テラーノベル
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静かな廊下には、二人の美青年だけが取り残されていた。 一人は頬を真っ赤に染め、震える手で口元を押さえている。焦りが隠せない。
もう一人は、同じように頬を赤らめながらも、どこか申し訳なさそうに眉を下げていた。
「 あ、そ、……その っ… ⸝⸝ 」
なつの声は裏返り、廊下に情けなく響く。
映画の研究で何度も見てきたこういう場面。
けれど、まさか自分がその当事者になるなんて思ってもいなかった。
現実に起きてしまうと、どう動けばいいのか全く分からない。 胸がドクドクとうるさくて、思考がまとまらない。
「 …っ、 」
一方、ほんのわずかに冷静さを取り戻しつつあるいるまは、 どうすればこの混乱をほどけるのか、必死に考えていた。
「 …なつ、ごめん… ⸝⸝ 」
なつと目を合わせないまま、低く、掠れた声でいるまがつぶやく。
「 俺が、抱きついちゃったから…ご、ごめんなさいっ、!⸝⸝ 」
なつも視線を床に落とし、同じように目を合わせられない。 互いに謝るばかりで、どちらも顔は真っ赤だ。
しばらく沈黙が落ちたあと。
「 部室……行こ、… ⸝⸝ 」
いるまが小さく言い、そっとなつの手を取った。 温度が触れ合った瞬間、なつの肩がびくっと震える。
少し距離が近いまま、二人は並んで歩き出す。
廊下の静けさが、かえって二人の心臓の音を際立たせていた。
「 あれ、随分と遅かったね。」
机の上に乗って台本を確認していたすちが顔を上げた。 部室にはすでに全員が集まっていて、にぎやかな気配が広がっている。
「なっちゃん、顔真っ赤やで? なんかあったん?」
みことが心配そうに、でも興味津々でなつの顔を覗き込む。
「……っ……////」
なつは慌てて視線をそらすが、頬の赤みは隠しようがない。 そのすぐ横で、いるまも同じく目をそらし、妙に静かだ。
そんな二人の様子を見て、 こさめとらんは同時にニヤァ……と口角を上げた。
「 おやおやぁ?なに、この空気〜? 」
「 ねー、なんかあったんじゃない? 」
「 うるせぇ!うるせぇ!⸝⸝ 」
なつは耳まで真っ赤になった。
「 はいはい、全員集合いたし、活動内容について説明する。」
すちがパンッと手を叩き、全員を前へ向かせる。
部室に集まった視線がすちへ移るにつれ、 やっとなつはほっと息をついた……が、
( やっばい、…多分 めっちゃ…顔赤い… )
活動内容の説明が終わり、 すちは机の横に積んであった黒いノートを、一冊ずつ配り始めた。
表紙には、銀色のペンで
【 銀河鉄道の夜 】
と書かれている。
「今回の文化祭の作品はこれにするよ。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』。 お話が長いから、舞台として必要な部分だけ抜粋してまとめてるよ。」
「へぇ〜……省略版なんですね」
らんがノートをパラパラとめくり、細かく書かれた文章を追う。
その隣で、なつもノートを開きながら内容を読んでいたが…
あるページで手が止まる。
(あれ、…これって。)
なつはそっと手を挙げた。
「……すち先輩」
「ん? なに?」
「これ……もしかして……」
勇気を振り絞って言う。
「手書きですか? 全部……」
部室の空気が、一瞬ピタッと止まる。
「 え、全部って……これ100ページくらいあるよね?まさか、全部書いたんですか?」
「 うん、手書き。だって打ち込みだと、温度感伝わらない気がして。」
「 えっぐぅ… 」
「 つ、伝わりますよ! 」
みことノートを胸に抱えながら、
文字の丁寧さや線の強弱にじんとする。
「 さっすが、すっちー… ✨️ 」
そう呟くみことの横で、 いるまは小さくため息をついた。
(……変なところ細かいよな…)
1時間後。
部室にぱんっと軽い音が響き、 すちが手を叩いて締めに入った。
「はい! じゃあ役が決まったから、 それぞれ台本を全体的に読んでおいて、 次回は立ち稽古に入るよ〜。練習しといてね。」
「 はーい! 」
こさめが誰よりも大きな声で返事する。 その明るさにつられて、周りも自然と笑ってしまう。
らんは椅子に座り、台本をペラペラとめくった。
(俺は……カンパネルラ、か)
ページの上部に書かれた自分の役名を指でなぞりながら、
胸にほんの少しざらつくものが残る。
(主役……取れなかったけど、 でもカンパネルラって、ジョバンニの“親友”で、 最後のあのシーンもあるし……めっちゃ重要だよね)
そう言い聞かせるように、らんは深呼吸する。
みことの方を見ると、台本を大事そうに抱えて
真面目な顔で読み込んでいる。
(みこと先輩の方が、経験あるし、 表現力もあるし…まぁ、仕方ないよね)
悔しさは確かにある
らんはページを一枚めくり、
カンパネルラが夕闇の中でジョバンニに語りかけるシーンに目を止めた。
(このシーン……絶対、上手くやりたい)
「 ………… 」
みことは手書きの台本を手元で開き、ジョバンニのセリフを指でなぞる。
心の中で少しつぶやいた。
(んー、…なつくんの方が、この役似合ってる気がするんやけどなぁ…)
ちらりと横を見ると、なつは集中して台本に向かい、細かくメモを書き込んでいる。
その仕草はまるで、宇宙の真理を追究する学者そのものだった。
なつの役、燐光を研究する学者。
ジョバンニに知識と学びの機会を与える重要な役目。 しかしセリフは少なめで、存在感は静かに光るタイプ。
なつは控えめに立ち回るつもりで、あえて目立たない役を選んでいるようだ。
みことは深呼吸して、自分に言い聞かせる。
(…俺も、頑張らなきゃっ。2年生やし!)
机に肘をつき、気合を入れ直すみこと。
この決意は、ただ役をこなすためだけじゃない。 演劇部としての信頼、仲間への想い、そして自分自身の成長。
横目でなつの集中する姿を見ながら、みことはそっと心の中でつぶやいた。
( ……俺も、あんな冷静さにに、少しでも近づけたらいいんだけど… )
「 さてと、俺もやるか… 」
ぺら…ぺら……
いるまは台本を手に取り、ページをめくる。
彼の役は**「 鳥を捕る人 」**
白鳥の停車場でジョバンニやカンパネラと出会い、鳥を捕ることを生業としつつ、人生や幸福について語る役。
重要な場面も多く、存在感のある役だ。
しかし、いるまの頭の中はさっきの事故ちゅーでいっぱいだった。
唇が触れ合った瞬間の感触、なつの驚いた表情、そして赤くなった頬……
それが頭から離れず、セリフの内容がすっと入ってこない。
「 すぅぅう、集中しゅうちゅう!…しゅう…ちゅう……ちゅう……」
ちゅうー
「 … くっそ、… ⸝⸝ 」
ちらり、と視線を上げると、なつが机の端で台本を見つめていた。
「 …… ! 」
目が合った。
しかし、なつはすぐに目をそらす。
( …嫌われてる、… )
いるまの胸の奥で、微かな動揺が広がる。
あの瞬間のことを、なつはどう思っているのか。 思わず視線を逸らしたあの仕草が、余計に心をざわつかせる。
台本の文字を追おうとしても、心ここにあらず。
「集中しろ、いるま……」
小さく自分に言い聞かせるが、どうしても視線はなつの方に向いてしまう。
( うぅ、このままじゃ…今日まったくもって練習できない!)
それでも、いるまは少しだけ肩を落ち着け、深呼吸をする。
事故ちゅーのことは一旦置いて、役者としての自分を取り戻さなければ…
「 うっし、… 」
「 うーん… 」
こさめの役は、銀河鉄道で出会う子ども。
家庭教師と一緒に豪華な客室に乗り、かつてタイタニック号の沈没で命を落としたとされる役だ。 家庭教師役のすち先輩と一緒に演技をするので、こさめは少し胸を高鳴らせていた。
たったったっ
「 すち先輩っ、! 」
元気よく声をかけるこさめに、すちは顔を上げて微笑む。
「ん、なーに?」
「俺、銀河鉄道の夜のこと、よく、分からないんですよ…」
すちはその言葉に少し驚き、はっと思う。
「あー、そうなんだ。んー……じゃあ、原作とこの台本を見比べてみるといいかな」
「見比べるんですか?」
こさめは首をこてっと傾げる。
「うん。多分、読み聞かせ用の資料があると思うから、聞いてみるといいよ」
「はい、ありがとうございます!」
こさめは少し目を輝かせながら、早速原作と台本を照らし合わせることを心に決めた。
土曜日の部活。
薄暗くてボロい部室に、みんなの声が響き渡る。 埃っぽい空気の中、それでも真剣に声出しをし、いくつかのシーンを合わせていく。
「はい、一旦休憩にしよっか」
すちが手を叩きながら言うと、
緊張がぱっと解け、みんな一斉にその場に座り込んだ。
こさめは勢いよく床に大の字になり、
「疲れたーー!!」
と叫ぶ。
「お疲れ様。演技、上手だったよっ!」
みことがこさめに近づき、タオルを差し出す。
汗が光る額に、そのタオルをふわっと当ててくれる。
「先輩もすごい上手でしたよ!」
褒め返され、みことは嬉しそうに目を細めた。
「んへへ、ありがとう」
その笑顔はふわふわしていて、
見ているだけでこさめまでつられて笑顔になるほどだった。
「ー、ーーー。」
なつは台本を胸の前にかかげ、決められた台詞を何度も、何度も口にしていた。
声の出し方、間の取り方、表情。
そのどれもが完璧に近づくまで、絶対に妥協しない。 その姿勢は、元天才子役と呼ばれた理由を十分に示していた。
「なっちゃん…少し休憩したら?」
らんが心配そうに覗き込む。
「 いや、まだここが…」
なつは眉間にシワを寄せて、台本の一部分を指でなぞる。
らんは苦笑して肩をすくめた。
「うーん…頑張りすぎて倒れちゃったら、練習できなくなっちゃうでしょ?
水分補給しないと」
その言葉に、なつは一瞬だけ動きを止めて、ぽつりと呟く。
「 …水筒、忘れた 。」
え…忘れたの?」
らんが戸惑うと、後ろからだるそうな声が落ちてきた。
「校舎裏に自動販売機がある。行ってこい」
机の上に座りながら、いるまが言う。
なつは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。…すち先輩、俺行ってきますね」
「うん、気をつけてね」
すちは優しく手を振る。
なつは台本を置き、
薄暗い廊下へと歩き出した。
⸻
「まだ四月なのに、もうこんなに暑いよね」
すちが天井を見上げながら呟く。
「ですよねー」
らんが汗を拭きながら頷く。
そのすぐ横で、
こさめがごろんと床で横になりながら、
「俺、春はもっと涼しいもんだと思ってた〜…」
と言い、 みことが笑ってタオルを渡してあげる。
和やかな空気が部室に流れるなか、
なつはひとり、静かな廊下を歩いていった。
まだ四月だというのに、外の空気は真夏のようにまとわりついてきた。
「はあ〜……あちぃ……」
なつは汗で前髪が額に張りつくのも気にせず、赤く火照った顔で歩き続けていた。遠くから、いや、すぐ近くからも、蝉の声が容赦なく響く。
ジィィィィ……
「うるせええええ……!」
思わずこぼれた弱音に、すぐ別の声が被さった。
『おめぇがウルセエえ!』
「えっ……?」
なつはきょろきょろと周囲を見回したが、もちろん誰もいない。幻聴か、蝉の声の聞き間違いか、そんなことを考える余裕すらなく、ただ前へ進む。
「はぁ、一体いつになったら着くんだよ…」
次第に歩くリズムが乱れ、足取りは重くなっていく。喉は乾き、息は荒く、視界の端がゆらゆら揺れた。
(やばい……これ……)
汗が一気に冷たく感じられ、脚に力が入らなくなったその瞬間、体がぐらりと傾いた。
「 っ! 」
支えもないまま、なつは横へ倒れ込んでいった。
すたすた…
「あれー?人が倒れてる。セミのぬけがらごっこ?」
のんきな声が、熱気の中に落ちた。
足音が近づいてきて、背の高い男性が影を落とした。夏の日差しから切り取られたその影だけが、なつに少しの涼しさを与える。
「おーい、大丈夫そ?」
指先で軽く肩を揺すられ、なつは微かに声を漏らした。
「う……ぅ、……うぅ……」
「おれま……こりゃ完全にやられてんな」
男は頭をかきながらしゃがみ込み、なつの額に手を当てる。
「熱っ、そりゃ倒れるわけだわ。」
ため息まじりの声とは裏腹に、その手つきは驚くほど優しい。
「しょうがない。起きるまで、涼しいところで面倒見てあげよっと」
男はひょいと、軽々とした動作でなつの体を抱え上げた。
「うわっ、軽… 」
強い日差しの下、二人分の影がゆっくりと動き始める。
「 ん……ん?」
まぶたがゆっくりと開き、ぼやけた視界に青空が広がる。 次の瞬間、頭の下にある柔らかい感触と、影になって自分を覗き込む人影に気づいた。
「あっ、起きた〜!」
明るい声が頭上から降ってくる。
「!?」
目が覚めたなつは一瞬で飛び起きた。そこにいたのは、顔面国宝級の青年。
整った顔立ち、透き通るような肌、そして膝枕という状況。
「 ぇっ、…な、なに!? 」
慌てて距離を取るなつを見て、青年はくすっと笑った。
「君〜、倒れてたよ? 大丈夫? 頭とか痛くない?」
「はっ、はい……!」
その声。
その明るさ。
そして――吸い込まれそうな、桃色の瞳。
(この声……この人……)
なつはゆっくりと顔を上げ、目を見開いた。
「 イレギュラーダイスのないこ…さん?」
青年は目を丸くしたあと、口元を緩め、肩をすくめた。
「……ありゃりゃ、バレちゃった? そう、俺は演劇団イレギュラーダイスのないこだよ〜」
「ほっ、本物……! でも、なんでここに?」
なつの声は驚きと混乱で震えていた。
ないこは指を頬に当てながら、いたずらっぽく笑った。
「俺は、この夢学園の卒業生! 今ではこの学園の関係者と、演劇団に所属! 二つの仕事を掛け持ちしてまーす!」
胸を張り、太陽みたいな笑顔で語るないこに、
なつはぽかんと口を開けたまま固まった。
「あー、びっくりしたよね? 俺、けっこうテンション高いらしいし、あはっ」
にこっと笑う。その瞬間、桃色の瞳が陽の光を反射して、美しく煌めいた。
「…………目、綺麗。」
なつの小さなつぶやきに、ないこは嬉しそうに目を細めた。
「俺、この目が特徴的なんだよね〜。
演技でも目はめっちゃ使うよって、前にインタビューでも言ったなぁ。」
その言葉に、なつは思い出す。
舞台の上で、感情をすべて目で語るように演じる彼の姿。 その美しさに見とれた日のこと。
「君は元人気子役、暇南月(ひま なつき)、だよね。」
ふっと、ないこが何気なく言ったその一言。
なつの肩がビクリと震え、表情に影が落ちた。
「っ……」
声が喉に詰まる。
空気がわずかに重くなったのを感じたのか、
ないこは自販機横に置いてあった紙コップに水を注ぎ、そっと差し出した。
「……はい、水。」
「…ありがとう、ございます……」
指先が触れそうになるくらい近い距離なのに、
なつは手を震わせながら水を受け取った。
その横顔を見つめるないこの瞳は、さっきよりも静かで優しい光を帯びていた。
「「 ………… 」」
しばらく、ないこは言葉を挟まず、 ただじっとなつの横顔を見つめていた。
その視線に耐えきれなくなり、なつが小さく身じろぎした瞬間。
「俺ね、君の演技、大好きなんだ。」
「え……?」
唐突に告げられた言葉に、なつの心臓が跳ねる。
「君の演技は、人の視線を自然と、自分に引き寄せることができる。」
柔らかい声音なのに、不思議と背筋に寒気が走った。
ないこは続ける。
「多分、君は気づいてない。 いや……気づきたくないのかな?」
その言葉と同時に、
ないこの手がすっと伸び、なつの頬に触れた。
「 っっ! 」
温かいはずの手のひらなのに、ぞくりとした。
「な、ないこ……さん?」
呼びかけた声は震えていた。
「 …… 」
ないこは答えない。
代わりに体をわずかになつへ傾け、
指先で頬をやさしく撫でるいや、探るように触れ続ける。
何本かの指が、なつの頬をゆっくり、なぞる。
「……ふふっ。」
それは笑みの形をしているのに、 なつは本能的に危険だと感じた。
目を合わせた途端、 ぞわっと背骨に冷たいものが走る。
桃色の瞳はさっきの明るさを失い、 美しすぎるほどに静かで、底が見えない。
恐怖が喉につかえて声が出ない。
「あ……うっ……え……」
なつは動けない。
目を逸らそうとしても、ないこの視線が絡みついて離さない。
なつの心臓の音だけが、熱い空気の中でやけに大きく響いていた。
「 ……っ、」
なつが固まったまま、ないこの瞳を見返していると。 ないこは急に、まるで何事もなかったかのようにぱっと手を離した。
「 ……え、」
「ほら、戻りなよ。君、あの演劇部の部員なんでしょ?」
「は、はい。」
声が震える。
何が起きていたのかも、あの異様な空気が何だったのかも理解できない。
ただ、胸の奥にまだ熱と冷たさが同時に残っていた。
ぼんやりとないこを見つめるなつに、
ないこは片眉を上げて、わざとらしく覗き込む。
「…何?いやらしいことでも考えてる感じ?」
「えっ!?いやっ!違っ、違います!!」
反射的に否定した瞬間、ないこは口元を緩めた。 いたずらが成功した子供のような、にやりとした笑い。
(……とことんからかうタイプだ……)
なつはそう悟った。
逃げるように立ち上がって、弱った足取りで戻ろうとする。
その背中を見送るように、ないこがひらひらと手を振った。
「またね、なつくん。」
なつは振り返る。
ないこは、何事もなかったように完璧な笑顔で佇んでいた。
その表情はやっぱり、どこか掴めなくて――底が知れない。
「……変わった人だな……」
ぽつりと呟き、なつは胸に残るざわめきを押し殺しながら、校舎へと歩き出した。
がらら
「 なっちゃぁぁぁん!!!」
「 うぉっ!? 」
ぎゅっ
部室の扉を開けた瞬間、らんが全力で飛びついてきた。 なつは勢いに押されて一歩よろける。
「もーう!心配してたんだよ!!どれだけ待ったと思ってんの!」
腕にぎゅうっと力がこもる。
らんがこんなに取り乱すのは珍しい。
ふと壁の時計に目をやると 部室を出た時間から、すでに二時間以上が経っていた。
「 ぇ、…に、2時間… 」
「 戻るの遅かったから、事故にでも巻き込まれたのかと思ったんだよ?」
みことが眉を寄せている。
その顔は、まるで保護した子犬を見つめるときのように心配に満ちていた。
「なんか……途中で暑さにやられて……気絶してたっぽいです」
「うぇぇ……?大丈夫やったん?」
「はい……大丈夫です」
「よ、 よかった…」
みことが胸を撫でおろす。
らんもやっと腕を離したが、まだ名残惜しそうに袖をつまんでいた。
「…………」
そして、部屋の端。
机に手を置いたまま動かず、こちらを見るわけでもないのに、
いるまだけが異様に静かだった。
さっきまで明るかった表情が、どこか重く沈んでいる。 その横顔は苦しげで、視線は床に落ちたまま。
( 先輩にも、心配させちまった… )
なつは、静かにいるまの背後へ回り込んだ。
机に視線を落としたまま落ち込んでいる背中は、どこか頼りなく見える。
そっと手を伸ばし、 ひんやりと冷たいペットボトルを、いるまの頬にあてた。
ぴと、
「 冷たっ!?」
ビクッと肩が跳ね上がる。
いるまは驚いて顔を上げた。
「先輩、これ…部屋出る前、いるま先輩の水筒、少ししか残ってなかったんで……」
「!」
「俺みたいに気絶したら困るんで 」
なつは少し照れたように笑う。 その笑顔に、いるまの耳まで一瞬で赤く染まった。
「 ……あり、がと… 」
小さな声。 なつが顔を覗き込むと、いるまはそっぽを向いた。
「あれ?顔、真っ赤……。熱あるんですか?」
「なっ、無い!!無いからっ!!!」
「?」
なつは首をかしげる。
その距離感が近いのも、目を合わせないようにしているのも、 周囲から見れば明らかにお察しくださいである。
部屋の端でその光景を見ていたこさめは、肘でらんをつつく。
「あれ、ぜってぇやべぇって…」
「 できてるね。あれ完全に。」
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めっちゃ長ぇなこれ…