テラーノベル
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広い庭の花々が鮮やかな朱を描き出すころ、おれの妻は先立った。
天津風が呼んでくる、初夏の爽やかなきいろい香りに誘われて、遊ばれるようにどこかへいってしまった。
健やかで美しかった、あの優しい妻はもういない。ふと、宙を仰いで、目を閉じて、昔を思い起こす。
やはりその花だった。
植木の新緑の若々しい緑とそれの朱が辺り一面にひろがり、遠く、遠くに見えた夏鳥が青い海を気持ちよさそうに泳いでいた。
すぐ横には、慎ましやかに揺れるレモンイエローのレースカーディガンと、それをかたどる血管が透き通るほどの真白い肌がそこに在った。
長く細い指先から伝わる体温が、今は亡き心臓の拍数が、くりりと円い瞳がおれを貫くときの眼差しが、今もなお、脳裏に鮮明なまでに焼き付いている。
「…太陽はあかるいなぁ」
袖口にじんわりと濃いしみが出来て、世界がすりガラスみたいに滲んで、歪んで、何もみえなくなった。
この碧天の向こう側。あぁ、今。きみが、何をして、何を想っているのか、誰か教えてくれやしないか。
そうでもしないと、自分でも恐ろしいぐらいに、おれがおれではなくなってしまうよ。
あの初夏を通り抜ける度、きみに近づいている気がするけれど、すぐ傍に、この広い庭に、きみがいないという哀しい事実に変わりはない。
次の植え替えはいつにしようかな、いつ頃がいいのだろう。
__わからない。わからないよ。わからないけれど、
おれの妻が護っている庭だから__。
銀の指輪に継ぐ形見のようなものだから___。
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