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長時間の国際会議がようやく幕を閉じ、重苦しい緊張感から解放された十一月の夜。
外は心地よい秋風が吹いていたが、香港にある香の自宅マンションのリビングには、アジアの面々七人が揃い、熱気あふれる宴会が繰り広げられていた。
テーブルの上には手際よく準備された飲茶や辛みの効いた料理、そして各国から持ち寄られた酒の瓶が所狭しと並んでいる。
「はー、今日の会議も無駄に長かったあるね! 堅い話の後は、こうして美味い酒を飲むに限るある!」
真っ赤な顔で紹興酒のグラスを掲げる耀を筆頭に、宴会は大いに盛り上がっていた。
そんな賑やかな空気の中、ふっと悪戯っぽい笑みを浮かべたのは湾だった。手元のアジアンビールを一口飲むと、わざとらしくパンッと手を叩いて見せる。
「ねぇねぇ、みんな! さっきネットで見たんだけど、海外のパーティーで『天国の7分間』っていう定番のゲームがあるんだって!」
「ほう、それはまた興味深いゲームを仕入れてきたね」
眼鏡の奥の目を細め、どこか優雅にワイングラスを傾けたのは澳だった。その横では、越が静かに米焼酎のグラスを揺らしながら、どこか含みのある笑みをたたえている。
湾が説明するには、二人で暗いクローゼットの中に七分間閉じ込められ、その中でイチャイチャしながら愛を深めるというゲームらしい。
「……はあ? 何だそれ、昔の海外ドラマでしか見たことないぜ。 今どきアメリカのティーンだってそんな古いゲームやらないんだぜ!」
果物をつまみながら、呆れたように鼻で笑ったのはヨンスだった。隣に座る菊も、困ったような苦笑いを浮かべる。
「ええ……なんだか合コンのようなノリですねぇ。私たちは遠慮しておきましょうか」
しかし、二人のその反応こそが、残りの五人の思うツボだったのだ。
実はこの企画、裏で耀、湾、香、越、澳の五人ががっちりと結託して仕組んだ壮大な(?)茶番だった。いつまで経っても進展せず、つかず離れずの距離でモヤモヤした雰囲気を漂わせているヨンスと菊。そんな二人に対して「いい加減素直になれ!」と痺れを切らした五人の、愛(と面白がり)の込もった作戦である。
「まぁまぁ、せっかくの宴会ある! 全員参加でくじ引きで当たった二人が入るルールにするよろし!」
耀が強引に紙コップに入ったくじを差し出す。
「えー……俺はこんなの絶対やりたくないんだぜ」
ブツブツ言いながらヨンスが引いた紙と、菊が引いた紙。そこに書かれていた『〇』の文字を見て、二人は目を丸くした。
「「……えっ!?」」
もちろん、くじは完全なイカサマ仕様。誰が引こうと、ヨンスと菊だけに『当たり』が渡るよう仕組まれていた。
「わぁ、ヨンスと菊さんが当たりだヨ! すごーい、運命じゃない~?」
大袈裟に歓声をあげる湾に、ヨンスは手元の紙と彼女の顔を交互に見比べながら、即座に噛みついた。
「いやこれ絶対おかしいんだぜ!? 最初から当たりしか入ってなかったんじゃないのか!?」
「えー、そんなことないヨ~? ほら、香のはハズレだヨ〜」
わざとらしく『×』と書かれた紙を見せながらしらばっくれる湾に向かって、ヨンスは「白々しいんだぜー!!」と叫んだ。
だが、その抗議も虚しく、香が無表情のまま立ち上がり、「隣の部屋だから」とリビングに隣接した寝室のドアを指差した。
「クローゼット、ちょっと狭いけど……まぁ、七分間我慢して」
ぞろぞろと全員で移動し、香が寝室のドアを開ける。その部屋の壁際に備え付けられていたのは、木製のルーバー(羽板)が全面に並んだ外開きの折れ戸クローゼットだった。扉の外側には後付けの金属製かんぬきが取り付けられている。
中には段ボール箱や季節外れの家電、解体されたラックなどがぎっしりと詰め込まれていた。
左右に積み上がった荷物に挟まれ、これでは肩を並べることすらできそうにない。互いに身体を横に向け、正面から向かい合うのが精一杯かという狭さだった。おそらく二人の間にはせいぜい、拳ひとつかふたつ分程度の隙間しか確保できない。
「ちょっとじゃない! 狭すぎるんだぜ!! これクローゼットじゃなくて完全に物置なんだぜ!?」
ヨンスの悲痛なツッコミを置き去りに、「はいはい、行ってらっしゃいあるー!」と耀たちに急かされ、二人は体をすぼめるようにして窮屈なスペースへ押し込まれる。
バタン、と扉が閉まり、外側から金属製のかんぬきがガチャンと掛けられる音が冷たく響いた。
「よし、閉じ込めたある! あとは七分間、二人で存分に親睦を深めるよろし」
五人は寝室のドアを閉めてリビングに戻ると、耀の「とりあえず時間だけ測っとけ!まぁ多少過ぎても大丈夫ある!」という大雑把な指示で香のスマホがテーブルに置かれ、そのままストップウォッチが起動された。
大きな音でテレビのバラエティ番組をつけ、あらためて「かんぱーい!」と大声でグラスを打ち鳴らした。
――バタン、と寝室のドアが閉まった瞬間、クローゼットの中はしんとした静寂に包まれ、二人きりの濃密な空気が満ちていた。
しかしそれも束の間、すぐに壁や扉を隔てて、楽しげなテレビの音やくぐもった話し声が響き始める。外の世界から切り離されてしまったのだと、その遠い雑音が、かえって二人の密室感を際立たせていた。
ルーバーの隙間からは寝室の明かりが幾条もの光となって差し込んでおり、完全な暗闇ではない。明暗が交差する中で、すぐ目の前に迫るお互いの顔立ちや、戸惑いを含んだ視線がはっきりと浮かび上がっていた。
「……まったく、あいつら何考えてんだぜ……」
背中の段ボール箱に体重を預けながら、ヨンスは一通り文句を吐き出したあと、小さく溜め息をついた。
左右に荷物が詰まっているせいで、二人は立ったまま正面から向かい合わせの体勢にならざるを得ない。わずかに身じろぎしただけでも触れ合いそうになるほどの至近距離で、相手の吐息や熱が肌に伝わってくるようだった。
十一月の香港は外こそ過ごしやすい気温だったが、狭い空間にこもる二人の熱は逃げ場を失い、さらにお酒も相まって、二人とも顔や耳元がぽっぽと熱を帯びてきた。
「……ヨンスさん、あまり動かないでくださいね。……その、近すぎるんで……」
「分かってるんだぜ!だから俺だってじっとしてるんだぜ……!」
菊の声は静かだったが、周囲のノイズが遠く感じられる分、微かな呼吸音までが耳に届きそうだった。
菊特有の落ち着いた香りがふわりと漂う。ルーバー越しに届く薄明かりのせいか、ごく近くにある菊の耳元がうっすら赤くなっているようにも見えて、ヨンスは自分の心臓が急にうるさくなったのを感じた。
一方、すぐ隣のリビングでは――。
テレビのテンションに触発された耀が「一気飲み大会あるー!」と叫び、澳がにこやかに酒を飲み干し、湾と越は手を叩いて盛り上がり、香がお酒を追加していた。
最初は「七分経ったら開けてやろう」と気にしていた五人だったが、バラエティ番組の爆笑と一気飲みのコール、酒の勢いも相まって騒ぎはどんどん熱を帯びていく。その圧倒的な盛り上がりの中で、外の五人の意識から「クローゼットの中にいる二人」の存在はすっかり抜け落ちてしまった。
寝室では、すでに十五分以上が経過していた。
だが、時計もない薄暗い密室で外の音も遠い二人にとって、その時間は倍以上にも感じられるようだった。
「……なぁ、菊……いくらなんでも遅すぎないか……? もう七分なんてとっくに過ぎてるんだぜ……」
最初は気まずさから殆ど会話もなく、向かいあったままお互いに目を逸らし静寂に耐えていた。だが、壁越しに微かに届くドンチャン騒ぎの音を聞くうちに、ヨンスの顔に焦りが浮かぶ。
「あいつら……もしかして俺たちのこと忘れてるんじゃ……!」
「……そう、でしょうか。リビングはかなり賑やかなようですが……」
「絶対そうなんだぜ! 一気飲みコールなんて聞こえてくるし! おーい! 兄貴! 湾! 開けるんだぜー!」
ヨンスはクローゼットのわずかな隙間にめいっぱい顔を近付け、大声を張り上げた。それから扉をバンバンと叩いてみる。
しかし、寝室のドアに阻まれ、リビングにいる五人の大騒ぎにかき消され、彼のSOSは虚しく散っていった。
「駄目だ……外まで声が届いてないんだぜ……!」
ガックリと肩を落とすヨンス。と、その時、すぐそばから「ふぁ……」と小さな欠伸の音が聞こえた。
見れば、菊が船を漕ぐようにゆらゆらと身体を揺らしている。前日の移動や準備による寝不足、長時間の会議の疲れと、少し飲んだお酒の酔い、そして狭い空間に満ちた心地よい温もりが手伝って、菊は猛烈な睡魔に襲われていたのだ。
(オイ寝るなよ!?この状況で俺と一緒に居て平気なのか!? こっちはさっきからドキドキして落ち着かないのに!! ヘンな気にならないように、必死で平常心保ってるんだぜ!?)
内心で叫ぶヨンスを余所に、菊の頭がカクンと前に落ちる。
「っと、危ないんだぜ……!」
菊が体勢を崩しかけ、ヨンスは咄嗟にその肩を支えようと手を伸ばす。しかし、あまりの距離の近さに手が回りきるよりも早く、菊の身体はそのままヨンスの肩へ倒れ込んできた。二人の間にあった僅かな隙間があっけなく消え去る。
微かな衣擦れの音と共に、菊の額がヨンスの鎖骨の辺りに、トン、と無防備に預けられた。
「……ん……すみません、ヨンスさん……少し、眠気が……」
「……たく、こんな場所で寝るなよな……」
口では文句を言いながらも、仕方ないなと背中に手を回して支えてやると、菊は再び「すみません……」と小さく呟き、逃げるどころか素直にヨンスの首元に顔をうずめてきた。
その瞬間、ヨンスの体に電撃が走る。
菊の身体全体の温もりがダイレクトに伝わってくる。自分の首元にかかる小さな寝息。ふわりと鼻腔をくすぐる柔らかい匂い。
(……ッッッ身動き取れねぇ!! 胸がキュ~ッてなって苦しいんだぜ!!)
二人だけの静かな空間の中で、心臓が早鐘を打つ。ヨンスは天井を見上げ、頭の中で羊の数を数えたり、今日の会議の資料を思い出したりして、必死に理性を保とうとした。しかし、腕の中にすっぽり収まった菊の重みと体温が、ヨンスの思考を甘く痺れさせていく。
三十分、三十五分……。
時間が経つにつれ、至近距離で菊の気配を感じ続けるヨンスの理性のほうが限界を迎えつつあった。
その場から殆ど動けず、ずっと立ったままでいる疲労もあってか、次第に何も考えられなくなってくる。
自分へ無防備に全身の重みをそのまま預けてくる確かな存在感に、必死に動揺を抑え込み続けていたが――極限の緊張状態は容赦なく脳の許容量を越えていった。
(……ダメだ、頭がボーっとしてきたんだぜ……)
激しかった鼓動が次第に落ち着き、菊の規則正しい寝息と心地よい体温が、ヨンスの意識をゆっくりと微睡みの中へ引きずり込み始めた。
(……あー……もう、どうにでもなれ……)
外のバラエティ番組の音も一気飲みの騒ぎも、遠くのBGMのようにぼやけていく。ヨンスは背後の段ボールに2人分の重みを完全に預け、菊を抱きかかえる腕に少しだけ力を込める。そして、右肩に寄りかかる菊の頭に、そっと頬を寄せるようにしてゆっくりと瞼を閉じた。
時間の感覚が失われたまま、二人の吐息だけが静かに響いていた。
それから、さらに時が経過し……。
クローゼットの外――すっかり宴もたけなわとなり、リビングの盛り上がりがピークを過ぎた頃。
テレビの番組がCMに入り、空になった酒瓶をふらふらと片付けていた越が、テーブルの端に置きっぱなしになっていた香のスマホにふと目を留め、小首をかしげた。
「……ねぇ。ところで、あの二人……まだ隣の部屋じゃない?」
ピタリと、全員の動きが止まった。
「……え?」
湾がポカンと呟いた。
香がスマホを覗き込み、画面を表示させてストップウォッチの数字を無言で見つめる。
「……何分経ったあるか?」
耀が引きつった笑顔で尋ねる。
香が静かに口を開いた。
「……五十八分」
「「「「「えっ!!!???」」」」」
悲鳴のような声がリビングに響き渡った。
「ヤバいヤバいヤバい! 完全に忘れてたある!!」
「五十八分って! 七分の何倍閉じ込めちゃってるのよ~!?」
「息絶えてたらどうするの!?」
「いや、あの扉ルーバーだから窒息はしないと思うけど……とにかく急ごう!」
五人はパニックになりながら隣の寝室へ雪崩れ込み、香が慌てた手つきでかんぬきをガチャリと外し、折れ戸を開け放った。
「ふたりとも、大丈――」
パッと明るい寝室の光が中に差し込み、目に飛び込んできた光景に、全員の言葉が途切れる。
そこには、向かい合ったまま互いにぎゅっと抱き合って眠っているヨンスと菊の姿があった。
「……」
まさかの展開に、誰もが目を丸くしたまま動けない。
そんな外の気配に、ようやく二人の意識がぼんやりと浮上し始めた。突然の光に眩しそうに目を細め、パチパチと瞬きをする二人。
「……ん……? あ……耀さん……?」
菊がヨンスの首元に顔を埋めたままぽやんと状況を掴めずにいる横で、徐々に覚醒してきたヨンスの顔が、見る見るうちに真っ赤に染まっていく。抱き合って寝ていた姿を見られた恥ずかしさと、一時間近くも放置されたことへの怒りが、一気にこみ上げてきたのだ。
ヨンスはクローゼットからヨロヨロと覚束ない足取りで出てくると、目の前で固まる五人に向かって大声を叩きつけた。
「……七分じゃなかったんだぜーーーーー!!!!」
「ひいいいっ! ごめんあるー!」
「ヤバい! マジで怒ってる! 逃げろー!」
爆発したヨンスが鬼のような形相で掴みかかってくると、耀を先頭に五人は脱兎の勢いでリビングのほうへ逃げ惑い始めた。
「待て! 許さないんだぜ! 俺がどれだけ必死で理性を保ってたと思ってんだぜーーっ!!」
「ヨンス、なんか変なこと言ってるヨー!?」
「中で一体何があったのか聞ける雰囲気ではないな!」
「余計な追及をする前に逃げた方が賢明だ!」
ドタバタと大騒ぎが繰り広げられる中、一人クローゼットに取り残された菊は、「……全く、騒々しいですね……」と呆れたように呟いた。
頬がほんのりと朱に染まっているのは、酒の酔いや密室の熱気のせいだけではない。
まだ少し眠気の残る頭で、菊は自分の胸元に残るヨンスの温もりを、そっと撫でた。
* * * * *
ヨンス←なんとなく自覚あるかも
菊←まだ自覚ないかも
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