出かけたあとの部屋で、窓の前で待つあいだ、ほんまはけっこう寂しかった。
それを、見せたことはない。見せたら、あの人はもっと疲れてしまうと思っていたから。
「……見せても、ええんかな」
「見せられるかどうか。そこが勝負やな」
シュンは、前脚をそっと朱肉に乗せた。
迷いのない動きで、契約書に押す。肉球の跡が、金色にほどけるように光った。
「始まりは、来週の木曜、9月17日の午前0時」
「来週? なんでなん? 今日からでもええやん」
「どいつもこいつも…こっちも準備とかあんねん! 服の手配も、書類も、あと、さっきの……いや、なんでもない」
「来週からやったら、期限間違えてない?もう一回、確認してや」
「あっ、そうやな、あんたが言う通り期限、間違えとった。12月25日な。ちょうど」
「クリスマスや」
「ごめんごめん。営業日の数え方、難しいねん」
「しっかりしてや」
太智は誤魔化すように、杖をくるりと回した。
先の懐中時計の針が、午前0時のまま、きらりと光った。
9月13日(履行まで、あと4日)
勇斗は、日曜の昼前まで見事に寝ていた。
起き出してからは、掃除機をかけ、洗濯機を回し、冷蔵庫の中身を整理する。
ジンは出窓の上から、その背中を見ていた。
あと四日。四日後の夜、自分はこの人の前に、人間の姿で立つ。
何から話せばいい。おはよう、ではない。初めまして、でもない。何を言っても、らしくない気がする。
「ジンちゃん、今日ずっと俺のこと見てね?」
掃除機の音が止んだ。勇斗が、スティックを持ったまま振り返っている。
見てない、の代わりに、ジンはぷいと顔をそむけた。
「いやいや、今日は特にだって。それに、なんかいいことあっただろ。尻尾の揺れ方が違うもん」
そんなところまで、見ているのか。ジンは固まった。
「ほら、図星。かわいいなぁ、お前」
大きな手が、ジンの頭をぐしゃぐしゃにかき回す。
いつものことだ。いつものことなのに、
今日は少しだけ、胸が痛い。かわいい。猫へのいつもの言葉。
あと四日後、ほかの言葉をもらえるだろうか。
勇斗が、ふと思い出したように言った。
「あ、今週さ、水曜はクライアントの接待で、帰り遅くなりそうなんだわ。ごめんな、ジンちゃん。日付変わる前には、なんとか帰るから!」
日付が、変わる前には。
ジンの耳が、ぴくりと立った。
水曜は、9月16日。初変身の、前の夜だ。
夕方の川沿いを、柔太朗はゆっくり歩いていた。
日曜の夕方でも、どこか肩に力が入ったままだ。シュンは、その横顔を見上げていた。
あと四日。
四日後から、俺は、この人の名前を呼べる。柔、と。
……その時、俺は何を言うんやろ。
「どうしたの、シュン。今日はずっと機嫌いいね」
柔太朗が、立ち止まった。夕暮れの光が、色白の頬に当たっている。
「何かいいことあった? ……なんてね。犬に聞いても、分かんないか」
小さく笑った。
「でも、お前を見てると、肩の力が抜けるんだよね。不思議だけど」
シュンの胸が、きゅっとなった。
それは、俺がずっと笑ってるからや、と思う。
いつも元気で、いつもええ子の俺を、この人は好きでいてくれる。
それが、嬉しい。嬉しいのに、夢の中で聞いた言葉が耳に残っている。
しんどい顔、してええんや。
シュンは、柔太朗の足にそっと頭をこすりつけた。
今はまだ、返事ができない。
9月16日(履行まで、あと1日)
夜十時。
勇斗は、まだ帰ってこない。
ジンは玄関の前に座って、壁の時計を見上げていた。
十一時。十一時半。
「日付変わる前には、なんとか」
——「なるべく早く」が守られた日は、数えるほどしかない。
尻尾が苛立って、床を叩く。
十一時四十二分。鍵が回った。
「ジンちゃん、ただいま!! ごめん、遅くなって! まじでダッシュで帰ってきた」
ネクタイは曲がり、息は上がっている。
ジンは「別に?」の顔を作ったが、尻尾だけは、止まらなかった。
「おっ、待っててくれたの? えらいなぁ」
勇斗はそのままリビングへ向かい、ソファに倒れ込んで、ノートパソコンを開いた。
「ちょっとだけ、メール返したら寝るから」
ジンは音もなくその膝に飛び乗った。
同じ部屋。いちばん近い場所。
「お、珍しい。今日はサービスいいじゃん」
壁の時計は、十一時五十八分を指している。
その少し前から、柔太朗はベッドに入っていた。
シュンはベッドの縁に前脚をかけ、よじ登る。
いつもは、足元の自分の寝床で丸くなる。
今夜は、枕元まで進んだ。
「……珍しいね。今日は、こっち?」
半分眠った声で、柔太朗は布団の端を持ち上げた。
シュンは、その隙間にすべり込む。
「おやすみ、シュン」
すぐに、静かな寝息が聞こえた。
窓の外には、満月に近い月。シュンの心臓が、どくどくと鳴っている。
9月16日、午後11時59分。
二つの部屋で、二匹が、同じように息を止めた。
コメント
6件

よっしゃ好きです!! お話を読んでるとどうやら❤️💛の2匹のつながりが今後何かしらありそうな…? 大魔法使い太智様(?)もなにか隠し事をしてらっしゃるようですし。 細かな部分で「お?これはなんかありそうだな?」って感じさせるのがもうね… だんだん秘密明かされてくのも大好き展開なんですよ!! 続きが楽しみです✨️✨️

うわーー!!!!神ですねあなたは神です(断言) こういう系まじで好きなんですよ続きが楽しみ過ぎて夜しか寝れない笑笑 気長に続き待ってます♪

このお話を読んでいて、イメソンでは決してないのですが(笑)、かわいい かわいい かわいすぎる、のフレーズが頭を過ります。 後だし的ですが、一話のラスト、青い人だよね、と思っていたら登場。猫ちゃん、犬くんとの会話が楽しすぎます。 他にも同じ願いを持つものがいることが守秘義務なのも何か展開に関わるのか?と思ってみたり、種族の違いからかわいいだけではないのでしょうが、かわいすぎる、です。