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穏やかな日差しの中、2人は玄関先にしゃがみ込むとテラコッタの鉢植えに生えた雑草を抜き始めた。この鉢はどうしたのかと莉子が尋ねると蔵之介は目線を逸らした。
「あ、わかった」
「なに」
「あのウインドゥチャイムの彼女でしょう」
「なに、ウインドゥチャイムって」
「天井からぶら下がっているでしょう」
すると蔵之介は顔を赤らめた。
「彼女いたんだ」
「33歳にもなって彼女がいなかったら気持ち悪いだろ」
「ーーーそれもそうね」
雑草は思いのほか根深くマーガレットの苗を植えるには適切な土では無かった。莉子が四苦八苦していると「もう全部出しちゃおう!」蔵之介は思い切りテラコッタの鉢をひっくり返した。
「あぁぁ、なんて事を!」
「なに」
「これじゃ土が足りないじゃない!」
すると蔵之介は公園の砂場のベンチで日向ぼっこをしている太田のお爺ちゃんに声を掛け、腕に腐葉土の袋を抱えて歩いて来た。
「どうしたのそれ」
「太田の爺ちゃん畑作ってるんだ」
「ーーーーえ」
「時々トマト貰うし」
「市営住宅で家庭菜園って駄目なんじゃないの?」
「まぁまぁ、それはそれ、これはこれ、今度買って返すから」
莉子が立ち上がってお辞儀をすると太田のお爺ちゃんは笑顔で頷きながら手を振って見せた。思わず笑みが溢れる。
「ねぇ莉子、土はどれくらい入れるの」
「まずは石、その辺りの石とか砂利を入れよう」
「なんのために」
「根っこが腐らない為によ」
2人は次々に石を拾い蔵之介が腐葉土を植木鉢に入れた。
「全部の鉢に入れるの?」
「そうね、ひとつだけ空っぽじゃ可哀想」
「わかった」
頬を拭うと泥が付き、指を差し合って笑った。3個のテラコッタの鉢植えに揺れる白いマーガレットの花弁、じょうろが無かったので鍋で水遣りをした。そこで莉子が話を蒸し返した。
「彼女、何人いたの?」
「えっ、なに突然」
「今まで何人いたの?」
蔵之介は宙を見上げると指を折った。
「ご、5人、6人かな」
「なにそれ!」
「長続きしなくて」
「じゃあ童貞卒業は中学何年生だったの」
「ちゅっ、中学、なんでそんな事!」
莉子の目は細く眉間に皺が寄った。
「あの噂は本当だったんだ」
「う、噂?」
「付き合ってしばらくして「蔵之介は童貞じゃないの♡」とか言っている下級生が居てね。あーーあなたがその相手なのねって思ってた」
「ま、まじかーーー」
蔵之介は足元をみると座り込んだ。
「で、何年生」
「に」
「なに」
「2年」
「うっわ、本当!早すぎじゃない!」
気不味い雰囲気に耐えかねた蔵之介は空っぽになった苗が入っていたポットを拾い集めると玄関でサンダルを脱いだ。
「ーーー莉子、ハンバーグ」
「あっ、そうだった待っててね!」
莉子は軽自動車の後部座席から真新しいフライパンを取り出して蔵之介に手渡した。
「なに、新しいフライパン買ったの」
「毎回持って来るのも大変かと思って」
「え、また作ってくれるの」
「駄目?」
「良いけど大丈夫なの?」
「なにが」
視線が絡まる。
「旦那さんに変に思われない?」
「ーーーーー」
沈黙が訪れた。
「うっうん、それはまた今度!ほらほら、入って入って!」
部屋の扉が閉まった。
「莉子、指輪」
マーガレットの花の苗を植える際に汚れるからとリビングテーブルに置いてあった銀の指輪を見つけた蔵之介がそれを指先で摘んだ。見れば見るほど粗末な物で溜め息が出た。
「指輪?」
「うん」
「あぁ、指輪」
「置きっ放しだよ」
「挽き肉捏こねてるからスカートのポケットに入れてくれる?」
「分かった」
蔵之介はテーブルに肘を付くと窓枠に掴まりながら立ち上がった。ゆっくりと進む脚、莉子の背後に立った指先はポケットに指輪を落とすとそのまま身体を抱き締めた。
「く、蔵之介?どうしたの?」
熱い唇が頸うなじに吸い付き首筋を舐める様に這い回った。
「やだ、駄目。ハンバーグ」
「ごめん」
「もう、悪戯しないで座ってて!」
「悪戯じゃないよ」
「悪戯よ」
オリーブオイルがフライパンの中で跳ね、肉の焦げる香ばしい匂いが部屋に漂った。
「あ、換気扇」
「壊れてるんだ、窓開けて」
「壊れてるの、市役所に電話して修理して貰いなさいよ」
「面倒臭い」
「色々と臭いが付くでしょう」
「自分で料理しないから」
「ええー、駄目じゃない」
こうして取り留めの無い会話に興じる飯事ままごとは莉子と蔵之介にとっていつまでも続けば良いと思える時間だった。然し乍らその時は17:00の夕焼け小焼けのメロディで終わりを告げる。
「また来るね」
「待ってる」
玄関先で振り向いた莉子は暫く考え蔵之介の目を見た。
「来週は早く来る」
「如何して」
「蔵之介とずっと一緒にいたい」
「莉子」
「一緒にいたい」
2人は互いを掻き抱き唇を重ねた。どちらからともなく舌先が差し込まれそれは口腔内で妖しく蠢うごめき絡み合い舐め上げた。
「莉子っ」
蔵之介の指先が莉子のブラウスの裾を忙しなく捲り上げるとブラジャーに手が差し入れられた。息遣い豊かな温もり押し寄せる興奮。
「ーーあ」
愛おしい蔵之介にようやく触れられた悦びに莉子の口から吐息が漏れた。蔵之介の手のひらは乳房を揉みしだき指先は突起を摘み上下にしごいた。莉子の脚は震えその場に崩れ落ちそうになった。その時、もう片方の手がスカートを捲り上げパンティの中に滑り込んだ。ひだを撫でる指先に粘液を感じた。
(ーーー濡れてる)
莉子は蔵之介を求め内壁から雫が滴り落ちていた。蔵之介はその入り口に指を挿し入れたい衝動に駆られたがその一歩手前で思い留まり身体を離した。
「今日はここまでだよ」
「ーーー蔵之介」
「また来週」
2人は越えてはならない一線を遂に越えてしまった。
交差点の赤信号、前の車のテールランプを見詰めているとバッグの中で携帯電話の着信音が鳴った。まさか直也が、慌ててバッグの中を弄まさぐるとその相手は蔵之介だった。青信号で直進すると左手にコンビニエンスストアの明かりが見えた。着信音は鳴り続け、莉子はコンビニエンスストアの駐車場に車を停めて携帯電話を手に取った。
「もしもし、どうしたの?」
ほんの数分前の愛撫を思い出し声が上擦った。
「あ、僕だけど」
「うん、どうしたの?」
「次の水曜日なんだけど」
「うん」
莉子は水曜日の逢瀬が断られるのでは無いかと不安になり心臓が跳ねた。然し乍ら蔵之介の提案は心躍るものだった。
「来週、24日の水曜日だけど夜に会えないかな」
「夜、如何して夜?」
「僕の家に泊まらない?」
その瞬間、莉子の頭の中では一泊二日の温泉旅行に友人と出掛ける計画が浮かんだ。高等学校時代の友人やスポーツジムで知り合った仲間と温泉に行った事にすれば良いのではないかと邪よこしまな思いに囚われた。
「泊まりなんて、なんでまた急に」
「泊まりが駄目なら外食、飲みに行かない?」
「如何しても夜が良いの?」
「うん」
夜、友人と飲みに出掛けるのであれば直也も快く承諾してくれるだろう。一泊二日は魅力的だが蔵之介の存在が明るみに出る事だけは避けたかった。
「莉子、獅子座流星群を見に行こう」
「流星群?」
「あの夜、僕が莉子に見せたかった夜空だよ。その指輪は流れ星を見ながら渡したかったんだ」
「そうだったの」
莉子は右手の薬指に嵌めたマーガレットの指輪を見つめた。
「分かった、泊まりは無理だけど夜のお出掛けは大丈夫だと思う」
「晴れると良いな」
「きっと晴れるよ」
蔵之介は「本当は莉子の誕生日、7月30日に一緒に見たかった」とそう言ったが「その日は旦那さんとお祝いして」と弱々しい声で通話は切れた。莉子は右手の薬指の指輪をゆっくりと外し車のダッシュボードに仕舞い込んだ。そしてバッグの中からプラチナの結婚指輪を取り出し左手の薬指に嵌めるとハンドルを握り締めエンジンペダルを踏んだ。